悪役令嬢ランナウェイ その23

 撃つ、駆ける。

 撃つ、跳ぶ。

 避ける、撃つ。

 避ける、撃つ。避ける。

 避ける、避ける、避ける、避ける。


「クソッ」


 一方的な詰め将棋のようにじりじり、磨り潰されていく。ウッドペッカーを強く握って反撃を試みるがダメージは極僅か。その僅かな損傷さえも数秒後には塞がっていく。

 ぞわり。鋭い悪寒が全身を突き刺すように駆け巡る。咄嗟、その場を踏み砕く力強さで持って跳び退き、上下反転。重力に逆らい、天井へ着地。即、反転。左前方、壁面に向かって最大加速。人体再構築による基礎能力の大幅底上げ、覆革着装の特殊繊維による更なる身体能力向上……そして、外殻着装のブースト噴射による加速。

 一瞬にして飛行機の最大速度すら易々凌駕、縦横無尽な無軌道さは最新のドローンを一笑に付してしまえる。過剰に鋭く研ぎ澄まされた五感というセンサーが人の枠を越えた高レベルで重なり合い言語化不能脅威を感知する第六感へ昇華。

 こちらの世界に飛び込んでから発揮することのなかった装備フル稼働させての全力戦闘。

 最大限の能力を発揮。生き物という枠組みから逸脱した化け物を相手にしても理不尽に押し潰されずに渡り合えている。ただし、どうしようもないほどのジリ貧。押し潰されるまでの延命が出来ているだけと言ってもいい。

 理由はシンプル。菜沙からの攻撃が、攻撃たり得ないから。

 向こうは一撃でも当てることが出来れば、試合終了。対する菜沙はどれほど紙一重、薄皮一枚の回避を百、二百と積み重ね反撃を試みたところでノーダメージ。


《抵抗は無意味。こちらだと前回ほどの弱体化は図れないようだし。あの熱線も使ってしまったんだよね》

「二回もぶん殴られに来たのねッ、」


 唯一の救いは概念的な即死攻撃とか、回避不能な攻撃が飛んでこないこと。

 未だに光の柱は収まることなくそびえ立っている。無理矢理こじ開けた大穴は、静観を決め込んでいた干渉者を出張らせるだけのモノであることは間違いない。

 結果として弱体化に繋がっているのだろうが……あの大穴を開くのにOWBを使い切った。最後にちょっかいを出してくる可能性は考慮していたが、出し惜しみをして失敗するとその時点で詰み。最大限に投入する必要があった。残りは外殻着装にデフォルトセットされている、腕部から撃てる擲弾OWBが左右一発ずつの計二発。

 弄くり回した脳のど真ん中が、けたたましいほどの警報音を嘶き散らす。高速移動して中空にいる瞬間に合わせられた不可視不可避一撃。身体を駒のように全力で捻り、更に、ブースター噴射によって、過剰なまでのジャイロ回転が加わり軌道が捻じ曲がる。

 かなりの弱体化をしているみたいだが、それは菜沙も同じ。通じる装備は手元になく、手持ちで有効打を与えられそうな鋸剣も、光柱の中心に突き刺さったまま。

 さしずめ、干渉者にとっての菜沙はうざったい小バエ。芹たちなんて、もはや認識すらしていないのか

 とっとと小バエを潰して、ぶち開けられた穴を閉じるなり処置したいといったところだろうか。


《もう諦めて、そこにいる一人と一緒に此処に居れば? 好きな特典つけるよ? どんなチートがいい? 平穏とかつまらないのはいつもなら却下にしてるんだけど、今回は特別サービス。普段ならつけないような特典だってプレゼントするよ?》


 友人のような口調。けれど、攻撃の手は一切止まない。取り込めればよし、物理的に排除できても良し。なんであれ、自体の原因を無効化できればなんでもいいのだろう。死の砲火で踊らされている菜沙からすればたまったものではない。

 ツインテールが右へ左へ、上へ下へ。死の匂いを嗅ぎ分けろ。


「怪しいヤツから物を受け取ったらいけませんってのがこっちの、習わしなの、よッ」

《どうしようもないでしょ、この状況。ここでは増援が望めないよ?》


 詰みの一歩手前。一発逆転の芽は未だにない。何をどう足掻いても磨り潰されるばかり。

 確かに、菜沙の常套手段の一つである吶喊して、厄介な相手に対しては足止め。他部隊の増援を待つという手は使えない。


「これくらいがどうしようもない? 勝ちの目がないだけの状況が? 増援が望めない?」


 思わず嗤ってしまう。この程度の危機で諦められるような小器用な精神は残念ながら持ち合わせていない。


「たかがミスったら死ぬだけのイライラ棒ごときで威張れるなんてちっさいのよ」


 この程度、何だというのか。万全であっても、常識が通用しない連中に追い詰められるなんて日常茶飯事。それら全てを乗り越えてきた。

 見上げても果ての見えない壁。世界の端に到達したかのような深い溝。菜沙が相手にしているのはそういった理不尽そのもの。

 理不尽全てが菜沙の道。


《複数特典も許すよ。これでどう?》


 くどい、と言いかけた瞬間。

 ぞるり。生ぬるい粘液が身体中這いずり回ったかのような気持ち悪さ。背筋が粟立つ。

 我武者羅、その場から弾かれるように退避。が、それでも遅い。

 目前、真っ黒で巨大な箒のような束。ぶつかる寸前、ブースト噴射全開。回避不可能なら、軽減。


 衝撃。壁か床のどちらかに激突。ダメージを受けている最中の身体が動かない。ならば、ブーストのみで強引に身体を石の中から引きずり出す。

 バクン。コンマ数秒前まで居た場所から、腹の底が冷たくなるような音。


《普通は触れた時点で呑み込まれるハズなんだけど、物理的接触になってしまってるみたいだ。残念》

「クラックラ、する。私じゃ無かったら死んでるわよこれ」

《うん。キミじゃなければ死んでたんだけどなぁ》


 体制を立て直し振り返る。居たのは真っ黒な……闇そのものが形を持ったような黒。ドラム缶のような太さの四つの足と電柱のように長い尻尾。目と思われる赤光二つ。口元にも真っ黒な牙、菜沙がぶつかった先が牙でごっそりと削り取られていた。四足を持った二十トントラックサイズの黒犬のような獣。

 先ほど、菜沙を襲った衝撃波、こいつの腕か尻尾。大きさ以上の威力は生き物が出せていいものじゃない。ここにきての新手に舌打ち一つ。


《折角だから本物を連れてきてみたんだけど、どうかな?》

「手抜きデザインだわ。まだ、私の方がよっぽど可愛いわよ」

《まだやる?》

「当然」


 直後、不可視の絨毯爆撃。直感に従った加速が命を繋ぐ。

 干渉者への直接攻撃はほぼ無意味。ならば潰せるところから先に潰す。


「なっ……!!」


 銃口を黒獣犬へと向けた時、どぷん、と何もないその場に溶けて消えた。墨汁のような黒い跡だけを残して。

 瞬間、音もなく菜沙を囲む黒。ブースト回避するも、移動先には当然のように不可視の攻撃。


《闇はどこへでも消えるしどこからだって現れるっていう特性を体現した悪魔で、結構お気に入りなんだけどなぁ》


 身体を捩りながら飛び退くも、再び菜沙を一息に食い殺そうとする黒獣犬が消えて、目の前に現れる。瞬間移動と言わんばかりの速さ。だが、引き金は既に絞っている。噛み砕かれるより前に無数の鉛玉が獣を貫通。容赦なく穴だらけにする、も。

 少しも怯まない。黒獣犬に対して足止めにもならない。

 得体の知れない顎門に噛み砕かれる前に鼻っ柱を蹴っ飛ばし、反作用で距離を取る。音もラグもなく現れる黒獣犬に対し反射神経と勘による強引な回避。地面を転がり、即、体勢を立て直す。

 立て直すと言うことは、崩れていると言うことで。


《もう逃げるのも無理そうだよ?》


 菜沙に向かって手を翳す干渉者と、目が合った。


 衝撃。四肢が千切れ飛び、内臓全てが攪拌されて弾けて潰れる。

 そう、錯覚するほどの痛み。全力での回避によって、直撃は免れ、ほんの少し……左足のつま先を少し擦った程度。だというのに、全身の毛穴全てを熱したスプーンでグリグリと抉られるような痛みと損傷。

 気が狂いそうなほど、痛い。せり上がってくるどす黒い血の塊が、喉元から吐き出される。けれど、それでいい。それが、いい。

 まだ、痛みを感じれるから私はマトモだ。

 左脚は完全に動かない。恐らく、骨と筋肉の境目が分からないミキサーに掛けられた状態。覆革着装の疑似神経回路と人工筋繊維を使って無理矢理動かすほかない。脚自体を動かしているのではなく、スーツを動かして脚を動いているようにするだけなので、反応速度は見込めない。

 雑巾絞りに掛けられた左脚から吹き出た血が、損傷したシェルの隙間から噴き出る。覆革着装が無理矢理、人工筋繊維で脚を固定、そして止血……しようとしてくれるのだがスーツも損傷によって十全な働きは期待できず、応急処置機能も状況に見合わぬほど緩慢。


 決着が付いた、と上から見下してくる干渉者。黒獣犬は干渉者の足下でジッと菜沙を睨んでくる。余裕なのか追撃すらしてこない。

 フェイスシールドが割れて、顔半分が曝け出されていた。マグナム弾で撃たれても傷一つつかない特注品だというのに。

 ただでさえ、勝ち目がない状況。悪魔の犬とやらが増援。まともな生き物とは異なり、多少穴が開いたくらいでは掠り傷。巨体に対して純粋な破壊力が足りない。弱点さえあれば撃ち抜けるが……それも、ない。

 極めつけが、被弾。それも、脚。


《万に一つだって勝ち目はないのに、どうして諦めない? キミにとっても得な取引だろう? これ以上戦うメリットなんてない。このまま殺されるだけの運命でいいのかい?》


 間違いなく勝ち目はない。いつものように、虎伏隊をはじめとした増援も来ない。


「偉そうなくせに、何も知らないのね。一つ、覚えときなさい」


 どうしようもない理不尽に対抗するための武器が通じなかったからお手上げ?


「勝てる勝負しかしないヤツを負け犬って言うのよ」


 だから、どうした。

 理不尽に中指突き立て戦ってきた。


「損とか得とか、勝ちとか負けとか……んなこと、どーだっていーのよ。大事な後輩ぶち殺されて黙ってるダサイ先輩になれるわけがないでしょッ!!」


 頭から流れる血が、半分割れた顔を伝い赤に染め上げる。


「そもそもね」


 運命だなんての、どうだっていい。あったとしても関係ない。

 全て、自分の意志で選ぶだけ。


「運命は私の手にだけあるの。分かったらとっとと尻尾巻いて帰りなさい」


 自分自身への無限の肯定。それだけが、鳥居菜沙自身が持ち得た唯一の武器。


 増援が来ない? 違う。そんなの最初からお呼びじゃない。

 だって今回は一人じゃない。頼れる後輩と、気の合うお嬢様が最初から居る。


 轟ッ、爆風にバランスを崩す。意味も分からず口角が上がった。間隙なく黒獣犬へとフルバースト。致命打にはならなくとも、意識を引くには銃撃の五月蠅さは丁度良い。

 何が起こったのかを理解したワケじゃない、絶対的な直感。


「今ッ……!!」


 未だ荒れ狂う大気の波の向こうから聞こえた小さな反撃の狼煙。

 舞い散る砂埃を突き破り飛び出してくる氷の槍。一つや二つではない。数え切れない数が乱れ飛ぶ。避けるのは至難。氷槍は一つ一つが人間よりも一回り上の大きさと質量。速度はメジャーリーガーのピッチングを優に超える。一本で恐竜すら絶命せしめる凶悪な破壊力。それが、雨あられ。

 だが銀髪の干渉者は僅かに視線を向けることもない。高速で打ち出された数十以上もの氷槍が全て、ピタリ、一時停止ボタンでも押したかのように停止。余裕綽々と指を鳴らすと同時、音を立てて砕け散り、キラキラとダイヤモンドダストへ。


 撃ちきった弾倉を乱暴に引き抜き最後のリロード。歯を食い縛り引き金を絞り続け、黒獣犬を捉え続ける。かき消えたところで、干渉者との飽和攻撃がなければ捌ける。穴だらけのチーズ状態の黒獣犬の動きは、幾分か重くなった。

 どぷん、と闇に溶ける黒獣犬。数秒の空白。脳味噌に鳥肌が立つような、おぞましい勘がけたたましいアラート。

 瞬き一つしていない。気を抜いていたワケでもない。それでも、目前に大口を開けている真っ黒な大犬。口内は光一つ見えない闇。迫る暗牙。

 コンマの遅れもなく発動する機動装備。菜沙の描いた最短経路、最適出力で回避。

 紙一重、目の前数ミリで牙が噛み合っている。

 右脚噴射口、強制閉塞。エネルギー過剰滞留。コンマ一秒も要する溜め。だが、外野の横やりは今ならない。

 1ミリ秒でも早ければブースターが壊れ、1ミリ秒遅ければ脚がまるごと爆発四散。理論上可能で止まっていた装備の性能を唯一引き出せる、単独最高戦力。それこそが鳥居菜沙。


「な、めるなァッ!!」


 破裂。としか表現できない乾いた炸裂音が、半壊し石材が積み上がった広間に響く。

 それは菜沙の脚から発生。脚が弾けた音に非ず。脚で、弾いた、もの。たかが蹴り一発が、銃声すらをも塗り替え、耐えきれず破裂した空気は荒波となって、俄に瓦礫を巻き上げる。

 手加減ゼロでの胴回し縦回転蹴りによるクロスカウンター。重さの速さの全てが噛み合った瞬間、インパクト。バカデカい黒獣犬を蹴り抜く。

 振り抜かれた脚。炸裂音と同時、靄となって四散。

 超重戦車すらゴムボールのように蹴り飛ばす一撃。捉えられない闇を、捉えきった。

 だが……


「キリが無い……!!」


 靄は溶け、再び集まり獣の形を取る。確かに芯を捉えたと、衝撃に悲鳴を上げる右脚が語っている。一回り大きさが縮んで復活した黒獣犬。キャベツを一、二枚剥いたかのような些細な変化ではあったが、何かしらの効果は見込めた。だが、不足。命を賭けたチャンスに針に糸を通すような技術を捻じ込んだリターンがたったこれだけ。闇を減らせば減らすほど鈍重になっていくのであれば、百回千回と針に糸を通し続けて勝てる。

 それも、悠長な時間があればの話。

 再び距離が離れ舌打ち一つ。向き合う黒獣犬もまた、警戒しているのか無闇矢鱈と飛び込んでこない膠着状態。


「うぉおおおおおおおおお!!」


 輝き乱反射する細氷を、裂帛が切り裂いた。黒曜の騎士が走り出し、同時、ウッドペッカーの残弾斉射、黒獣犬を縫い止める。嘴を吐き出しきった長銃を即座に投げ捨て拳を握る。

 細氷に乱反射する中に一筋、煌めく。

 ギィン。響く、鉄を打つ音。


「クソッ」

「下がれっ、ノール!!」


 振り抜かれた白刃が中程から折れ、そのままの勢いで僅かに残っていた天井へと突き刺さる。武器破壊によって生まれた圧倒的な隙。ノールドアの隙を埋めるように干渉者へ殺到する氷刃。それも全てが届かずに粉砕された、その時。

 月明かりすらも塗りつぶす光が全員の網膜を焼く。


「これなら、どうだッ!!」


 金色は正体は剣。持ち主は王子。加速を伴って銀髪に向かって一直線。


《無駄に頑張るね》


 銀髪が光に向かって手を差し向けると電力を失った電球のように光が萎み、弾き飛ばされる剣。


「くっ……!!」


 莫大な威力を持った一撃。けれど、この世界の理である限り容易に掌握され、書き換えられる


《キミたちは排除対象じゃないんだけどなぁ》


 間延びした声に合わせ、不可視の衝撃が場を制圧。菜沙ですら直撃を避け続けた死の暴圧が王子達をスーパーボールのような勢いで吹き飛ばした……同時、質量を感じるほどに吹き荒れる不自然な暴風。


「勇みすぎですわっ、わたくしが前に出ると言ったでしょうっ!!」

「私だって……!!」


 よく通る声が衝撃にも風にも塗りつぶされずに響き渡る。吹き飛んだ王子達は山吹色の光の膜に包み込まれ、死の一撃を傷一つなく回避していた。


「カトレア!! もっとやり方があるだろう!! 攻撃されたかと思ったぞ!!」

「おバカさんたちが突出したから、こうでもしないと間に合わなかったのですっ。精々、リーナさんに感謝しなさい!!」


 小指の先を掠めるだけで重体になる無茶苦茶な一撃が直撃して吹き飛ばされる程度で済むはずがない。干渉者は、無傷の王子達を睥睨したまま首を無機質に傾げている。


《この段階でそこまで力が覚醒してるのは予想外。面倒だから、摘んでおこう》


 視界の端から、黒獣犬が消えた。

 再度、蹴り潰す。五感を極限まで、研ぎ澄ます。

 それでも、反応が遅れた。遅れてしまった。

 食い殺そうとしたのが菜沙ではなかったから。

 光の膜を展開し全員を守っている少女。リーナの目前。


「ッッ……!!」


 悩む暇はない。リスクリターンを考える贅沢もしない。

 両脚にあらん限りの力を込めても足りない。ブースト噴射を全開にしても間に合わない。

 選択肢が一つしか無いのは考えなくていいから、楽だ。


 両脚及び背面噴射口、強制閉塞。両腕のブーストで姿勢制御。

 不発と暴発の隙間にある刹那。絶対に外さない。外せない。


 解放。

 音を、越えた。


「きゃッ……!!」


 悲鳴は衝撃波にかき消える。


「あー……」


 菜沙には確かに聞こえた。彼女は声を出せている。間に合ったということ。


「大丈夫?」


 振り返って笑う。尻餅をついて、菜沙を見上げるリーナ。

 出来れば手を差し伸べて上げたかったけれど、生憎塞がっていた。

 左腕が黒犬に食わせるのに丁度よかったから。


「えっ、あ、ど、どうして……!!」


 左腕を黒獣犬に噛まれた菜沙を見上げながら、リーナは目尻に涙を浮かべていた。


「言ったでしょ。指一本触れさせないって」


 鳥居菜沙は、理不尽の敵。

 彼女を守るのは、当たり前の選択だった。

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