悪役令嬢ランナウェイ その10

「いや、わた、私はもう凄い、サイボーグだから、いい、のよ?」


 言葉と、態度が渋滞を起こして盛大な玉突き事故。何を言っているのか、自分自身でさえ意味不明。


「でも、休んだ方がいいんですよね?」

「いや、いやいや、だって、芹は、その嫁入り前の大事なアレなんだからダメでしょそんなのっ」


 移動のためのお姫様抱っこも、その場のノリの忠騎士ごっこも、必要だったから出来たこと。本来、人との、それも同年代の少女との交流経験値がゼロに等しい菜沙。

 普段は話すことさえままならないのに、同衾なんて、難易度が高すぎる。


「嫁入り前って、ヘンなの。一緒に寝るだけなのに」

「ぐっ……!! でも、私、ほら、ゴツゴツしたの着てるし、邪魔の化身だから、さ。ほら、カトレアも居るから、ね」

「脱げば良いじゃないですか」

「で、でも、もしもの……」

「少しなら大丈夫って私の信頼する先輩が言ってたので大丈夫ですっ」


 流石に、同じベッドの上、隣同士という距離の近さには全く以て耐性が存在しない。せめて、もう少し、段階を踏んで貰わないと、パンクしてしまう。


「なず先輩がすぐそばで守ってくれるって事だから、全然オッケーって意見一致してますよ? あと、綺麗だから、不快感もないって」

「でも、だって、会って二日よ? カトレアに至っては半日も経っていないでしょう? そんな相手を信用しちゃダメよ、うん……いや、私が芹をどう思ってるとかじゃないのよ? ただ、ほら、芹はこんな私みたいな怪しい相手を信用しないほうが良いって言うか」


 一緒にお茶するのが、今のところ精一杯。誰かと寝るなんて、理由の分からない恥ずかしさで、悶えて捻じ切れてしまいそう。

 だから、座って、見守っているのが丁度良いのだ、と、イマイチ筋道立っていない説明をしようとした時に、しゅん、と小さくなる芹。雨が降って散歩が中止になって耳を萎れさせる子犬みたい。

 キュウ、と胸が……主に、良心が締め付けられる音。百戦錬磨、あらゆる人外反則バケモノ連中を相手にしてきた菜沙だからこそ、次に、芹が放ってくる必中不可避の言葉の弾丸が読めた。

 だから、なんとか、先手を、打つ。


「えっと、イヤというワケじゃないの」


 イヤなんですか? なんて言われた日には、もう逃げ道はゼロ。だって、イヤではないから。


「でも、知らない相手と、一緒には、止めた方がいいって思うなー、なんて」


 グルグルと同じような説明を繰り返す菜沙。落ち込んでいた芹が、パッと顔を上げた。一瞬ふくれっ面をしたかと思うと、徐々に無表情になっていく。

 こわい。


「もう、なず先輩、面倒くさい!!」

「ぐっ……!!」


 ド直球ドストレートド真ん中。鳩尾にめり込んだ言葉は、どんな魔法よりもキツい一撃。鉛の塊が打ち込まれたかのような重さ。

 ペタと、芹の両手が、菜沙の両頬に着地。そのまま、ぐいっ、と目を見られる。必死に逸らそうとするも、それを許さない、視線を意地でも合わせようと動く芹の手。


「私はなず先輩と一緒にお昼寝したい!! ここまでは分かりますか!?」

「は、はぃっ」


 へたれた部分……相手が敵ではない、立ち向かうべき理不尽じゃないとなった途端、使い物にならなくなる社交性。コミュニケーション能力が脆弱であるという自覚はあった。


「一緒にお昼寝したいから、一緒にお昼寝しましょう!! してください!!」

「は、はいっ」


 気が付けば、勢いに飲まれてこく、こくと、頷いていた。

 芹は、にんまりとフニャフニャした笑顔を浮かべる。カトレアが主導権を握っていたなら絶対に見られないだろう表情だった。


「わかった。わかったからっ。どうなっても知らないわよっ……!!」

「ど、どうにかされちゃうんですか?」


 予想外の言葉を返されて、自分自身で墓穴を掘ったことを悟る。


「それは、流石に、カトレアが怒るというか、私の身体じゃないですから……」

「ち、ちがっ……!! そうじゃなくて、こう、油断してピンチになるかもしれない、っていう話で……」


 どうして、自分はこんなに焦っているのだろうか。フッと、荒波立っていた心が凪ぐ。言うなれば、お祭り騒ぎしている教室内で一人だけ、平常と変わらない状態で居るような、場違い感。

 深呼吸にも似た溜め息を大きく吐いて項垂れる。がっくり。それから両手を挙げた。


「もう降参。これ以上、揶揄わないで……私のキャパシティ、そんなにおっきくないの」


 ぷらぷら、と挙げた両手を力なく揺らす。菜沙のコミュニケーション回路が熱を持ちすぎて、エンジンストップ。


「わかりました……って言っても、揶揄ってたつもりはないんですけど」

「尚のことタチが悪いわよ」

「あいたぁっ」


 ぺしん。渾身の手加減の元、放たれた原初の一撃……通称デコピンが芹の額を撃ち抜いた。痛みに額を抑える芹……の目が、途端吊り上がり、キッとカミソリのように鋭い視線へと変貌。


「ちょっとっ、人の身体で好き勝手し過ぎですわっ。いい加減にしてくださいまし!!」


 髪を逆立てて唸るカトレア。目的を達するまでは、そこに全ての労力を注ぎ込む……みたいなスタンスをしていたけれど、いい加減堪忍袋の緒が切れたらしい。なにやら、手にぼんやりと光が集まり、風が渦巻き始めた。


「ストップストップ!! 私は悪くないでしょっ」

「知ったことではありません!! 同罪です、同罪!!」


 小さな風の球体。マイクロ台風が部屋の中、カーテンやシーツ、あらゆるものをはためかせる。


「ほら、悪かったからっ。早く寝るわよ!! こんなことで体力使うのもバカらしいったらありゃしないんだから」


 目の前のベッド。それから、柔らかそうな制服ドレスを身に纏った芹達を見てから、自信の格好に視線を降ろす。


「……流石に、脱ぐかな」


 ゴツゴツとした外殻着装を着たままでも眠れるが、目の前には最高品質のベッド。味わって眠らないと勿体ない。厳つい装甲を纏ったままだと芹たちも落ち着かないだろうから。

 バシュ、空気の抜ける音が部屋に響く。半自動でシェルスーツの各部が解放され足下に向かって小さく形を変えていく。最終的に、足以外全てのシェルスーツから解放され、仕上げとばかりに足を引き抜いて一気に身軽になる。再び装着するときは足を突っ込めばいい。

 格好としては、ベーススーツのみ。これでも、十二分に戦闘は出来る。

 脱皮のようにシェルスーツをパージするのを、ジッと見つめてくるのはカトレアか、芹か。


「その格好、ちょっと、えっちですね」


 ぽんっ、と間の抜けた音とともに、思考回路が破裂した。


「は、ハァ……!?」

「だって、身体のラインが少し出てるっていうか……な、なず先輩、元々スタイルいいから余計に意識しちゃうっていうか……」

「思っても、口には出さないでよ……!! 恥ずかしくなるでしょ……!!」


 確かに、内殻着装……ベーススーツは有り体に言ってしまえば全身を覆うタイツみたいなモノ。幾何学的なデザインが入っていたり、外付けの人工筋繊維が編まれている上、防刃防弾防寒防熱耐衝撃を兼ね備える関係上、厚みはある。厚みはあるが、身体にフィットするように作られているのも事実。

 戦闘用の格好だから意識したことは無かったけれど


「そういうのを考える芹の方がよっぽど助平でしょっ」

「で、でもっ、カトレアだって私と一緒に見とれてて……」

「ま、巻き込まないでくださる!?」

「もうっ、これが終わったら幾らでも見せてあげるから寝なさいっ」

「別にわたくしは見ていませんし、何も思っていませんわっ」

「わかった、わかったから」

「絶対に分かってませんわよねっ」


 咄嗟に、ぐるり、カトレアの身体を向こう側へ向ける。社交ダンスのように綺麗に背中を向けたカトレアを、そのまま、半ば強引にベッドに横たえた。菜沙もまたベッドに横になって、カトレアが暴れないようにベッドに押さえ込む。片手だけで。ロマンチックさの欠片もないドタバタ。修学旅行ではないというのに。


「くっ、ビクともしませんわ……!!」

「力じゃ勝てないの分かってるだから、早く寝なさいよ。こっからが山場なんだから」


 ジタバタと藻掻くカトレア。それも、菜沙に押さえ込まれ続け、途端に力が抜けた。ゆっくりと手を離すと、寝転がったまま、くるりと菜沙の方を見た。


「納得はしませんが、もういいです」

「んっ、寝なさい寝なさい」

「言われずともそのつもり、ですが……一つだけ」

「なに?」


 出会って間もない、とんでもなく綺麗な公爵令嬢のベッドで、その本人と横になっているという事実……理不尽とか、理解できない事象に耐性があるはずなのに、菜沙の心臓は早鐘を打ち、背筋はくすぐったく、さわさわする。


「形だけでも契約を結んでおこうかと思いまして、コレの」

「契約、ねぇ」

「わたくしたちのウソに真実味を持たせることが出来るなら、少しでも出来ることは試しておきたいのです」


 カトレアが指さしたのは首元のチョーカー。本来であれば悪魔とやらを御するための道具。今となってはタダの首飾り。


「本来の契約では、対価として贄を捧げることで初めて成立するのですが……何か欲しいものはありますか?」


 欲しいものと言われたって、特に何も思い浮かばない。今、菜沙が望んでいるのはただ一つ。


「特にないよ。私たちを帰らせてくれたらそれでいい……一緒に居る間は仲良くしてくれるとやりやすいくらい」


 カトレアは小さく頷く。菜沙たちの目的を知っているから……もっと言えば芹と繋がっているから、そこにウソが無いことを分かってくれる。


「了解しましたわ。わたくしも常に気を張らなくていいならそちらの方がありがたいですから……って、今のわたくしたちを見れば、今更かも知れませんね」

「そりゃそうだわ」


 国内一のお尋ね者だというのにも関わらず、ベッドで横になっているのは間違いなくのんき。自分で言うことでは無いけれど、それなりに仲が良いというか、相性が良くないとこうはならないと思う。


「では……」


 カトレアが左手の人差し指を、目の前に差し出してきた。

 契約って何をするのだろう。それ以前に、菜沙には魔法が正しく作用することは、恐らく無い。良性悪性問わず、別世界の法則を否定するように作られているから。

 差し出されてきた指に、小首を傾げているとそよ風とともに、パックリ、指先が小さく割れた。滲み出てきた深紅が丸く集まって玉の形のルビーとなって少しずつ大きくなっていく。


「……受け取ってくださいな」

「う、受け取るって……」


 血の碧玉を乗せた指先が、唇に触れるか触れないかという近くにまで寄る。直接ふれあっていないのにカトレアの持つ体温が伝わってくる、指先の血の匂いが本物であることを嗅覚が教えてくれる。


「血は何にも勝る魂の通貨。譲渡すること即ち、魂を捧げること」


 滔々とした小川のような語り口は、至って真剣。菜沙もまた真剣なつもり。口元数ミリまで寄せられた指の意図を解せないほど鈍くない。分かってしまうからこそ、躊躇ってしまう。

 血どころか臓物だって見慣れている。


「イヤじゃない? 私は、全然いいん、だけど」


 日和った。


「全く」


 バッサリ、即答。ジッと見つめ合うこと十秒と少し。少しも逸らされない目。

 溜め息一つ。腹を括る。

 いただきます、そう内心で呟いて、差し出された指をゆっくりと咥えた。


「ん」


 舌で触れるカトレアの指は、やっぱり滑らか。そして、傷口と、その上に玉となった血液を舌で掬い上げる。唾液と混ざり合ったカトレアの血液が、舌の上をナメクジのように這い進んで、そのまま喉奥へと滑り落ちる。

 ぼんやりと、本当にうすぼんやりとカトレアの瞳が光を帯びた……けれど、すぐに消えてしまう。


「……やはり、アナタ相手ですと上手くいきませんわね」


 呟くと同時、菜沙から指を引き抜くカトレア。濡れた指先には菜沙の唾液が絡みついて、ツゥと細くてらてらと光沢した橋が架かる。

 その小さな橋はすぐに、指先を中心として湧き出してきた小さな水渦に巻き込まれて消える。渦が消えると指先には唾液どころか、傷跡さえ消えていた。


「便利なもんだね」

「わたくしが優秀なだけです。複数属性を満遍なく操れるのは、並大抵のことではありませんのよ。それに今は不思議と調子が良くて魔法のキレも違うのですが……伝わらないでしょうね」

「んっ、伝わらない」

「はぁ……もう、寝ますわよ」


 それだけ言うと、瞼を降ろしたカトレア。瞼と一緒に降ろされるまつげが長くて、思わず目で追う。

 菜沙もまた、寝ようか……とした瞬間、閉じたばかりのカトレアの瞼がぱっちり、開いた。


「えっ、あ、ぅ」


 切れ長だった眼が、まん丸と見開かれて、茹で上がったタコのように顔を真っ赤にしていく。その視線は菜沙の顔と唇と……それから、自身の左人差し指を何度も交互に見ていた。

 カトレア、全く芹に同意も説明もなしにやったのだろうか。いやでも、身体はカトレアのものだから……なんて、正当性を考えるのもバカらしくなったので、肩を竦めてから一言。




「おやすみ、芹」

「おっ、おやすみなさい、なず先輩」


 色々、本当に言いたいことは山積みだったけれど……それは、全部が片付いた時に取っておこう。束の間の休息を、大事に味わうことに気持ちを傾ける。


「頑張るのよ。ここからは貴方たちが主役なんだから」


 菜沙も、カトレアも、芹も。ビックリするくらい柔らかくて寝心地の良いベッドに沈み込んで、幸福感に包まれている。これまでの人生にどれだけ差があっても、今味わっている心地よさだけはきっと、同じ質量で。

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