悪役令嬢ランナウェイ その25

 全身を弓のように引き絞り……駆ける。


「カトレアさん、お願いしますっ」


 同時、リーナが両手を祈るように組むと足下に広がる魔法陣。吹き上がる山吹色に光る粒子。


《聖女を落とせなかったのは痛かったかぁ》


 粒子は風に巻き上げられて、元・公爵令嬢の制御下にある風が山吹色の風と化す。


「好き勝手やってくれましたわねっ。好き勝手するのはわたくしの特権ですのよ!!」


 輝きの風が、槍となり、槌となり、嵐となって干渉者へと殺到。

 姿勢を低くし獣のように駆け抜ける。隙間なく荒れ狂う光風は菜沙だけを避けるように、緻密に繰られることで、隠れ蓑となった。

 菜沙は瞬く間、鋸剣と素子でこじ開けた世界の罅割……光柱の輪に踏み込んだ。

 同時、思い切り踏ん張り、突き刺さった鋸剣を力尽くで引き抜く。

 振りかぶり……投擲。

 定規で線を引いたように一直線、僅かのブレもなく貫かんと穿ち放った。大気の壁にぶつかって尚、勢いを落とさない刃。

 乾坤一擲の一投は正確すぎた故に、身体を逸らすのみで回避される。

 回避、された。

 望み通りに。


「まだ俺はここに居るぞッ!!」


 光風の隙間から現れたクレィス。吸い込まれるように鋸剣が手に収まり、間髪入れず縦一閃。

 刎ねられた片腕が、宙を舞う。


《なるほど》


 他人事のように、嗤っている銀髪は僅かにも堪えた様子はなく……重力に従って落ちていくクレィスに見せびらかすように失った片腕を根元から再生させる。脅威にはならない、戦闘という土俵にすら上がれないことを刻みつけるように、ゆっくりと。

 舐めている、慢心している、見下している。クレィス達を脅威にも思っていないのか攻撃らしい攻撃もしない。

 銀髪は致命的な間違いを犯している。菜沙の銃弾は避けもしなかった。

 だが、斬撃を指一本で弾いた。氷漬けになたっり十字斬に対して防御したこと。ダメージに繋がってはいなくとも、この世界の理に則った攻撃に最低限のアクションを起こしている。


「そのまま悦に溺れてなよ」


 王子達を、光り輝く規則正しい鱗のような膜が包み込む。

 最大の失敗は、芹とカトレアを舐めたこと。


「ぶちかませ」


 月の光をねじ曲げるほどの暴風。最早、風と呼ぶのすら躊躇うほどの力のうねりは遙か空の上。周囲の大気殆どが魔力という導線に従って集まり、十重二十重に重なり続ける。この世界のあらゆる魔法や兵器なんて目ではない。

 その姿、極限まで圧縮された光り輝くサイクロン。

 力の塊が、かき消え……


「落ちなさいっ!!」


 刹那、流星が墜ちてきた。

 衝撃が城を、大地そのものを貫き、揺れ動かす。音すら置き去りにした圧縮台風の通り道にあった城が遅れて瓦礫と化す。まるで、ジェンガが崩れるように巨大な城が石材を撒き散らしながら崩れていく。けれどそれも余波でしかない。カトレア曰く、二倍どころか二乗以上、あり得ない出力を誇る魔法。それほどの暴力が推進力によって指向性を伴ったことによる破壊力とは計り知れない。

 隕石と見紛うほどの体当たり。音が届いたのは、力の塊が移動を終えた後だった。

 中心を捉えた一撃。余波ですら無敵と謳われた石城が塵芥のように崩壊。

 虚を突き、物理法則すら無視した一撃。回避はおろか防御の余地すらない。

 流星に見紛う体当たり。筆舌に尽くしがたい衝撃は、宙に浮く影を吹き飛ばした。


《そんな威力、出るはずがないんだけどなぁ。二つの魂が相乗りで想定していない挙動が起きているのかな》


 暴風。巻き上げられた石材が飛散し崩落している最中で聞こえる声。頭に直接話しかけられているような不快感。


《これで全部かな? 満足? もう終わり?》


 それだけの破壊を持っても、揺らいでいなかった。

 銀髪は数メートル後方に移動したのみ。健在。

 対する芹とカトレアは力のうねりが嘘のように萎んでいく。身体を光膜が包んでくれているからか風の余波に巻き込まれずに済んでいるが、推進力の一切を失い重力に従って落ちる。

 二人の全てを出し切った突進はダメージには繋がらない。この世界の法則……魔法や武器であれば干渉できるのは間違いない。

 ただ、それが通用するかどうかは別の話。


「貴方のおっしゃるとおり、これで終わりですわ」


 落ちながら、浮かんでいたのは勝ち気な笑み。全てを出し尽くした上で通用しなかったのにカトレアには少しの悔しさも滲んでいない。ふと、二人のどちらが表に出てきているか、いつの間にか判断できるようになっていることに気付いて、場違いな軽い笑いが浮かんだ。

 跳躍。頭から落ちていくのに対して、菜沙は直上に向かって跳ぶ。平行線。方向だけが正反対。

 上る菜沙に、落ちる芹。一瞬だけ交差する視線。


「ね、なず先輩」

「うん」


 円柱状に伸びた光……その中に見せつけるように再生した、銀髪の手。

 手首から先が、輪の中に入っていた。


「これで……終わりッ!!」


 力一杯、一本釣り。

絶対に逃がさない。


「はァッ!!」


 驚愕に見開かれる目。人間の上に立っているみたいな顔をしていたくせに、所々で反応が人間染みていた。宙に浮く菜沙と干渉者。

 芹とカトレアの全身全霊の一撃が光柱にまで干渉者を押し込んで、仕上げに菜沙が引きずり込んだ。異世界じゃない、菜沙たちの世界の理へと。

 腕をひっつかんだまま、銀髪を真下に捉える。


「歯を食いしばりなさい。食いしばった歯ごと粉々に吹き飛ばしてあげるから」

「待て」

「散々待った!!」


 拳を握りしめる。これまでの怒りも、苦労も、理不尽も。今、目の前でようやく触れることが……目一杯、殴り飛ばせる。


「くっ……!!」


 菜沙の顔面に向かって飛んでくる致命の反撃。世界の理を否定され、比べ物にならない弱体化をされても尚、上位者は上位者。干渉する能力を取り上げられても、単純な身体能力は人成らざる領域にある。

 その程度、なんてことはない。障害にすらならない。同じ土俵に立たせた時点で、負ける気なんて微塵もない。

 上半身を思いっきり逸らして避ける。そのまま、膝を曲げ折りたたんだ脚が引き絞られて……


「落ちろ!!」

「ごッ」


 貫くように。蹴り抜いた。真下に向かって一直線に落下する様はさながらピンボール。握りしめるのは残った最後の武器。身に纏う装備だけ。


「これで――」


 ブースト最大噴射。瞬間最高加速。今度は菜沙が流星になる。真っ直ぐ落ちるのに合わせて、身体をモーターのように縦回転。

 思い切り振り上げた右脚。右脚ブースト噴射機構のみ、強制閉塞。過剰滞留。

 そして


「――終わりッ!!」


 衝撃。

 轟音と共、思い切り叩きつけられた右踵。全てを乗せた踵落としは床ごと干渉者を打ち抜いた。広がる蜘蛛の巣状の罅割れ。その中心で驚愕に見開かれる目。


「神を名乗るロクデナシに握られる安い運命なんて持ち合わせてないのよ」


 吐き捨てると、何も言い返す間もなく銀髪は嗤いながら楽しそうに燐光を帯びて霧散。曲がりなりにも上位者だけあるのか、感性が全く理解できない。少しは悔しそうな顔をして欲しい。

 ようやっと仕留めた。大の字に横になってしまいたい。

 けれど、まだやるべきことが残っている。本来の目的、邪魔さえ無ければとっくに終わっていたであろう、帰る。それだけを果たすためにここまでやってきた。

 城は玉座を中心とした範囲は今なお崩れている最中。申し訳ないとは思うけれど、謝っている時間は無い。楔として打ち込んだ鋸剣を引っこ抜いた。

 悠長にしていると罅割れは塞がり、最後のチャンスを逃しかねない。菜沙の想定は大筋間違っていないようで光輪の直径は徐々に小さくなっていく。

 全てを出し切って横たえているだろう芹を迎えに行かないと。

 王子達の邪魔が入るかもしれないが、なりふり構っている余裕は無い。

 光輪の中から踏み出そうとした、その時。ゆっくり何かを引き摺りながら、杖代わりにしながら、近づいてくる一つの影。


「お待たせ……しましたわね」

「カトレア」

「この寝ぼすけさんを……届けに来てあげましたわ。ついでに落とし物も。精々、感謝なさい」


 枝毛一つ無かったホワイトブロンドは今や埃まみれ。バサバサに乱れ、傷んでいる。

 杖代わりにしていた鋸剣を、息も絶え絶えになりながら放り投げるカトレア。力が足りず、真っ直ぐ届かずに地面をガラガラと滑りながら菜沙の足下まで。

 がくり。支えを失い、体勢を崩す。支えようと踏み出すと同時……手で制された。光輪に菜沙、外側にカトレア。


「問題、ありません。自分の足で歩きますから。自分の道ですもの」


 力なく、覚束ない足取り。だというのに弱々しさは一欠片だって存在しない。届けてくれた鋸剣を拾い上げ……起動。青白い光が刀身に走る。


「そんなこと言われたら最後なのに、惚れそうになる、でしょッ」


 一度閉じ始めた罅割れにもう一度突き立てる。光輪が萎んでいくのが止まる……けれど、とんでもなく頑丈なはずの鋸剣がミシミシと悲鳴を上げているから長くは保たない。


「惚れてくれても構わないですのよ? 丁度、婚約も解消されたところですし……次の貰い手も、もういないでしょうから」


 上等なドレスも余すこと無く埃まみれ。それどころか、至る所が切れたり破れたりしている。


「そりゃそうだわ。こんな無茶苦茶する令嬢、誰の手にも終えないわ」


 互い、顔を見合わせて笑い合う。時間が無いのは分かっている。

 偶々乗り合わせて、偶々目的が合致していただけの関係だけれど、菜沙にとっては立派な仲間みたいなもの。いや『みたいなもの』なんかではない。理不尽な存在の敷かれたレールを歩いていることに腹を立て、全てを擲ってでもレールから脱線して道を拓こうとする姿勢は……間違いなく、戸羽小隊の志。


「餞別、というにはショボいんだけどさ。自由が売りのうちの隊唯一の金言を教えて上げる」


 グッと拳を突き出す。


「手綱はいつだって自分の手の中にあるんだってさ」


 光の膜の向こう側、綺麗なブルーの瞳。ぱちくり数度瞬いて……不敵に笑った。


「そんなこと、言われなくても分かっていますわ」

「やっぱり?」


 また、笑い合う。

 カトレアが、菜沙の拳に合わせるように光柱に触れた……同時。


「わ、わわっ!?」


 吸い出されるように。分離するように。カトレアの中から……芹が。葛代芹がすぐ側に表れる。そして、目が合った。


「芹、帰ろ?」


 手を伸ばす。菜沙の手を掴もうとした芹の手が……触れそうになる直前で、止まった。


「カトレア……!!」


 振り返る芹。柔らかで乱れていない髪が舞う。菜沙と同じ方向……カトレアへと向き直る。

 カトレアの目元は、出会った中で一等優しく和らいでいる。


「顔を合わせたのは初めてですのに、全くそんな気がしませんわね」

「……うん」

「ほら、行きなさい。そのためにここまでやってきたのですから」

「でも、カトレアが……」

「もう目的は達成できました。後はあなた方が帰るのを見届ければ万事解決」


 崩落も落ち着きはじめた。埃はもうもうと立ちこめているけれど……幸運なことに怪我人は菜沙とカトレアだけ。カトレアの後ろには無傷の王子達が並んでいて、この状況を見つめていた。

 カトレアなんて今にも倒れそうだったからか、勇み足で捕らえるようなことは無かった。ただ、いつまでも部外者で居てはくれないようで。


「カトレアと……キミ達は一体何なんだ」


 クレィスが一歩踏み出して眉をひそめる。倒れそうになるカトレアを支えないのが、二人の間に存在する溝を幻視。

 代わりに駆け寄ったのは、功労者であるリーナ。傷は一つもないものの疲労が滲み出ていた。

 今更隠す必要もないか、と一歩踏み出して芹の隣に並ぶ。


「踊らされただけよ。私たちも、貴方たちも」

「キミ……女性だったのか」

「まぁね。悪魔でも何でもないどこにでも居る女の子よ」

「女性同士なら、ノーカウントか……?」

「え?」

「いや、此方の話だ。気にしないでくれ」


 顔を隠していたプロテクターが砕け剥がれたから丸見え。


「私はアレに攫われたこの娘……芹を連れて帰りたかっただけ。どういうワケか、カトレアの中に迷い込んじゃったみたいだけどね」

「二重人格というのは、本当だったということか……申し訳ない」


 即座に謝って頭を下げるクレィス。一国を率いる立場が頭を


「い、いや、仕方ないですよ。信じろっていうほうが無理なんですから」


 消沈するクレィスに対して苦笑いを浮かべている芹。


「ただ……」

「ただ?」

「普通にお話くらいはしてみたかったです」


 素朴な願望。申し訳なさそうな表情を浮かべたり静かに頷いたり。 反応はそれぞれ。共通するのは、少しの後悔。


「彼女たちの目的は分かった。だが、カトレア。キミの目指したモノが見えない……結局、何が目的だったのか」


 言葉に浮かんでいたのは、純粋な困惑。

 アレだけの見栄と啖呵、将来像を語っておきながら誰よりもぼろ雑巾のように傷つき、唯一の味方であった菜沙たちに別れを告げている。残ったのは歴史上類を見ないほどの国家反逆を行った逆徒という汚名のみ。


「言ったところで証明する術を持ちませんもの。それに時間もあまりありません……端折って説明したところで、理解が追いつかずに話が拗れるのが関の山、ですわ」


 一から全部を説明してもいい。ただ、それが妄言で無いことには説明が付かない。何より、そんな悠長な時間が無い。


「信じます」


 そんな理屈を一言で切り捨てたのは、芹とどこか似ている少女……リーナだった。


「何を根拠に?」

「行った規模に対して、誰も死んでいません……っていうのがひとつ」


 結果的には死んでいないだけ。死んでいなくとも、後遺症として残るような傷跡を幾人にも残してきた。殺していないから許されるワケがない。

 そもそも、必要であったのなら菜沙は躊躇無く引き金を引く。


「もう一つは、理由でも何でもないんですけど……一緒に食べたパンが、美味しかったから」

「パン……?」


 真っ先に首を傾げているカトレア。


「友達が教えてくれたんです。カトレアさんが実は私のことを嫌っているどころか好ましく思ってくれていること……それから、意外と優しいことを」


 リーナの視線の先が動いて、ピタリ。芹に重なる。


「バレちゃった……?」

「色々違和感がありましたけど、一番おかしいなって思ったのは『リーナちゃん』なんて呼び方されたことです。カトレアさんに限って、そんな呼び方するはずないですから……」


 ふっ、と表情が綻ぶリーナ。


「ですよね? セリちゃん」

「あはは……リーナちゃんと話すとき以外は上手く演じれたのになぁ」


 少しずつ小さくなる光の柱。乗り越えるべき理不尽は乗り越えて……残されたのは振り回されて傷ついた私たちだけ。女子四人しか通じない会話。それでも、リーナがカトレアを信じると言ったのなら、と王子たちから表情の険が解れていく。


「キミが優しいかは甚だ疑問だが……少なくとも、カトレア公爵令嬢は約束を違えるようなことは過去一度たりともしたことがなかった」


 乗り越えて終わりでは無い私たちには先がある。

 残される側だって同じ


「……質疑の時間はとりません。端的に、わたくしにとっての事実を述べるだけ」


 山場は越えた。それでも、敵を倒してそれで終わるワケじゃない。その後も続いていく。

 続けるためにもう少しだけ。


「なんてことはありません。未来を変えたかった、ただ、それだけのことですわ」

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