悪役令嬢ランナウェイ その26

 カトレア=ド=ナファリウム=ディア=デイホワイトの人生を表すのに、滅私奉公よりも的確な言葉というものは存在しない。少なくとも、カトレアには自負があった。

 生まれ落ちる前から第一王子との婚約が約束され、国母となることを背負いながら産声を上げた。磨き抜かれた血筋に秘められたポテンシャルを全て遺伝子に含み、生まれ落ちることが出来た。才を引き出す環境がこの国でも随一に整っていたことが、何にも勝る幸運。

 聡いと自己評価をするくらいには傲慢で、傲慢であることを自覚できるくらいには聡かった。

 一つのことで百を越える天賦の才は無くとも、百のことで九十を出し続けることが出来た。だからといって才に甘えたことなんてない。十数年後には何千何万という民を支えなければならない。その程度の能力は持っていて当たり前。

 物心ついたときには虐待と変わらない教育を施された。きっと、物心つく前から同じ扱いを受けていたのだろう。

 『どうしてわたくしだけ』『不公平』『公爵家に生まれなければ良かった』

 そう思ったことは、ない。才気に恵まれている代価として苦難はあって然るべき。

 人より才を持つようデザインされた自分には、人の上に立つ義務が存在する。それだけ。勉学は当然、貴族としての政治も怠ったことなどない。家柄を除いても最も優れた者として努め、ひと時たりとも気を抜くことなどなかった。甘い汁を吸おうと擦り寄ってくる全てに僅かの綻びも見せぬように。

 それでも、綻んだ。

 綻びの名前は、リーナ=レプス。

 聖女としての資格を有する……と言えば聞こえはいいが、お飾りみたいな肩書きに過ぎない。遙か昔の聖女としての功績……所謂、伝説のような力が顕現したという話は聞いたことが無い。彼女の家柄は木っ端貴族の男爵令嬢。本来ならば中央の学院に入学できるような家柄ですらない。ないない尽くしの男爵令嬢。カトレアにとっては路傍の石と同じ。障害物ですらなかった。

 それがいつの間にか最大の悩みの種へと成長していた。

 次期騎士団長に大司教、そしてカトレアの婚約者というそうそうたる面々と仲を深めているのだとか。

 十把一絡げの男爵令嬢が飛び込んで来るや否や、次代の国を背負う人たちと社交というには近すぎる交友関係を築いていたのだから、当然、警戒。

 真っ先にハニートラップを疑った……のだが、調べれど調べれど尻尾は掴めず。会話という名の、探り合いを行っても、どうも気の抜ける答えばかり。カトレアの目でも裏表が見えず、疑わしい過去も掴むことが出来なかったから、謀略だとか一切考えていない、ただただ、純朴である可能性も考慮の一つに入れた。

 悪い娘では無いのが却って厄介だった。無防備すぎるが故に何に利用されるか分かったものでは無い。わかりやすいところで言うと、人質。他に例を挙げるとリーナさんの作った食べ物に誰かがバレないように毒でも入れたりしたら一大事。本人は王子達に迷惑をかけないために色々と考えていたみたいだけれど、カトレアからすれば警戒心が無いのと変わらない。

 いっそのこと、嫌えれば気が楽だったのだが……出自の差を埋めるように努力する姿は、描いていた理想の国が最も求める資質。その上、人柄は疑り深い王子達を惹きつけるほど柔らか。他人の痛みが分かり、いざというときには肝が据わっている。更に、顔立ちの良い貴族に囲まれて育ったカトレアの琴線に触れる愛嬌まで兼ね備えていた。

 嫌うどころか、好ましい。好ましいから中途半端な嫌がらせしか出来なかった。幾らでも過激な手段がとれたというのに。少しずつ嫌がらせを強めていって、過剰なショックを与えないように退場させようとしたのが致命的な綻び。

 あとはセリさんも知るとおり。

 王子達からリーナさんを引き剥がそうと迂遠な手段、嫌がらせや孤立をさせた。

 色々と手を試した結果……婚約破棄に至る。

 幾らなんでも、そんなことがありえるだろうか?

 冷静になった今でも信じられない。

 間違いなく、リーナさんよりもカトレアの方が王妃と至っては優秀。好みかどうかは別にしても、見た目だって、それなり以上の自負がある。けれど婚約は破棄された。

 もし、もしもカトレアの中にセリさんという来訪者が来ていなければ、きっと国を強くするために悪魔を利用していただろう。正道が閉ざされたのなら、残るは邪道のみ。

 カトレアは聡かった。ただ、恋心というバイアスを理解できていなかった。

 セリさんの持つ知識を覗けば覗くほど、王子達との認識の差に眩暈が止まらない。

 更には次代を背負う殿方連中だというのに、リーナさんに対する破廉恥行為の数々。

 努力するのは義務、己を捨ててスタートライン、感情に蓋をしてようやく並……と、歩いてきたカトレアは一体何だったのかと、バカバカしくなってしまった。

 あと、リーナさんはもう少し怒ってもいい。彼奴ら、見た目以上に、内心はスケベだった。


 セリさん、ナズナさん。二人の異邦者の手を借りた。

 目的なんて、言ってしまえば単純明快。


「なんてことはありません。未来を変えたかった、ただ、それだけのことです」


 荒唐無稽、大言壮語。前置きも無く言い放ったカトレアの一言は、やはり、信用には値しない。王子達の表情に少しだけ陰が差す。

 頭部から流れた血液が、左目にまで流れ、乾いている。中にまで入っているのか、痛さで開くことも出来ない。全てを賭した城すら押し潰す一撃は、たかが小娘に抑えきれるようなものではなくて。

 満身創痍。今すぐ治療を受けなければ命が危ういのが、カトレア自身にも分かる。けれど、この身の使い道はあと一つだけ。それまで持てばいいのだから、どうでもよかった。


「未来は先ほど倒した者が決めていたのです」


 掻い摘まんで説明をすれば、するほど、信用は薄れて、脆くなっていく。

 リーナさんや王子……本人達しか知らない蜜月を知っていたのは、セリさんの知識が教えてくれたこと。

 カトレアは、婚約破棄をされたことで、国を強くする手段として悪魔を召喚するが、御しきれずに国を破滅寸前まで追い込むこと。

 信じてもらえるかどうか、なんてとっくに考慮の材料に入っていない。

 だというのに。


「カトレアさんは、その未来を回避しようとしたんですね」

「……えぇ」


 リーナさんがカトレアに向ける視線は、信じると言い放ったときから少しの揺らぎも存在しなかった。

 真っ直ぐだった。だから、託せる。

 リーナさんは主人公たり得る能力を持ち、国を救うほどの伝説の力を行使できることを知った。


「一つ。可能な限り我が国の現状と、他国の脅威を伝えること」


 ナズナさんの持ち込んだ武器が、脅威を刻んでくれた。


「一つ。それら脅威に対する最も手っ取り早く、確実且つ、安全な手段を用意すること」

「安全な手段?」


 リーナさんが首を傾げる。少し前までは、目の上の瘤のように鬱陶しかっただけの存在だったのに。彼女が歩むはずだった数奇な人生を知ってしまったからか、とても可愛らしいと素直に思えた。

 少ない力を振り絞ってリーナさんの栗毛色の髪に触れた。彼女の人柄のように柔らかい。


「リーナさん、貴女です」

「えっ、わ、私?」

「……聖女の力、というワケですね」

「ふふっ、狡猾ムッツリ眼鏡とは言え、流石、学年主席。話が早くて助かりますわ」

「その呼び名はやめていただきたい……」


 聖女の力を十全に覚醒させるのに必要なのは王族の血。この世界に仇なす異なる場所より訪れた脅威。聖女という力は特定の脅威に対するカウンター機構。

 偶然、その条件を満たしてくれて、且つ、悪意の無い存在が傍に居た。


「十全に目覚めた聖女の力は反則と言っても差し支えありません。他国に軍事力で劣ろうとも、それ一つで耐え凌ぐことは可能でしょう」


 覚醒した聖女であるリーナさんが居る内に軍事力の差を埋める。それが理想の流れ。

 次期聖女も覚醒させるという方法が取れれば理想だが、そう上手くは望まない。正しく継承できないのだから、聖女の力は途絶えたのだから。

 確実な再現方法は今のところ一つだけ。悪魔という災害に等しい存在を喚ぶしかない。そんな手段、取れるはずがない。


「わ、私なんかが、そんな」


 自分のこととなった途端、萎縮するリーナさん。


「わたくしを信じると言ったのでしょう。最後まで信じてくださらないよ」


 毛先から上り、頭のてっぺんにたどり着いた手。ゆっくりと撫でる。もっと自信を持っても大丈夫だから、と伝わるように。


「は、はいぃ」


 リーナさんは信頼できない小娘なんかではなかった。聖女としての力を備え、普通なら心折れるような危機に瀕しても前を向ける強い少女。


「わたくしが知っていた凄惨な未来は避けられ、覚醒した聖女という抑止力も手に入りました。十二分と言っていいでしょう」


  セリさんは、困ったような表情でカトレアをジッと見ていた。念願叶って帰れるというのに、ほんの少しの間、一緒に居ただけのカトレアに情を寄せすぎ。この先きちんと生きていけるのか心配で心配でたまらない。


「この結果は、あなた方にとっても素晴らしいものになりますのよ?」

「……これほどの惨状で素晴らしいとは、面白くない冗談だね。カトレア」


 崩落した城を一瞥して、眉間に皺を寄せるクレィス様。敷かれたレールの先を知らないクレィス様にしてみれば、今が最悪の状況にしか思えないのは、当然。

 背負っていた重荷から解放されつつあるカトレア。今になって、リーナさんに色々と背負わせるのに罪悪感が湧くけれど、日々を生きる民には彼女が必要だった。


「新たに婚約者となったリーナ=レプス……力の無い男爵令嬢であり、肩書きだけの聖女。彼女を王族として迎え入れるなんて無理筋であり、多くの反発を呼ぶ。ですが、今はどうでしょう?」

「肩書きだけでは……ない、な」


 カトレアの言わんとすることは伝わらずとも、彼らの益になることは理解してもらえた。

 つい先ほどまでみっともない表情をしていたキーレルの目が細められ……気の抜けた雰囲気は消え去っている。キーレルだけでは無い。三人が三人とも、益を求める貴族の表情へと変わっている。


「教会に属する立場としては名実とも聖女であるリーナさんを支持します。これは教会の総意と言ってもいいでしょう。そして、規模だけの話をすれば、大勢力ともいえる教会を表立って否定をする貴族はいないはず……と、いうことですね」


 ぶつぶつと呟くキーレル。間抜けなやり取りで忘れそうになるが彼らは国を背負い……悪魔に滅ぶ国を救える資質を持った英雄でもある。

 だからこそ、託せる。リーナさんだけではない。


「あなた方三人も、聖女と共に立ち向かった英雄ではありませんか」


 考え込んでいた三人がぽかん。疑問符を浮かべた。


「目覚めた聖女と英雄が手を取り合い巨悪を討ち、そして因習を払い、次代の国を拓く……そうして、わたくしの望みは果たされるのです。他国に潰されず民が安心して暮らせる国の出来上がり」


 一人で強攻策を打ち出すよりも、ずっと確実。

 これが、カトレアが考え得る限り最も手っ取り早く、盤石に国を良き方向に変える方法……その全て。


「で、でも、さっき倒した人? と本物の悪魔もも消えてしまって、ナズナさんたちも帰ってしまうんですよね」

「えぇ」

「その二人も帰っちゃうのに、どうやって証明するんですか?」


 つい先ほどの『干渉者』の姿はかき消えている。ナズナさんたちはもう帰ってしまう。後に残るのは、ただ損害を被った城と、数多の負傷者。

 何を持って英雄だと示すのか。分かっていないのは当事者であるリーナさんだけ。

 リーナさんの頭に添えた手を下ろし……支えてもらっていた腕から離れ一人の力で立つ。ただ、立つだけなのに、ふらつく。それでも踏ん張れるのはゴールテープが目の前にあるから。


「リーナさん。貴女の言うとおりです。上に立つのが当然だと……救ってやる、導いてやると民の目線に立てないようなわたくしでは今回は上手くいったところでいずれ歪みを生じさせる」


 はっきりと言い放つ。


「そんな歪みを生む、誰よりも巨悪に適した悪役令嬢が、ここに居るではありませんか」


 これがカトレア=ド=ナファリウム=ディア=デイホワイトの為したかったことの全て。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る