悪役令嬢ランナウェイ その21

 なず先輩の足下に幾何学模様の円が花開く。待ち望んだ蜘蛛の糸。

 同時、コロコロと大量の小箱が足下へとばらまかれ、瞬間、弾けた。炸裂とともに撒き散らされた小さな小さな素子が光り輝いていた魔法陣に纏わり付いて上書きしていく。

 夜を押し退けるほどの黄金の光だったのが、切れかけの蛍光灯のように力なく明滅を繰り返す弱気な灯りへ。時折、ノイズのような灰色が走り、送還魔法が明らかな異常動作。

 唸り声を上げながら青白い燐光を纏う刃が背中より引き抜かれる。逆手に握られた鋸剣が、目一杯高くまで掲げられて……


「せぇーのっ!!」


 耳が痛くなるほどの、金属音。豪速で振り下ろされた刃は狙い違わず魔法陣の中心を貫通。ガリガリ、不快な音を立て蒼い火花を散らす。刃は少しずつナニかを削っていく。

 魔法の光は目障りなブロックノイズへ。倍々ゲームのように増えていくノイズは、いつしかなず先輩の姿を覆い尽くしてしてしまう。

 バキり。

 硝子が割れるような音が、先に聞こえた。


「上手くいった……と、見ていいのでしょうね」


 カトレアが呟くと同時、飽和したノイズが何もない空間に亀裂を刻む。

 亀裂は瞬く間に広がり。遂には砕け散った。


「さっ、帰るわよ芹」


 砕け散った空間がキラキラと細かな硝子片のように拡散。中から出てきたのは輝きの一つも反射しない黒い装備に身を包んだなず先輩。


『これでお別れですわね』

「えっ、あ」


 いつの間にか、身体の主導権を手渡されていたことに慌て戸惑う。王子たちが叫んでいる言葉なんかに、耳を傾けている余裕は欠片もない。

 手を伸ばすなず先輩に向かって駆け出そうとして、一歩。足を、止める。


『……これから、どうするの?』

『今と同じように、ハッタリと口八丁でなんとかします』


 返ってきた言葉は鈍い芹にだって分かるほどの無理筋。なず先輩と芹というイレギュラーを失い、公爵家の後ろ盾を捨て、悪魔を呼び出すという最後の一手は破り捨てた。

 誰よりも状況が詰んでいることに気づいているのは、他ならないカトレア。


『目的はそれなりに達成いたしましたので、問題ありませんわ』


 その目的が見えない。衰退の一途を辿る未来を変える……大きな将来は見えるけれど、目の前の目的がひた隠しにされてハッキリと伝わらない。国の形を変える。他国に押し潰されないような強い国に成長させるのは、これから先。未来像が見えているカトレアが上に立てないと何の意味も無い。


『世話が焼けますね。挨拶もしていなかったことですし、丁度良いですわ』


 再び、主導権が奪われて動き出す身体。止めたはずの足は勝手に、なず先輩へと。


「さ、この居候を引き取って早々にお帰りくださいな」

「カトレア、短い間だけど世話になったわ。行きずりの相棒には惜しいくらいだわ」

「いえ、こちらこそ。わたくしも、このように繕うことなく誰かと接したのは初めてで、次があればゆっくりとお茶をしましょう」

「いいね。お茶菓子はこっちで用意するから、楽しみにしておいてね」

「きっと、わたくしの知らないお茶菓子なのでしょうね。本当に、楽しみですわ」

「じゃあね」

「えぇ、それでは」


 互いに、次はないと分かっていて。あえて口に出すような野暮でも無くて。

 なず先輩が伸ばした手をカトレアが掴もうとする。もっと言えば、カトレアの中にある芹という人間の核を渡そうとしている。理屈は分からないけれど繋がっているからこそ、理解できた。


《原因。不明。類推。コリジョン及び不定存在による割り込み》


「えっ?」


 視界が、ブレた。


「ッッ」


 ヒュウ、と内側が鳴る。肺から空気が叩き出された音だと、気付く間もなく。

 衝撃。背中から全身へ駆け抜け、痛みという荒々しい足跡を刻み込む。頭が真っ白になる、強烈な電気信号。肺が酸素を求めるが激痛赤一色は、呼吸の仕方さえ塗りつぶす。


《修正プロトコル01、エラー。修復プロトコル02、エラー。修復プロトコル03から1024、エラー》


 鼓膜の内側から聞こえてくる音。言葉のように聞こえるが意識を裂く余裕はない。チカチカ、明滅する視界。何故か座っているはずの玉座を遠くに捉えていた。


「どけッ」


 鼓膜を叩く銃声と芯の通った声。それが痛みと苦しさに、爪楊枝一突きほどの小さな穴を穿つ。

 再び、ゼヒュッ、と空気が鳴る。何秒ぶりかの空気がぺしゃんこだった肺に流入。どれくらい、吸い込めば良いのかも分からない肺は、容量以上の空気に驚く。

 思い切り、咽せる。


《損耗確認。縮退運転による再生成可能。推定状況から原因特定、対応プロトコル該当なし。存在定義三に設定。二系統での解決実行。対象へのクリティカル定義生成不可。デフォルト定義での実施とする》


『そのままっ、呼吸を続けなさいッ。二乗魔法ならば、回復可能のはずですッ』


 頭の中。違う。もっと中心から聞こえた。たった少し同じ身体に居合わせた、無二の相棒の叫び。

 ごっそりと何かが持って行かれる感覚も、今この瞬間においては、痛みを和らげる鎮痛剤。

 ぐちゅりぐちゅ。潰された内側が物凄い勢いで形を変えていく。激痛と痛みを並べる不快感に嘔吐感を覚えるも、吐瀉物の故郷が再生されていないが為、吐きようがなかった。

 無理矢理繰り返す呼吸で不快感を上塗りしようと必死。気付けば呼吸は荒くも規則的に。痛みは今も頭蓋骨の中を跳ね回っているが、痛いと言うことを理解できる理性が戻っていた。


『咄嗟の回復でしたが、応急処置にはなった、みたいですわね』


 未だに、頭の中はグチャグチャにかき乱されたまま。殆ど本能に任せて見上げた。

 不可視のナニかが……分かりやすい形、人の形へと変わっていく。白い衣服を身に纏った、若くも老人にも見える、中性的で真っ白、そして銀髪を持つ人型。神様と言われ想像するイメージがそのまま形を持ったよう。輪となって何重にも重なった光の川を背負う様相は、暗闇全て照らす後光。

 理屈ではなく、直感が超常の存在であると告げる。人という器が理解できる範囲を逸脱。まともな理解が出来ないことを理解。


《必死に頑張ってるところ悪いけど物理攻撃では、僕には未来永劫傷つけられないよ》


 存在は、突然、芹にもカトレアにも理解できるレベルの言葉を発信。銃声がどれだけ響こうと、四方八方で石壁が崩れる音が溢れようと、僅かのノイズも混じらず脳にまで届く。

 数え切れないほどのマズルフラッシュが視界のあちらこちらを飛び回る。銃声だと気付くのにそれほどの時間は必要ない。その銃を持っているなず先輩を不可視のナニかが這いずり回って追いかけているみたいで。

 つい先ほどまで居たはずの玉座が遠くに見えるのは、認識する間もなく吹き飛ばされたから。

 一体誰に? どうやって?

 疑問は、すぐに紐解けた。なず先輩が突き立てた剣を中心として立ち上る光の柱。そのすぐ側……つい先ほどまで芹たちが居た場所に、光輪を背負った人形。

 どう表現すればいいのか芹とカトレアの知識では不明。存在、としか形容できない。人という形をとっているだけ、言葉という媒体を使っているだけ。姿形だけは見慣れているけれど中身が一切計り知れない。

 未だ明滅する視界でも分かるほどに存在は穴だらけになって粉微塵……に、なったはずなのに、光輪から光が流れ込んで穴を塞ぎ何事もなかったかのように無機質に佇んでいた。


「他のみんなは……!?」


 咄嗟、左右を見渡す。それほど遠くないところに、王子をはじめとした面々が床を転がっていた。正解か、どうかなんて、どうするべきか、なんて。考えるより前に身体は動き出していた。

 数十秒前まで死に体だったこの身体。芹にとっては必死に走っているつもりでも、歩くのと変わらない速度。足取りも覚束ない。何度も躓き、堅い石床に叩きつけられそうになりながらも、精一杯、手を伸ばす。


「カトレアッ」

『分かっていますわ、よっ!!』


 両の手のひらが膝から下、一気に力が抜けて崩れ落ちる。寸前、地面に足を叩きつけるようにして踏ん張る。ダース単位で持って行かれた精神力はハンマーで頭をフルスイングされたのかと錯覚するほどの引力で意識を捻じ切る。意識が吹き飛びそうになるたびに、互いが互いの意識を引き上げて繋ぎ止めて、食いしばる。

 全員が淡い緑光に包む……回復魔法をかけていく。踏ん張り、耐えて、噛み締めていたけれど、ガクン、と膝が抜けた。

 ガス欠。数秒後には死ぬようなダメージを負った身体、聖女でもないのに再生させた上に、更なる回復魔法の行使。

 石床に顔面から突っ込む。受け身なんてとれるわけもなく叩きつけられる。痛い。


「カトレアさんっ」


 ドクドクと、鼻の中が熱い。ついでに、喉にも流れてきて気持ちが悪い。

 抱えられた身体、朧気な視界には、素朴な……とは、とても言い難い美少女。これで、パッとしないと評されるのだから、貴族の人たちの目は肥えすぎ。


 確かにリーナは可愛らしですが、貴族に求められているのは遠目からでも分かる華やかさなのですわ。それって派手派手しいのがいいってこと? 趣味が悪いって。ハデなのと華やかなのを混同している前提がおかしいのです。華やかさが行き過ぎたら派手って事でしょ。品のない華やかさが派手なのですわ。でもカトレア的にはリーナちゃんの点数高いんでしょ? 点数って、品のない言い回しは止めていただけますか? だってカトレアの好み分かるもん。わたくしだって理解されていることを理解していますが、改めて言わないでください。今から主人公の逆攻略なんていいんじゃない? 何がいいのか全くもって意味不明です。分かる、ほんと意味不明。今、何考えてるのかも。えぇ。うん。


 どうでもいいことばかりが頭を駆け巡る。芹のモノなのか、カトレアのものなのか。どちらのものとも分からない思考が、とっちらかって、混ざり合う。

 そのまま深い深い混濁に呑み込まれていった意識、が、急速に引き上げられる。


 バチッと、勝手に閉じられていた瞼が開く。


「流石に、死ぬかと思った」

『同感ですわ』


 意識を取り戻し、一息。辛さ苦しさで言えば、つい先ほどの幾つもの内臓がぺしゃんこにされた時の方が何倍も強烈だったが……精神力なるものを絞りカスの一滴も残すことなく振り絞った時、自意識の消滅が目前にあった。魔法を過度に使うと廃人になる とはこういうことか。二人、背筋を凍らせる。


「か、カトレアさん?」


 リーナが心配そうに、覗き込んでいた。

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