先輩後輩ロマンシス その14

「芹……?」


 喧噪。周りが騒がしい。きゃあ、きゃあと悲鳴にも似た声を上げる人。携帯端末を出して、ナニカを撮影する人。それを見て何事かと、集まってくる人。

 五月蠅い。邪魔。煩わしい。

 菜沙の前に割り込んだ、有象無象の所為で芹が見えない。

 代わりに、ビルに突き刺さる鉄の大箱。黄色いハザードを点滅させ、クラクションを垂れ流しながら、その存在を主張していた。

 人混みを割って前へ進む。群がっている雑多な人間が全員邪魔だった。


「どいて」


 呟く。きちんと、聞こえたのだろうか。親切な人ばかりだったのだろうか。すぐに、道は開けた。

 巨体の前方は、圧縮されたかのようにひしゃげ、その一部を、コンクリ作りのビルの中にめり込ませていた。


「そっか」


 突然すぎる出来事に呆然とする感情とは裏腹、戦闘機械として最適化された思考回路が普段通りに働く。

 この巨体はトラック。歩道に突っ込むように現れた、無秩序に。

 周りに群がる人たちは、このトラックが起こした事故を興味本位で覗きに来ている。

 けれど、一定以上は近づかない。

キープアウト、とテープが張られているワケでも、警察官が立っているわけでもない。

 その、見えない円の中に、一歩、踏み込む。


「……指、綺麗なんだね」


 円の中心点は、くすんだ赤色をしていた。

 とろとろ、と蓋の緩い水筒のように、赤が零れて、汚いアスファルトと混じっていく。勿体ないな、と思った。

 拾い上げたら、まだ、温かかった。零れた赤色が、手につくけれど、少しも気にならない。

 顔を上げた先にあるトラック一つ。運転手は、俯くように萎んだエアバッグに沈んでいる。そして、この赤の持ち主……さっきまでこの腕が繋がっていた姿は、トラックに邪魔されて見えない。ただ、ザクロが弾けたように深い赤が散らされている。

 ポケットの中が震えた。短く二回。長く一回。出来ることなら全部、回収してあげたかったけれど、生憎とその時間はなさそうだった。振り返り、その場を後にする。

 手には、葛代芹の腕を抱きながら。

 開ける道。まるでモーゼにでもなったかのように人が捌けるものだから、芹にこんな力があったのか、と軽い笑みが零れた。どうでもいいことを考える一部とは別の部分が、無茶苦茶だった現象を因数分解、解を導き出していく。その場を後にして、人通りのない路を選び進む。興味本位でついてくる人たちは、すぐに振り切った。現状を整理した結果、出た答えは、単純明快。


「ありえない」


 その一言に集約された。トラックのような大きな質量を伴った車両が、あれほどの速度で近づいてくるのを菜沙が見落とす筈がない。それだけの、感覚器官が備わっている。

 その上、頻発するトラック等を使った車両交通事故に見せかけた干渉が相次いだ為、トラックに対して動きがトレース出来るように意識を割いている。菜沙の未来予知染みたと評されるほどの第六感でさえ、あのトラックは、突然現れた。まるで、ワープゲートでも通ってきたみたいに。

 辺りに人の気配がしなくなったことを確認。腕を抱いたまま、片手で携帯端末を取り出す。


「すぐに、突入します」

『状況は把握している。だが、待て』


 時間は有限。今すぐにでも、連中の手から奪い返さないと時間が経てば経つほど、取り返せなくなる。焦燥が募る。

 無視して強硬策を選ばなかったのは、相手が戸羽司令だったから。無駄なことはしない。時と場合を選ぶことに置いては、誰であろうと横に並ぶことはない。そういった、信頼が存在。


『その場所からは突入しようとしても無駄だ』

「はい」


 淡々と返す。『理由は?』などという問いすら時間の無駄。それを、説明するための連絡だと分かりきっているから。


『前に、何者かが手引きしている可能性があると言っただろう。そいつらが、手を変えてきた』


 狭い狭い、人が通ることを考慮されていないビルとビルの隙間。その隙間で、通信をしたまま、バッグから取り出したベーススーツを身に纏う。着替えてからは、スーツの機能で声を聴く。武器はまだ展開しない。向けるべき相手の居場所が割れていないから。


『これまでは殺して終わり。後は、元旦の福袋よろしく、やってきた干渉者どもが、かっ攫っていく……だが、邪魔され続けたのが、腹に据えかねたらしい。手を変えて、その場では事を起こすのを止めた』


 制服を着て、バッグを背負う。誰がどう見ても、どこにでもいる女子高生。その手に、固くなり始めた腕を握っている以外は。


『お陰で、バカは見つかった』


 顔を見なくても分かる。戸羽司令の頬が三日月のような弧を描いていることが。


『生かして捕えろ。ヤツらから力を借りて好き勝手してるのか、こっちの技術を使って呼び込んでるのかは分からない。だが、どちらにせよその情報が掴めれば現状を打破しうる可能性を秘めている』

「……ブギーマンになれる」


 世間に比べ、異常とも言える技術を持ってしても、現状出来ているのは干渉者を追い払うこと……或いは、延長線上として追いかけること止まり。此方から手を出される前に、殴ることはできない。殴られてようやく、相手を定め殴り返している。


『皮算用に過ぎないと言われたらそれまでだが……なんの成果がなかったとしても、丑三つ時のモーニングコールは止むだろう』


 ちかっ、と視界の端、地図が映る。運が良いのか、赤いマーカーはそれほど遠くない箇所を指している。故に菜沙に連絡をした……だけではないだろう。鳥居菜沙も、戸羽伊月も。立場は違えど戦う理由は私情に尽きる。私情と大義を両立するのに、互いが互いに丁度良い。お膳立てする上司と、自由に使える性能の良い駒。


『道すがら、装備を回収し、突入せよ。目標をその場に足止め及び有効打の確率。有効打が判明し次第、本隊による制圧を図る。無論、可能であれば単独で拘束をしても問題ない』

「了解。対象の姿形は?」

『残念だが、そこまでは判明していない。居場所のみだ。強いて言うなら、こそこそとした手口から戦闘的な力ではなく逃げ足が早い……それくらいの推測しかない』

「実質ノーヒント、か……」

『愚痴をこぼすのは認める。しかし、無理だという言葉は聞かない』

「分かってますよ」


 相手の情報は無し。どれほどの戦力、能力を有しているのかも不明。罠である可能性は大いにある。それでも、目の前に垂らされた物が、毒餌だったとしても食いつくだけの価値はある。悪質な中間業者……ブローカーを潰すのは当然。そこに異議はない。但し、それ以上に重要なのは、一刻も早く芹を取り戻すこと。それだけが菜沙の理性を繋いでいる。相手の戦力など、知ったことではない。


『何にも祈るな自ら起こせ』

「手綱は己が手にのみあり」


 今はもう、菜沙と戸羽司令しか言うことのなくなった決まり文句。旧戸羽小隊の唯一にして絶対の心構え。誰が言い始めたのかは、もう覚えていない。けれど、誰もが言っていたことだけは、鮮明に覚えている。

 通信を切り、深呼吸を一つ。アタッシュケースを展開。二種の主武装と、平均化素子をふんだんにぶちまけるための副武装。そして、ステルス機能をフル展開。まるで、その場には誰も居ないように、影も形も消える。大事な腕をバッグの中に。荷物はその場に置く。観測補佐班に回収してもらう。

 一足飛びで、雑居ビルの屋上へと飛び出る。誰かが、煙草を吸っていたがお構いなし、そのまま駆けて、別のビルへと飛び移った。空気を、強引に切り裂きながら、前へ。前へ。


「今行くから」


 ビルからビルへ飛び移り、時には道路を駆け、途中で装備……外殻着装を回収装着。程なく目標地点のビル……屋上へと到達。何の事業を営んでいるか分からない怪しい事務所を孕んだビルは、一般人が近寄りがたい空気を醸し出している。曰く、丸川事務所。

 屋上から見下ろすと、頬に傷のあるような、目つきの鋭い男が出入りしている。一応、看板は運送会社と謳っているが、どこまでが本当なのか。

 全てを撃滅しようか、と考えるもすぐに却下。ただ利用されているだけかも知れない。仮に、連中を手引きしている一派だったとしても、親玉が騒ぎを聞いた途端逃げ出すタイプだったら厄介極まりない。正面からやり合うとしても、相手の能力が不明。装備が多少整っているとは言え、個で挑むのはリスクが大きい。と、なると、手段は自然と絞られる。


「バレる前に片付ける」


 ステルスしたまま侵入、スニーキング。戦闘すら起こさずに鎮圧。それこそが、最短の選択。屋上から見下ろすのを止め、深呼吸を一つ。そして、屋内へと入る扉へと手を掛けた。

 すんなりと開いた扉の前には誰も居ない。出来るだけ音を立てないように閉める。辺りを見回すが、防犯カメラのような備品も見当たらない。流れるように階段を降りた。降りた先、廊下には何人かの男が煙を吐きながら立ち話をしている。無力化するか、すり抜けるか。選ぼうとする瞬間、煙草を踏み潰しながら一人の男が口を開いた。


「あのガキのお守り、金払いは良いけどよぉ、偉そうで腹が立つよなぁ」


 思わぬ情報に、足を止める。運がいいのか、情報管理がザルなのかは不明だが、どっちでも構わない。


「それ含めての金だって割り切れ。こういう胡散臭いのは、割り切んだよ」

「頭良さげなこと言ってら」

「余所の便器は覗かねぇって相場が決まってんだ。おめぇはチマチマ葉っぱ売ってるだけだから知らねーだろうがな」

「ま、こうやって適当に時間潰してフラフラしてるだけで、金が湧いてくるんだから文句言えねえーわな。ガキ様神様ってか」


 どうでもいい話が大概だったが、一部、役に立ちそうな部分のみを抜粋すると、この半グレだか、ヤクザだかに見える連中を雇っているのは子供、らしい。こんなところに他の子供なんていないだろうから、絞り込みは完了したようなものだ。

 やり口が雑、と抱いて印象が間違っていなかった。己の力を過信しているから徹底しない。力を誇示したいから、隠匿しない。そういう、扱いやすい人種をヤツらは好む。とはいえ、相手が確定したわけではないから、油断はしない……が、指針は決まった。煙を横切って、通り抜ける。

 幾つかの部屋を探り、探し……見つける。広い部屋の中、革張りのソファに寝転がりながら、携帯端末を弄っている、場違いな存在。日に焼けておらず、線も細い。運動はおろか、外に出ているのかすら怪しいほど華奢。年の頃は、菜沙よりも下に見える。中学生、くらい、だろうか。

 どのような能力を有しているかは不明。なら、最初から使わせなければ良い。少なくとも弱体化できれば十分。タバコサイズの小箱。

 異世界の法則に対する最大の武器。素子を詰め込んだ小箱……OWB。

 他装備が分かりやすいトンデモ兵器なのに対し、このOWBは地味。手榴弾のように素子をばら撒いたり、外殻着装の腕部に装填しアームランチャーのように運用したりするだけ。派手さはないが、平均化素子を有効的に汎用的に使いこなすために開発され尽くした装備。

 設定をイジり設置。爆発すること無く、中に詰め込まれた素子をアロマディフューザーよろしく静かに噴出。

 部屋の中には、他には誰も居ない。扉には背を向けている。耳にはイヤホン。物音立てず、背後に寄り、手を伸ばした。


「ノックの一つでもしたらどうなんだい?」


 ぐるり、振り向いた。咄嗟、一撃で終わらせるために手を振るう……が、空を切った。


「多少は役に立つかと思ったんだけど、小蠅一匹見つけれないんだったら、金の無駄だったかな」


 ブツブツと呟く少年。菜沙の耳には、全部全部聞こえている。ステルス機能を解除して、姿を現す。


「お、おぉぉ……マジでSFって感じじゃん。やっぱり、実在したんだ。思ったよりデザインもカッコいいし、捨てたもんじゃないね、この世界も。しかもツインテ女なんて、ラノベみたいでテンション上がるなぁ」


 言葉の一つ一つが癇にさわる。まるで、テーマパークのアトラクションを遠巻きに眺めるような気の抜けた態度。まるで、危機感を抱いていない。敵だとも思われていないようで。


「ここ最近、トラックで奴らを手引きしているのはあんた?」

「へぇー。しかも結構、かわいい声してるね」


 だから、なんだというのか。頭を横切る言葉。会話が成立していない。荒波立つ心を抑える。今すぐ、床に叩きつけて、手足をふん縛ってしまいたい衝動を制御する。


「身柄を拘束する。抵抗も怪しい真似もしないのなら、命も安全も保証するわ。最近の秘密組織はコンプラ遵守しているからね」


 少年は、小馬鹿にしたように肩を竦めながら立ち上がる。


「テンプレみたいな返しだけど……イヤだと言ったら?」


 瞬き一つ分の時間もいらない。一歩で近づき、顎を殴り飛ばす……筈だった。


「ぐっ……!?」


 自身の後頭部、衝撃。握った拳に確かな感触。距離を離し、ドア近くまでバックステップ。


「おーこわ」


 頭から熱が引いていく。今、後頭部を打撃したのは間違いなく、菜沙自身。殴ったつもりが、自分に殴られている……と、なれば大凡、何をしたのかはあたりがつく。手近にあった、花瓶を手に取り、投擲。無造作に投げただけであっても、内外のスーツを完全着装した菜沙の投擲は砲弾と変わらない速度を誇る。

 定規で線を引いたような、直線軌道、音の壁を突破する花瓶。少年に当たる手間で、その先端が……消えた。


「そこッ」


 投擲したばかりの腕を切り返し、後頭部へと飛んでくる花瓶を掴んだ。


「つまらない手品ね」

「まぁ、分かるか」


 花瓶を元の位置に戻す。今すぐにでも、突貫して押さえ込みたいが、その手段はない……けれど、これだけ種が割れれば十分。通信機能を垂れ流しにしている今、勝ち筋は見えた。


「いつまでも、僕がここにいるとでも思う? どうして焦らないのか分からない?」


 僅かな空間の揺らぎ、そこに身体を放り込む少年。


「答えは簡単。いつでも逃げられるから……それじゃ」


 少年の姿が消える……が、現れたのは、部屋の隅。余裕綽々だった目を僅かに剥き、周囲を見渡した後、憎々しげに菜沙を睨む。


「……何をした?」


 思わず笑みが零れる。向こうは、此方の技術を殆ど知らない。少なくともこの世界に、後ろ盾がないに等しいことが割れた。


「さぁ?」


 舌打ちが聞こえてくる。素子による反則能力の弱体化は成功。つまりは、あの能力は純粋なこの世界の技術のみで構成されたモノでは無い、ということの証。

 少年は、いつでも逃げられるという命綱が消えた動揺が隠せていなかった。


「だからどうした? それで、何が出来るわけでもないだっ、うぉ!?」

「殴るまで殴れば、一緒でしょ?」

「んだよ、それっ!? 脳筋かよ!!」


 取り繕った笑みを浮かべながら、反論してくる。が、問答無用と殴りかかる。当然、振るった拳は空間に飲み込まれて、カウンターのように自分に向かってくる。直撃する手前、寸止め。


「クソッ、しつこいなぁっ……!!」


 手を引き、もう一度殴りかかるが同じ。今度は菜沙の腹部に向かって帰ってくる拳。飲み込まれたと知覚した瞬間に、拳を引くことで、自身へとダメージが入ることはない。何の意味も無いような千日手。


「幾らやってもムダだって分かれよ!! バカみたいだぞお前!!」


 無視。会話をするだけ無意味。そりゃあ、当たらない打撃を何時まで続けている菜沙は滑稽だろう。けれど、余裕無く、大声を上げているのが何よりも雄弁に語っている。

 今、自分は逃げられないのだ、と。

 普段はどうかは知らないが、少なくとも現状、ワープゲートのような能力は一度に一つしか展開できていない。強化された身体能力を十全に生かし、ただの人間では視認すら出来ないような速度で、あらゆる角度から打撃を加えても、届かない辺り、殆ど自動防御に等しい反則性。同タイミングによる複数角度からの攻撃にも、錯覚と盲点を利用した攻撃にすら対応されてしまっては、為す術がない。

 スナイパーライフルで狙撃なんてした日には、引き金を引いたその瞬間が、射手の命日、というインチキは、弱体化しても尚、強力。今の菜沙の装備では、突破はできない。


「うざったいなぁ!!」


 ただ、身体能力はただの人間に過ぎず、菜沙の姿を追えていない。逃げのために能力を発動したら、その瞬間、壁のシミになることが分かっているのか、動けずに居た。

 数分間、間抜けな千日手を繰り返す。菜沙が暴れ、少年は棒立ち。拳が空を切り、余波として波打つ風が台風のように室内を暴れ回る。


『鳥居小隊に告ぐ。こちら虎伏小隊だ。返答は不要だが、よく聞け』


 返答を返す余裕は十分。だが、何も返さないのは、単純明快。通信していること、そのものを悟らせないため。


『十秒後、閃光音響攻撃を仕掛ける。衝撃に備えておけ』


 予想したとおりの手段。心の中で了解と答えて、十カウントする。目の前の表情は変わらず、じれったそうな、面倒そうなまま。極限まで集中力を高め、意識を外に向ける。

 三、二、一。零。瞬間、窓が割れ、飛来した小型弾頭。少年は、何かが飛んできたことすらも、まだ認知できていない。コマ送りの世界の中、目前の瞼が震え、ようやく鼓膜に届いた音が、脳へにまで届いたみたいだが、遅い。

 弾頭が、弾けた。

 全てが真っ白で、グチャグチャに。音も視界も、それから思考も根こそぎ持って行くような衝撃。死すら錯覚する閃光音。

 だというのに菜沙に思考の余裕があるのは、感覚器官への過剰なインプットを察知したスーツによる、感覚質を含む複数の防衛機構によるもの。


「あー、耳、キーンってする……」


 すぐさま戻ってくる視界。それでも、未だ、ホワイトアウトしたかのように、殆どが白。それから、耳鳴りも止まない。スーツの防衛機構を持ってしても、これだけ視聴覚と平衡感覚に揺さぶりを掛けてくるのだから、生身で受けることなんて考えたくもない。


「鳥居、ご苦労」

「虎伏さんも、お疲れ様です」


 ただ、スーツと人体再構築による急速な原状復帰が図られ、数秒もしないうちに、元通り。目の前には、虎伏隊長。及び小隊の面々。完全装備の人間が集まると、広めの室内ですら手狭に感じる。


「とりあえず、制圧完了、ですね」

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