悪役令嬢ランナウェイ その11

 なず先輩と一緒に、少しの仮眠を取った芹とカトレア。

 思ったよりも早い増援に仮眠の余韻に浸る間もなく移動。どういうわけか街の片隅、路地裏に面する、ボロボロの一室へと身を寄せていた。

 気付けば、外はオレンジとダークブルーが半分ずつ。日が沈み始めていた。


 ギシ、となず先輩の腰掛けている、薄汚れ、埃まみれのベッドが軋みを上げる。年季が入り、もう何年も誰も使っていなさそうなベッドは、カトレアの部屋のモノと同じベッドだとは思わない対極なオンボロ具合。芹は何に使われているのかも分からないベッドに腰掛けるのがイヤだったから、これまた埃を被った椅子へと腰掛けていた。当然、埃は払っている。

 芹の頭の中、眠る前の一言が、ずっと、頭に響き続けている。街中で聞いた歌の一節が、ずっとこびり付いて離れないように。


『私、何もしてない、のに』


 ここからは私達が主役。なんて。

 世界の壁を越えてまで芹を助けに来てくれたなず先輩とも、運命を変えるために茨の道に躊躇いなく踏み込むカトレアとも違う。


『そこまで気にするようなことでもないでしょう』

『私、巻き込まれただけで、何をしたいのか自分でもハッキリしてないのに……一緒に居てもいいのかなって。いや、離れられないのは分かってるんだけど……』

『要領を得ません。ハッキリといいなさい。帰りたい、という気持ちに偽りはないのでしょう?』

『それは、そうなんだけど……なんて、言うのかな』


 何かを成し遂げたい、普通ではない体験をしたい……そう言った、非日常や達成への憧れは確かに人並みには有る。けれど、芹の胸の中で渦巻くモヤモヤは少し違う。


「これ、結構いけるね」


 そんな、正体の見えない悩みを抱いている芹とは対称的。もぐもぐ、と、露店で買ってきて貰ったブリトー……のようなジャンクフードに舌鼓を打っているなず先輩。食べているモノは、見た目はブリトーっぽいけれど、生地は重たく固めで少しパサパサしている。味付けも、とりあえず、塩気で誤魔化している感は否めない。とはいえ、芹自身舌が肥えている方では無いので、ジャンクな味は結構好き……なハズなのだけれど、食が進まない。部屋が埃っぽいから食欲が落ちている……というだけではなくて。


「……むぅ、嫌いじゃないハズなんですけど、すっごい、雑味とか、素材の質が悪いというか……なんか、美味しく感じられないです」

「ありゃ……」

「多分、カトレアの舌が繊細……なのかも」

『ですわね。あまり、進んで頂きたいとは思えませんもの』


 この状態に慣れ始めているけれど、改めて考えれば考えるほど不思議。意識は二つで身体は一つ。舌という感覚器は一つなのに、二つの意識が同時に味わっている。隠し事もロクに出来ない。

 ちなみにこのブリトーは、部屋の隅でボロ雑巾のように縮こまっている、治安の悪さの象徴、チンピラさん三人組が買ってきてくれたもの。

 公爵家は、いつ武装した騎士団を始めとした部隊がゾロゾロと押し寄せてくるか分からないので、早々に引き払ってきた。出来るだけ整地された道は使わず、雑木林なんかを突っ切って街にまで到着。

 アーマーなるものを再装着したなず先輩にお姫様抱っこをされて、三半規管がグチャグチャになってしまう地獄の特急列車。出来るだけ公爵令嬢であることがバレないように、と人が居ない場所へと流れていくと、自然と、治安の悪い場所へと辿り着く。

 所謂スラムに現れた上等な衣服を身に纏う比較対象を挙げることすら難しい美人。正に、掃き溜めに鶴。格好の獲物、だった。


「も、もう、帰ってもいいスか? ここには近寄らないように、仲間にも言いつけておくんで……」

「俺達が悪かったですから、勘弁してくださいよっ、お嬢……!!」


 が、相手が悪かった。悪すぎた。なず先輩がチンピラトリオを伸すのに、十秒もかからなかった。隠れるのに丁度良さそうな場所へと案内させただけではなく、お腹が減っていたこともあり、適当に食べ物を買ってこさせた。所謂、使いっ走り。

 なず先輩がブリトーもどきを食べるために、フェイスシールドを解放。チンピラさんたちに『お嬢』と呼ばれて、物凄く眉間に皺が寄っていたのは完全に余談。


「だ、そうだけど、どうする?」

「どうするって言われても……」


 偶然、鉢合わせただけの、名前も知らないチンピラさん達。このまま、帰してあげればいいのでは? と、思っていたが、ピコン。頭の上、電球が咲く。


「あっ」


 一つ、ちょっとした作戦を思いつき、手を打つ。見た目はどこぞの深窓のご令嬢……なのに、言動が庶民そのもので、他所から見たアンマッチ感が凄そう。


「折角だから、私達が街中に現れて暴れてるって衛兵さん? に、伝えて貰うってのはどうですか?」


 今、騎士団と言った精鋭達は公爵家へと力が割かれている、ハズ。その上、街にも目撃情報が上がったとなれば、更に戦力の分散が図れる。少なくとも、情報を錯綜させることは出来る……かもしれない。と、いう希望的観測。


「……時間とか、見た場所とかをズラせばあり、かな?」


 なず先輩に却下されなかった。つまるところ、芹の提案はそれなりに、有用だと判断されたらしい。少しだけでも力になれたのが、嬉しい。


「っていう事なんだけど、私達二人にボコされたって衛兵とか、そこら辺に言ってくれたら、解放してあげる」


 チンピラさんたちが最初に喧嘩……というか、何処にでも転がっているような絡み方をしてきたものだから、なず先輩のエンジンは掛かりっぱなし。チンピラさん達は、圧力に縮こまって、ぺしゃんこになってしまいそう。


「そ、そんなことをして、あんたらになんの得が……?」


 一人、大柄な男の人が、ボソッと問いかけてきたけれど、すぐに、目つきの悪い中肉中背の人が、割って入る。


「やめろっ。こういうワケ分からん連中に、これ以上、深入りすんじゃねぇ……!! 解放してくれるってんだから、頭を縦に振っときゃいいんだよ」


 その言葉に、もう一人、無口な痩身も頷いていた。威勢良く刃物を取り出して脅してきた見事な小悪党っぷりを疲労してくれた。けど、なず先輩に刃ごと握りつぶされて、泣きそうになっていた人でもある。


「そ、そうだよな……わ、わかったっ。言うとおりにすればいいんだな?」

「そっ。ここに隠れてることさえ言わなかったら、別に結果は求めないわ……」


 正直なところ、全く信用の欠片もしていない、チンピラさん。きちんと言ったとおりにしてくれるとは、芹も、なず先輩も思っていない。本当に言うことを聞いてくれたら、ラッキー、くらいのもの。この小細工の一番いいところは、失敗したところで、何にもリスクが無いところ。仮に、この場所をバラされたとしても、その前に逃げることくらい簡単。

 なず先輩の言葉を最後に、走るように、転びそうになりながら去って行く三人組。元はと言えば、自業自得だけれど……ただでさえ腕っ節が尋常じゃないなず先輩に、スーパーアーマーだか、スーツだかが装備されているのは反則だと思う。これを機に、更生してくれるのを祈るばかり。


「この後、お城に忍び込む……けど、その前に、一つ、大きな関門があるのを忘れてないわよね」

「関門っていうと……?」

『騎士団……と言った敵勢力の事ではなさそうですわね。ナズナさんなら喜々として、相対しそうですもの』


 同感、とカトレアに返しながら、首を傾げる。上手くいく保証の無い穴だらけの作戦だから、障害は数えれば数えるほど思いついてしまって、キリがない。


「人質が必要だと思わない?」

「人質。ひとじちっていうと、あの、『こいつがどーなってもいーのか!!』っていう?」

「なんかバカっぽいけど……そうね」


 意外、とまでは言わないけれど、なず先輩はそういう卑怯というか回りくどい方法を取るだなんて。


『いえ、よぉく考えなさいな。姿を消した奇襲に、遠距離からの一方的な攻撃。極めつけは魔法防御物理防御完全無視反則熱線。子供の騎士ごっこ遊びに重装騎兵が乱入するが如き所業を卑怯と言わずなんと言いましょう』


 カトレアがこんこんと、なず先輩の所業を並べていく。一つ一つ、陳列棚に並べていくように。そりゃあ、なず先輩の装備……剣と魔法のファンタジーを地で行っているこの国からすれば、インチキもいいところ。芹からすると、魔法だとかいう謎エネルギーの謎現象だって十二分に無茶苦茶。価値観の違い、みたいなものだろうか。

 なず先輩はグッと、伸びをしてベッドに倒れ込んだ……けど、すぐに身体を起こした。心なしかツインテールが萎れたように見える。


「カトレアのベッドと違いすぎて身体が拒否したわ」

「カトレアのと比べたら、そりゃあそうですって」

「……ともかく、人質が居れば、それだけこっちの要求を通しやすくなる。真っ当に、正面衝突をするんじゃなくて、如何に送還魔法とやらを使わせるのかがキモなんだから」


 騎士団を公爵家へとフィッシングしているのも、街の中でわざと目撃情報をばら撒くようにお願いしたのも、ひとえに戦力を削ぐため。勝利条件は帰ることであって、打ちのめすことではない。


「送還魔法を使ってくれるように誘導するにはどうすればいいと思う?」

「そうですねぇ……ラスボスっぽく見せる演出?」


 この世界を知らないなず先輩に頼られたと言うことで、薄っぺらいお腹に力が入る。芹だけでは、生の人間を知らない、外から見たデータとしての情報しか無い。けれど、ここにはもう一人、とびっきりの情報通がいる。


『悪魔に関する召喚魔法然り、送還魔法然り、扱うのは簡単ではありません。大前提として、触媒を扱う資格を満たしているかどうかが、第一条件となりますわ。恐らく、これはクレィス様……或いは、聖女であるリーナさんならば有していることでしょう』


 瞼を閉じると大きな会議机に二人向き合う……ようなイメージ。脳内会議、と言ってもいい。世間一般で言う頭の中での一人相撲とは違って、本当に意見を交わしている。これこそが、真の脳内会議といっても過言では無い、ハズ。

 悪魔という、この世界におけるラスボス的存在が誰にでも召喚できたら世界なんて、一週間足らずで終わってしまう。芹たちの世界で言うなら、国民皆がミサイルを発射できる状況に近い。


『それを扱うためには相応に魔法に通じていることが第一条件。わたくしが、辛うじて使えるかどうか……なのですから。他にそれほど魔法に造詣が深い人物となると、キーレル大司教、あたりですわね」


 ポンッ、と白煙を立てて現れた大きなホワイトボード、そこにカトレアがキュッキュッとボードマーカーを走らせていく。書きやすいですわね、なんて感想を溢している。

 すぐに慣れたのか、綺麗に字を並べていく。意識を共有しているからか、字は読めないはずなのに意味が理解できる。


『魔法部隊や研究者を探せば上は居るでしょうけれど、得策とは言えません。手札が見えない相手は困りますもの。その上、有効な人質がわかりませんから』

『送還魔法に気付いてくれるくらいに知識があって、その上で使うように道筋を立てられるのはキーレルくんくらい、か』

『えぇ。魔法に関してはわたくしよりも造詣が深いキーレルさんならば気付くでしょうね』


 キーレル、というのは王子三人衆のブレーン枠。魔法の知識と実力を持ち合わせた、所謂便利キャラだったりする。

 なず先輩に氷で出来た杭を、プロ野球の剛速球以上の速度で雨霰と正確にぶつけてきた相手でもある。なず先輩は全部、軽々と迎撃していたけれど、カトレアの中から見ていた芹は肝が凍り付くかと思った。


『送還魔法が使えそうなクレィス王子とキーレルくんに有効な人質……なんて、考えるまでもないよね。これ以上ない、適任が居るんだもん』

『えぇ。演出としてはこれ以上無いほど、ありきたりですが……ありきたりだからこそ、その状況は、勇み足に拍車を掛ける副効果も期待できますわね。ナズナさんのラスボスっぽさというオーダーにも対応しているのではないでしょうか?』

『あの、魔王っぽいってやつかぁ……うん、これ以上ないくらい、分かりやすいね」


 ホワイトボードの余白全部を使って、デカデカと書かれた赤い文字。芹とカトレアの間では、もう誰を攫うべきか、満場一致の答えが出ていた。カンカン、と裁判長が鳴らす木のハンマーを打ち付けて結論を出した。

 最後に、赤文字の周りに沢山の補足……どうやって、を書き連ねて、会議は円満終了。


「ヒロイン……リーナ=レプスを攫うのがベストだと思います。それも、多数が見ている中で堂々と」


 瞼を開き、脳内会議室から退室。なず先輩に答えを告げる。

 どうしてか、と理由を説明しようとしたのだけれど、立ち上がったなず先輩に言葉を遮られる。


「いいわよ。二人が考えた末に出た答えならそこに挟む口は無い。私がするのは、出した答えを表にするだけ」


 割り切っているのか、信頼してくれているのかは分からない。でも、ハッキリキッパリしているなず先輩は清々しくて、芹の憧れ、そのまま。

 なず先輩はベッドの上に乱雑に転がしていた装備の一つ一つを手に取って、カチャカチャ、と弄くり始める。何をしているのかは分からないけれど、何を意味しているのかだけは分かる。


「コインの表と裏、その内訳は?」


 一つ一つが、この三人の頼みの綱。全部が全部、最終兵器。魔法も後ろ盾も殆ど無い芹たちにとって、頼る術。中身の伴ったハリボテ。


「学園に強襲して電光石火でリーナを誘拐、そのまま王城へと突っ込んで、乗っ取ります」

「どうやって?」

「貯金と人質は多ければ多いほどいい……とびきりの人質がお城には居ますから」

「大は小を兼ねる……王様とかも、人質にするってことね」

「はいっ。そこまで行けば、殆どは私達の要求を呑まざるを得なくなると思います。というか呑んで貰わないと困ります」

「暴走して突っ込んできたら、腕の一本や二本を見せしめにする……って、ほんと、絵に描いたような悪いヤツね」

『この国の王とリーナさん達を手にした時点で、盤面はわたくし達にあると言っていいでしょう。ナズナさんの言うとおり下手な抵抗が、国王を傷付ける理由にされたとなれば、大多数は身動きが取れないですから』


 なず先輩の口から出てきた物騒な言葉。そこまでは言ってない……と芹は思ったけれど、カトレアが深く頷いていたので、声には出さなかった。二対一で、多数決だと負け。


「結構、大味な作戦だけど、細かいところは?」


 無茶苦茶な作戦、だというのは百も承知。かなり、なず先輩に負担を掛ける。

 例えば王様のことを嫌っている勢力が居るとしたら、自分の手を汚さずに始末できる格好のチャンス。例えば、カトレアに同調する貴族が現れた時にどうすればいいのか。例えば、例えば……。


「度胸でなんとかしますっ!! 私達がっ!!」

『いい口上です。もう、わたくしも後に引けませんから……バカみたいに前に踏み出してくれるのが、今は心強いですわ』

「いい口上だわ……それくらい元気な方が、私も頑張れる」


 後は、ハッタリで埋め立ててしまう。ハッタリで埋められた穴に足を突っ込んでしまった先が、真っ逆さまの奈落の穴だとしても構わない。落ちる前に駆け抜けてしまえばいい。

 装備を確認し終わったなず先輩は、背中や各部へと装着し、準備完了。

 芹も、立ち上がる。手には何も持っていない。荷物は何一つありはしない。

 あるのはこの身一つと、心二つ。


「私たちの世界に帰るついでに、この国の歴史を変えてしまいましょう!!」


 無駄に芝居がかった口調でも、恥ずかしさは沸いてこない。状況が、感覚を麻痺させる麻酔になっているから。後は、この麻痺を広げるだけ。王子達にとびっきりの麻酔をぶち込む為に、なず先輩に手を伸ばし……ボロ窓を開け放った。


「もう夜ですから、作戦決行は明日の朝ですわよ」


 開け放った先は外套も月明かりも差さない真っ暗。


「締まらないなぁ」

「うぅ……自覚してます」

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