悪役令嬢ランナウェイ その27
「あなたなら。あなたたちなら、先細るだけのこの国に未来を齎せる。重荷を背負わせてしまって申し訳ありません……ですが、きっと、彼らならば命を賭けて支えてくれる。大丈夫です。その優しさで、民を守ってあげてください」
「カトレア、さん……」
「最大の不安要素……悪の令嬢カトレア=ド=ナファリウム=ディア=デイホワイトはここで退場いたしますから」
絵に描いた餅は、見事につき上がった。
クスリと笑みがこぼれる。お餅なんて食べたことは無いはずなのに、セリさんの世界の慣用句が浮かんでいたから。
「最初から、そのつもりだったの……?」
セリさんのことを考えていたら、本人の声が届いた。直接聞くのはほぼ初めてなのに、驚くほどに耳に馴染む……親や使用人よりも、すぅっと、耳に馴染む。
「えぇ。少々予定外の事はありましたが、目的は達成できましたわ」
「やっぱり、死ぬつもりだったんだ」
「わざわざ聞かなくとも、分かっているでしょうに」
「私が、教えたから、だよね」
「セリさんの知識でわたくしが判断したので、そうとも言えますわね」
心優しい……というより、一小市民でしかないセリさん。為政者としての心構えなんて存在しないのだから、傍に居ただけのカトレアに同情を抱いていても仕方ない。
「ですけれど」
「構うに決まってるじゃん!!」
お構いなく。
言い切る前に切り捨てられた。セリさんが手を伸ばす。
「な、なんでっ」
けれど、光の壁に弾かれる。そこで、諦めてくれれば良かったというのに。
「わたくしの望む結果になったのだから、祝ってくれませんの?」
一言で、終電間際の罵倒合戦の口火が切られた。
「この、バカ!!」
理屈も、目的も、損得も。その全てを度外視にした感情に任せた、バカの一撃。
「カトレアが死ぬのを祝えるわけないでしょ!!」
どんな嫌味も陰口だって受け流せるハズだというのに……どういうワケか、子供染みた罵倒が頭にきた。
「貴女も知っているでしょう。どこまで行ったってわたくしは悪役。何をしでかすか分かったモノではありません」
「悪役だから死ぬべきだって? でも、今のカトレアは何もしてないじゃん!!」
「する前に、この命を有効活用しようと言っているのです」
「有効活用って、自分の命を粗末にしないでよっ」
「粗末にしないため、有効活用すると言っているのが分かりませんか? そもそも、セリさんからすればわたくしが死ぬのは規定通り、元の木阿弥」
「わ、私よりことわざを上手く使わないでよ!!」
「それはあなたの教養が足りていないからでしょうにっ。ともかく、一登場人物が物語の中で死ぬだけなのですから、貴女には関係ありません」
「知らないっ!! 私の現実を勝手に決めないでよ。私にとってとっくにカトレアは現実だもん」
「だもんって、子供じゃ無いんですから」
「話を逸らさないで!!」
「逸らしているのは貴女でしょう!!」
徐々に狭まる光の円。これ以上、言い争っていても無駄。そう割り切って閉口。
「なず先輩!!」
「それは卑怯です……!!」
セリさんもまた口論では意味が無いと判断したのか、最後の手段……ジョーカーにヘルプ。
ナズナさんも腕が千切れ脚が破裂し頭や口から血を噴き出していた満身創痍……というか、何故それでも生きているのか。生き物としての地力が違う。強硬手段に出られたらカトレアなんて万全状態でも抵抗出来ない。瀕死の獅子と元気な子ネズミのどちらが強いかなんて誰にだって分かる。
世界の壁を越えてまでセリさんを助けに来たナズナさん。セリさんの為ならもしかしたら。
「私が助けに来たのは、芹なの」
胸をなで下ろす。
「助けたい気持ちは分かる。でもさ、カトレアの選んだ道を私たちが横やりを入れるわけにはいかないでしょ」
行き当たりばったりでブレてばかりのカトレアやセリさんとは違う。
ナズナさんは終始一貫している。場慣れというのだろうか。助けを求める手ごと切り捨てられ、俯くセリさん。
ナズナさんはカトレアのことを助けないと言い切った。言い切ってくれた。
「私だって自分が決めたことを歪められるのは、善意であったとしてもイヤ。だから、私は何もしない」
カトレアの選択を尊重してくれているのが、理解してくれているのが嬉しかった。
出会い方が違えば。状況が違えば。
きっと良き友人になれただろう。
「み、見殺しにするんですか……!!」
「良心に訴えかけようたって無駄。カトレアの身体という実体を失った芹は、あっちの世界にはいけない」
「じゃ、じゃあなず先輩なら……!!」
「出れるでしょうね……でも、輪の中から出てしまったら帰れなくなってしまう可能性がある。だから恨まれたって、私は確実な手段を取る」
物事の優先順位がはっきり決まっていて気持ちのいい人。感情に左右されない強い人だという印象は間違っていて……実際は、誰よりも感情的。しかし、突き動かされる判断には後先が張り巡らされている。感情的なのに、後先を考えている。矛盾しそうな二つを内包した、苛烈な少女。
惜しいな、と思った。友人になりたい。そう、心から思えた。
そのまま分からず屋のワガママ娘を連れて帰って欲しい。
そう、最後の一押しをナズナさんに望む。
「ついでに言うなら立場上、私が攫ってしまったらカトレアの身柄は組織のモノになって、何をされるか分かったものじゃないから、何もしない。しない方が良い」
「で、でも……」
「仮にこっちの世界に何事も無く連れて帰れたとして、カトレアがどうやって生きていくの。猫を拾うのとはワケが違う」
「それは、そう、ですけど……死んじゃったら全部、終わりじゃないですかっ」
「そんなことない。死んだって終わらないものだってある。カトレアの目的は、まさにそういうこと……でしょ?」
視線を向けられて、頷く。本当に、欲しい言葉、求めていた理解をくれる人。
狭まる円は二人が立っているだけのスペースくらいしかない。青白光を刀身に拵えた鋸剣が時折、甲高い声で必死に押し返そうとしていた。
ナズナさんの手が、セリさんの手を優しく握った。どんな相手であっても、平等に振るわれる鉄拳は、敵対するモノがいない場所では所在なさげ。
「芹、もう一度言うね。カトレアを攫うために手は貸せない」
「……?」
分かっていることを何度も繰り返すクドさ。一回言えば十分なのに、どうして。
ナズナさんがセリさんから視線を外し、見つめた先はカトレア……ではなくて。
「助けてくれてありがと。それからごめんね?」
「え、と」
気まずそうに口ごもっているのはリーナ。会話に入り込むことが出来ず、ジッと見守っていた中でのキラーパス。
「謝られるようなことなんてなにも……!!」
「色々振り回しちゃったのと……貰っちゃったじゃない?」
人差し指で自分自身の口元を指している。
あえて誰も触れなかった話題に触れるのは、やっぱり誰よりも突き抜けているツインテール。直接何かを指さずとも、言わんとすることは周知の事実。
「あれは、救命行為で」
「それでも。見ず知らずの相手に、あそこまでさせてしまったのは私が不甲斐ないから」
「だ、誰よりも傷ついてたのに、そんなこと言わないで下さいっ」
「戦ったのだから傷つくのは当然。偉そうに啖呵切っておきながら、結局傷付けちゃった」
「アレは私が勝手にやったことで」
「違う。状況がさせたこと」
ナズナさんの謝罪に、不服そうなリーナ。温厚な……というか鈍すぎるリーナが、眉間に皺を作っている。不機嫌です、と。
「や、やっぱりナズナさんは勝手です」
「そっ、勝手なの。だから謝るくらいはしとかないと」
直截簡明。今更、償うような時間は無い。だから、せめて謝っておく。
「違いますっ」
ハキハキとしたナズナさんの言葉をきっぱり、すっぱり、はねつけた。
「私の大切な想い出に謝らないで下さいっ」
「えっ」
「初めてがナズナさんで良かったって思ってますからっ」
「へ? あっ、あー、うぇ?」
思わず、目が丸くなった。泰然自若と構え、どんな相手が立ち塞がっても怯むことなく仁王立ちしていたナズナさんの呂律が消滅した。ナズナさんがこんなにも狼狽えているのは、出会って初めて。混乱させたのが、悪魔でも超越者でもなくリーナさんだなんて。
これが、人たらし。
そして、その人たらしをたらし込んだのも、やっぱり人たらし。
「助けてもらって、空を散歩して、つまみぐいして……また助けてもらって。最後には助けることが出来て……」
リーナさんは完全に暴走状態。周りの男衆……プラス、カトレアの半身だった少女。一同揃って、口をぽかんと開けて何が何だか。まばたきしか出来ていない。
「ほんの少しの想い出ですけど大切な宝物なんですっ」
化け物相手に、端麗な顔立ちを血で濡らしながら犬歯を剥き出しに立ち向かっていたナズナさんが、「あー」とか「えっと」とかを何度も繰り返した末……こほん、と咳払い。
持ち直したみたいで、所在なさげな指が頬を掻いていた。
「撤回させてもらっても、いい?」
「撤回、受理します」
笑い合う二人を見て、一つだけ高望みが生まれてしまった。ここまで、自分に出来る全てを成し遂げた。もう一つだけ、ワガママが許されるなら……何にも縛られずに四人でお茶会出来たのなら、それ以上は何もいらないのに。
「じゃあ、私も宝物にさせてもらってもらおっかな」
「えっ」
「私だって初めてだったのよ」
「え、えぇ……!!」
先ほどのナズナさんが霞むほどの動揺を見せるリーナさん。真っ赤になるどころか、両の腕がバタバタと顔の周りを忙しなく動き回っている。
付き合いなんてないに等しい関係なのに……二人の間に見えない細い線が繋がっている、ようなコミュニケーション。
たとえ、極限状態から発生する緊張と感情がない交ぜになった脆いモノであっても……確かにそこには一つの糸が、見えた。
場に似つかわしくない、和やか? なやりとりを引き裂くように、ひび割れ音が割り込む。
「ロスタイムもここまで、か」
光輪の中心に突き刺さっている鋸剣の刀身が押し潰されて亀裂が走る。
バキ、バキと。亀裂が一つ、二つ……増えていく。
「……もっとゆっくり、お話ししたかった」
表情一転。火が消えたような寂寥感が翳った。
楽しげだった空気を、現実が押し寄せて呑み込む。
「そうだ……想い出だけって寂しいでしょ」
少女一人の寂しさが場を満たす。誰も言葉を発することが出来ない中、先陣を切るのはいつだって黒い少女。
「お返し……になるかは分からないけど、これ」
しゅるりしゅるり。ツインテールが解かれる。縛られていた二房が解放され、毛先にかけて緩やかに波打つ長髪が地に引かれる。そして、手には二つの藍緑色のリボン。あれだけの戦闘をくぐり抜けてほつれ一つ無い。
「滅多なことでは切れない、燃えない、痛まない。特別製なの」
ナズナさんがリボンを指先でつまんで、揺らす。ゆらゆらと揺れたリボンの先が光の膜から出て、それを指先でつかみ取るリーナさん。
リボンの架け橋。ほんの一瞬だけ繋がった淡い一筋。
「想い出が滲んだら捨ててくれてもいいから」
「すて、ません!! ぜったい……!!」
ふるふると首を左右に振るうリーナさん。まるで、駄々っ子。
「ほんと?」
「ほんとですっ」
「後から、やっぱり捨てよう……ってのはイヤよ? 中途半端って苦手なの」
こくこく、と頷くリーナさん。目元には涙が浮かんでいて、受け取ったリボンを嬉しそうに胸元に抱え込んでいた。
まるで姉か母親のような優しげな表情を浮かべる。ナズナさんが感情表現を目一杯行い、精一杯言葉にしていた。普段のさっぱりとした性格とは相反するように。
きっと、時を積み上げ、言葉を重ねて、関係の糸を紡ぎ合わせていく時間がないから……今できる最大限を伝えたいという意思の表れ。機微を察することが出来て、育んできた性格を圧してでも誠実であろうとする有様が美しかった。
「なら、大事にして。二度と会えなくたって、ずっと。おばあちゃんになってお墓に入るまで……って言っても?」
「言っても、ですっ」
即答だった。
後生大事に胸元に抱え込んでいたのはリボンだけでは無い。ナズナさんからの言葉全てを一言一句、取りこぼさないように。両腕で精一杯抱きしめていた。
「なら、よし」
一歩、引いたナズナさん。
「私たちは同じ空の下に居るわけじゃ無いから、二度と会うことはない」
「はい」
「でも、ね」
ニッと笑うナズナさん。真っ直ぐで、眩しい。焼き付くような良い笑顔。
「一度会ったことだって消えない。知ってた?」
「!! ……はいっ」
良かった。自分が息絶える前に……出会ったばかりの達観したような親友の年相応な笑顔が見ることが出来たから。冥土の土産には、おつりが来る。
ミシ、ミシ。突き刺さっている鋸剣の光が明滅し始める。本当に、終わりを感じさせる。か細い……切れかけの電灯のような光。
「芹。私は、手が貸せないのよ」
そういって、改めてセリさんを見たナズナさん。無意味に言葉を繰り返すのなんて、らしくない。言ってから、リーナさんに視線を向けるナズナさん。発言と挙動が、噛み合わない。少しだけ俯いて思考を回す。何が言いたいのだろうか、と。
そんな違和感混じりの疑問が。
察しのいい友という評価が。
次の瞬間。
「私は、ね?」
盛大に、台無し。
セリさんは劇的な一手でも思いついたように、目に光を宿す。不味いと思っても、想定外過ぎる一手に、出来たのは精々、顔を真っ直ぐ上げることくらい。
見上げた先、セリさんの口元が大きく弧を描いていた。
「リーナちゃん!! 助けて!!」
声が裏返るほどの大声。
同時、鋸剣が砕けた。
「……はいっ!!」
誰よりも早く反応したのは、呼ばれた本人。リーナ=レプス。
ドンッ。
背中から思い切り伝わる衝撃。立っているのもやっとのカトレアは、背中から前に突き抜ける衝撃に身体が持って行かれる。
前。そこにあるのは、閉じていく光輪。
抵抗も出来ず、前につんのめって倒れる。
「バ、バカっ!!」
放り出された手が、輪の中に、入った。
瞬間。掴まれた手。力一杯引っ張られる。
「契約の対価、今決めたッ!!」
「はぁ!?」
「あなた自身!!」
引きずり込まれる。だけれど、三人も立っているスペースなんて、ない。
華奢なセリさんが、カトレアを抱き留めた。
けれど、受け止められない。倒れそうになる。
「なず先輩!! 抱きしめて!!」
「任されたっ。よっし、帰ろっか……!!」
「はいっ!!」
黒のツインテールが、二人をまるごと抱きしめる。
「カトレアはここで死んじゃったってことでお願いっ!!」
「わかりました!!」
叫ぶセリさん。返すリーナさん。
何を勝手に、と言い返してやりたかった。でも、ナズナさんの抱きしめる力が強くて、声にならない。
最後、縮んでいく光。ビシビシと大音を挙げながら罅割れに覆われていく。次第、元いた世界が見えなくなる。
「セリちゃん!! あの質問の答え、出たよっ」
罅割れ音に遮られないような、喉がしゃがれるほどの大声が届く。
「叶わない初恋だったけど!!」
罅割れが隙間無く全てを覆い尽くし、
「私の好きになった人は」
眩い光が、視界の全てを染め上げた。
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