先輩後輩ロマンシス その10

 全ての根源は可能性で成り立っている。物事の最小の分子や原子のその先……極限まで突き詰めると、『可能性』や『確率』といった土俵にシフトする。らしい。

 理屈や裏付け……解明できているところと出来ていないところ。それらを全て説明していると指輪物語よりも遥かに長い説明が並ぶことになる。正確な理屈を省略し、最後の末文。結論の一行だけを取り出すと……

『世界には、理がある』

 その一文に集約される。何かを説明しているようで、何も伝わることの無い一節。その一文に至る為に色々説明されたけれど、研究者でも無ければ、専門家でもない……弾頭の一欠片である菜沙。基礎スペックは改造人間であるお陰で反則級という自覚はあれど、この世界で最も先を進んでいる専門家の話を理解するには積み重ねた前提知識が乏しすぎた。

 それでも、噛み砕いて噛み砕いて……自分なりに落とし込んだ。

『世界観は、存在する』と。

 だいたいあってる、らしい。


 背中から鋸剣を引き抜いて、たった一つだけ備え付けられた機能を起動。刀身に青白い光が帯び、唸るようなモーター音が空気を乱す。


 目前には何も無い空間。けれど、第六感が前方に薄膜のような隔たりが浮き出ていることを僅かに感じる。例えるなら、ティッシュペーパーよりも更に薄く、不純物一つ入っていない水よりもずっと透明なガラスの膜。目を凝らしたって分からない、ほんの僅かな違和感。

 そこに向けて、真っ直ぐ、迷いなく、刃を振り下ろす。


「……ッ!!」


 手に伝わってくる衝撃。弾かれそうになるのを、力尽くで押さえ込む。

 自称神様すらバラバラにするチェーンソーは、空振りせず、何もないように見える『空間』そのものにぶつかり、阻まれる。干渉できたのなら、こちらのもの。青白い光を強める刃。削り、引き千切るように振るう。何度か振るい、切り開いた末に出来たセキュリティホール。ヤツらを追いかけるための道。

 その中に流れるように、飛び込み……そして、視認。一人と、一体。

 狙うはデキの悪い、素人が考えたような、書き割りの存在。自称上位者。


「尻尾、巻いて、帰れ!!」


 撃鉄は、躊躇いなく雷管を叩く。理不尽を討ち滅ぼすために。


 人間が、どうやって神や勇者や魔王……それら反則技のバーゲンセールと言ってもいい、異なるモノたちへと鉛玉をたたき込むことが出来るのか。

 干渉者を討ち滅ぼすために極限までに先鋭化した、圧倒的な殲滅と破壊を齎す重火器? 違う。

 倫理を押し退けて生命にメスを入れることで、極限まで高められた身体能力と戦術? 違う。

 それら二つを組み合わせたことによる、過剰な戦力? それも、また違う。

 どれほど兵器兵士としての能力を高めたところで、勝てない相手には勝てない。そもそもの、『理』が……『世界観』が異なるのだから。

 例えば、物理攻撃無効。例えば、時間停止。例えば、不死。例えば例えば例えば……数えだしたらキリが無い。

 どれほど両手を広げても、大空を飛ぶ鷹には並べないのと同じように。

 幾ら泳ぎの練習したところで、大海を泳ぐ鯱とは戦えないのが当然のように。

 この世界に無い法則の下に居る相手。絶対に越えられない壁が存在する。


 ならば、どうすれば戦える?

 簡単な話。空を飛ぶ鷹も、大海を泳ぐ鯱も同じ。打ち落とし、引きずり出せばいい。

 同じ大地に立たせてしまえばいい。


 それを、突き詰めた、最大最後最強……そして、唯一、干渉者に対して絶対的な効果を持つ武装。

 銃でもなく、爆弾でもない。戦車すら踏み潰せてしまえるような決戦装機でも無い。

 それらの真逆。目に見えない、果てしなく小さな小さな粒。みたいなもの

 平均化素子(アキュムレメント)。

 そう名付けられた、この世界の法則を詰め込んだ粒。それを以て、世界観を、押し付ける。平均化素子が使われた武装全般が重塗兵装(OverWriteWepon)……略称としてOWWと呼ばれることが多い。鋸剣も、その一つ。

 完全でなくとも、別世界の理に、こちら側の世界観を押し付け、反則と言われるまでの超常を弱体化、同じ大地に叩き落とす。

 かき氷にお湯を掛けてぬるいだけの水にするように。

 綺麗なオルゴールが流れている横で黒板を思いっきりひっかくように。

 魔法も、スキルも、超能力も。それら全部を、否定する。

 残るは平等な物理の地平。


「これじゃ、足りないッ!!」


 弾頭の一つ一つがOWW。だが、目の前の存在を穿つ事は出来ても、討ち滅ぼすには素子濃度が満たない。


「いつも通り、かっ」


 カッ、と視界が明滅。同時、全方位を舐めるように、大蛇のようにのたうち回る雷にも似た光の帯。それが、一つや二つではない……八岐大蛇もかくやと、あたりを片っ端から焼き払うように暴れ狂う。


「くそっ……鬱陶しいッ」


 枝葉の部分に当たるのは、必要経費、と今回は切り捨て、巨木のように太い雷の蛇のみに専心。普段であれば枝葉であっても相応のダメージを受けていただろうが、シェルスーツが覆ってくれているから、中身は無傷。

 新幹線すら霞むような速度で菜沙を消し炭にしようとする雷蛇を全力回避。全身の関節と筋肉を総動員、神経レベルで繋がっているベーススーツがノータイムで呼応し外付け筋繊維が脈動。同時、シェルスーツのブースト機構がカッと光を放つ。

 身体に掛かるGは並の人間なら意識が飛び、死に至りかねないほどの衝撃。

 真横を通り過ぎる雷蛇。

 回避、それだけの動きをしただけなのに車で壁にぶつかったかのような衝撃……それを、一息に何十回も重ねていく。気分は、無邪気で残酷な子供に、虫かごに放り込まれシェイクされている虫にでもなったかのよう。

 回避と並列に思考する。勝ち筋は昨日と同じ。素子の塊を間近で炸裂させ、極限まで引き摺り落とす。

 判断した瞬間。百メートルは先に見えたはずの真っ白な衣服に身を包んでいた干渉者が、目前に居た。

 まるで慈しむように翳された、その手は、白く発光していた。


「あ」


 極限まで研ぎ澄まされた感覚が、無慈悲に告げる。

 あたると、死ぬ、と。

 ふざけるな。こんなところで死ぬつもりは無い。どうして私が死ななければならないのか。思考が加速……拳を握る。


「違う!! アンタがくたばれッ!!」


 死の宣告なんてつまらないバラードは大声ロックで吹き飛ばせ。

 翳された手を、最小限の接触で打ち払う。枯れ枝のような、細い腕だというのに、鉄柱でも殴りつけたかのように堅固。なれど、僅かに掌が左にズレた。

 同時、右に身体を滑らせて回避しながら、内手首から小さな擲弾を、放つ。地面に吸い込まれた擲弾は、即座に炸裂。大量の素子をぶちまけた。

 後を追うように軌道修正された掌。なずなに再び突きつけられ、今度こそ回避が間に合わなかった……が、理不尽な死は訪れず、装甲も突破できない低出力な雷撃。


「そんな静電気、効かないのよっ」


 あまりにも近い、クロスレンジ。この距離の殴り合いなら、負ける気がしない。

 思考の時間すら、惜しい。思い切り、踏ん張り、拳を握り、打ち抜いた。

 ゴッ。銃撃の炸裂音とは比べるも無い、小さな音。けれども、鈍く、低く、生々しい原始の暴力が、上位存在の顔面にめり込む。そのまま、振り抜いて、後頭部から地面へと思い切り叩きつける。まともな大地では無いからか地面が割れることで衝撃が拡散されることも無く……勢いよく跳ね上がる。スーパーボールみたいに。

 流れるように高く振り上げていた脚はさながら、罪人の首を落とす大鎌。跳ね上がってくる頭に落ちる踵……ブースト噴射機構による加速も重なった威力は重砲の一撃。

 精一杯の抵抗とし、腕や身体を我武者羅に振り回してくるが……人としての形を保ったままの、体勢も整っていない反撃なんて、三日三晩、晒され続けても避けられる。

 殴る、蹴る。叩きつける。殴る、蹴る。蹴る。蹴る。蹴り砕く。

 接触は最小限。威力は最大限。止むことの無い無呼吸連打は、体勢を立て直すことを許さない。

 不利を悟ったのか、全身から光を放ち、耳障りなノイズを聴覚が拾う。背筋が粟立ち、第六感が悲鳴を上げる。

 膝を小さく折りたたみながら半回転……その遠心力と加速を全て乗せた、全力の後ろ蹴り。

 干渉者はゴムボールのように何度もバウンドし、肢体を打ち付けながら吹き飛んでいく。次の打撃に繋げるラッシュとは比べ物にならない、重さに全てを賭した後ろ蹴り。

 相手が地球上の生物であるならば、無条件に一撃鏖殺できる力で蹴り飛ばしたというのに、未だ形を残しており、健在。


 吹き飛ばされた先、浮かぶように体勢を立て直した干渉者。表情というものの一切合切が消え去り、機械的に障害物を排除しようと、全身の光が一点、手に集まっていき……再び出現する雷の大蛇。

 力の全て注いでいるのか、大きさは先ほどと同じ……だが、首は一つしか存在せず、密度も薄い。最初が圧倒的な樹齢を感じさせる巨木だとすれば、今は内側が朽ちている老木。羽を毟られた今ではソレが精一杯であると、雄弁に語っていた。

 大蛇が一直線に向かってくる。


「チェックメイト」


 超至近距離における殴り合いを避け、距離を離した……それは致命的な悪手。そもそも、シェルアーマーの内手首に二門仕込まれているハンドキャノンから放たれた素子擲弾が炸裂した時点で、王手飛車取りは成っていた。

 視界内に対象を収め、瞬きよりも短い刹那に補足。ガシャガシャと左前腕部の機構が忙しなく展開。前腕部に備えられた、砲身が、キィィ、と耳が痛くなる金切り声を漏らし……

 轟ッ。

 熱波と咆哮を上げた。

 過剰熱線が、異常速度で、雷束大蛇を、穿ち消し飛ばし。

 大蛇の先に居る、干渉者もまた、熱戦熱波で、蒸発した。


 シュウシュウと、廃熱機構が全力稼働し、急速冷却。一度放つのが限度の使い捨てのジョーカー。

 その名前の通りの威力に、笑みが零れた。

 名称『焦げも残さず(オーバーレイ)』通称、バーナー。

 戦いに楽しみを求めているつもりは無い。だが、装備の精強さを体感し一掃する爽快感は、筆舌に尽くしがたい。


「一丁上がり」


 適性反応顔の装甲が解放されて、胸部や肩の装甲に変形、一体化する。


「お、女の子……!?」


 離れた場所から聞こえてくる声は、無視。

 二日連続で説明するのは、流石に面倒……どうせ、忘れてしまうのだから。


「実戦では初めて使ったけど……これ、凄くいい。どうにか持ち歩けないかな……」


 ただただ、瞬間火力を煮詰めて煮詰めて煮詰めて……煮こごりとなった熱線を放つ装備。熱線には素子は含まれない為、正しくはOWWとは言えない。

 相手を弱体化させないと使えないピーキーな性能。その代わり、全てを瞬間火力に注いだ装備だから、盤上が整った時には無二の一撃と化す。使い捨てだというのに、コストが高いため、鉛玉一発、爆薬少量で死ぬ人間相手の戦争では失敗兵器の烙印を押されるだろう一品。

 この間のように、誰かに見られてしまう……なんて、ヘマをしないために、迷彩機能を予め起動。


「き、消えた……」


 なんて声を、聞き流しながら、グッと伸びを一つ。やっぱり、装備が整っていると、余裕が違うな、と当然のことを考えて見上げる。視線の先、ひび割れていく空。ゆで卵の内側に居るみたいに、世界の殻が剥がれていくのをぼんやりと眺めていた。


 少ししてから、雑居ビルの屋上に戻っていた。

 なずな及びそれに関わる物事は、観測者として世界は修正を行わない。屋上は、突入前のまま、鞄や、ボックスが散乱している。脱いでいた制服もそのまま。

 救急車のサイレン、野次馬の雑然とした声も、今はもう聞こえてこない。上手くいったのだろう、と全身から力が抜ける。一仕事を終えたということもあり、それなりに疲れた。学校に行くのが面倒……午前の授業はサボって昼から行こうか、と天秤が傾きそうになったときのこと。


『なずなちゃん、お疲れ様ぁ。装備は元のところに隠しておいてくれたら、事後処理はなんとかするわよ。それと、報告も私からしておくから、学校に行ってらっしゃい』


 なんて、通信で釘を刺されてしまい、諦めた。戸羽司令は、なんだかんだワガママを通してくれるけれど、明華花さんが相手だとそうは問屋が卸さない。怒らせると、装備を渡してくれないのだから、それだけは避けなければいけない。戦えない菜沙なんて、泳げない魚みたいなものだから。


「了解です……じゃあ、お言葉に甘えて行ってきます」


 諭されたことで、がくり、肩から力が抜けた。

 いつまでもここでウダウダしても仕方ない、と人目が絶対に通らないことを確認した上で、シェルスーツを脱着。自動収納を起動しスーツケース型に戻ったのを確認してから、ブラックボックスに放り込む。それからベーススーツを脱ぐ。着る時に痛いのだから、脱ぐ時もまた、同じ。神経に突き刺さったアレやソレやが抜けていって、どうしようもないほどの激痛。骨折、裂傷、火傷、感電、内臓損傷……数えればキリが無い程、負傷に慣れている菜沙でさえ歯を食いしばるほどの痛み。


「いッ、つぅ……!!」


 かと言って、学校に着たまま登校するわけにもいかないから脱ぐしか無い。何とか脱ぎきって鞄の中に放り込んでから、制服を着直す。もう一度、伸びをして、着崩れていないかを確認。よし、問題なし。


「もうちょっと、痛さ、どうにかならないかな……」


 首をグリグリと回して、屋上に吹く風を受ける。ツインテールがゆらゆら、たなびく。


「ここ最近、ほんと、多すぎる。どれもこれも、同じような方法というか、同じすぎるというか……隊長、さっさと原因を突き止めてくださいよ」


 テンプレートチックな干渉方法。早く、どうにかしないとジリ貧。観測部隊が磨り減っていく上、情報部や工廠部の負荷も軽くはない。ただ、すぐに尻尾は掴むだろう。戸羽司令……隊長は、菜沙みたいな扱いやすい人間とは違って、予測不可能な狂狼。普段の優しい振る舞いすら、本人は武器として使っている……と、菜沙は睨んでいる。

 その隊長が『なんとかする』と言った事実があればいい。いざとなったら上を無視することを厭わない現場主義者ほど信頼できる上司はいないのだから。

 自身の簡易装備もアタッシュケースに収納。使ってしまったから、再使用は望ましくないし、弾薬も消耗したから、シェルスーツと一緒に放り込んでおく。今の菜沙は、ベーススーツ以外、何も持っていない。ちょっと、身体能力が高いだけの女子高生。

 荷物が減り、身軽になった足取りで非常階段を下りていく。何ヶ月も、何年も使われて居ない、錆まみれの鉄階段。所々、小さな穴すら開いている。


「……二限目、なんだったかなぁ」


 大して興味の無い授業も、死とカルメンを踊った後には、魅力的に見えるのだから不思議。

 鉄さびた階段を一歩一歩降りる度に聞こえる足音は、どこに届くことも無く、消えていった。

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