第43話3巻決定記念/雪の日の散歩もあなたがいる日々も、いつか当たり前の幸福になる。
没落した実家のカレリア侯爵邸をルーカスが買い取ってくれて、最初の冬。
ちょうど王都にいるタイミングに、雪が降ってきました。
朝目を覚ましてカーテンを開いた瞬間、雪に慣れないルーカスは白一面になった雪景色に、子供のように目を輝かせました。
「一緒に少し庭をお散歩しましょうか」
ベッドからそう尋ねる私の提案を聞くや否や、ルーカスは黙って私をきつく抱きしめると、そのまま急いで部屋を出て行きました。
その勢いに、私は少しだけぽかんとして……そして、つい笑ってしまいました。
出て行ったルーカスを見て、私が目を覚ましたと知ったのでしょう。
入れ替わりに寝室に入ってくるキキに、私はストールを羽織りながら微笑みました。キキはワゴンにあたたかな白湯を入れてくれています。
ゆっくり飲んでいると、暖炉でしっかり温めたドレスを準備してくれました。
「ありがとうキキ。いつも気が利くわね」
「えへへ。私、王都暮らししてたんで……ちょっとは、冬の寒さは慣れてるので」
彼女にとって辛かったはずの過去も、今では少しずつ話に出してくれます。
元婚約者(ミハイル)によってつけられた傷跡も、薬で随分と薄くなってきています。彼女が袖の短い服を着られるようになる日も、近いでしょう。
◇◇◇
簡素に身支度を済ませて庭に出ると、鼻先を赤く染めたルーカスが私を振り返りました。ダークグレーのロングコートの肩に粉砂糖のような雪を乗せて、ルーカスは私を見て嬉しそうにします。
「イリス、みろよ! あたり一面真っ白だ」
「気をつけてくださいね、氷になっているところは滑りますから」
「それはあんたもだろ。手、繋いでてくれよ」
「ふふ……はい」
差し出された大きな手に手を重ねると、先に外に出ていたルーカスの手は、すでに少し冷たくなっていました。いつも私の方が手が冷たいのに、と思いながら顔を見上げると、琥珀色の瞳を細めてルーカスが微笑んでいました。
「イリスの方があったかい。珍しいな」
「私も同じこと思ってました」
そんなことを言い合いながら、私たちは雪がうっすらと降り積もった庭を巡ります。実家が管理していた頃はすっかり荒れ果てていた庭。トムさんが思い切って全く変えた庭にしたいと申し出てくれたので、庭はまだ作りかけです。
あるのは頑丈なカメリアの生垣と、作りかけの水路と、真新しい石畳のステップと、骨組みだけのアーチ。
それらの上が全部真っ白で、カメリアの赤い花弁だけが鮮やかな色を見せています。
「ソラリティカに雪は降らないんでしたよね?」
「ああ。東にある山脈と海の方から来る温かい風がどうので、他の街よりずっと暖かくなっているらしい」
温暖なソラリティカが軍港として発展した歴史があるというのは、私も知る話でした。ストック商会の社屋も高台の邸も、元は海軍が所有して持て余していたものを、ルーカスが買い取って整えたもの。
「この屋敷を手に入れたおかげで、今までよりもっと、王都の貴族に販路を広げやすくなったよ。気候に伴う家具の傷み具合も、王都屋敷(タウンハウス)に好まれる商品も、こっちに拠点があるだけで随分と想定しやすいからな」
「楽しそうで何よりです」
「それに、カレリアの形見も……できればカレリアの屋敷に帰してやりてえしな」
ルーカスは雪化粧の屋敷を振り返ります。
ルーカスのものとなった私の実家ーーカレリア邸は、荒廃し没落していた頃から少しずつ、生気を取り戻しているように感じられました。
壁を塗り直し、窓枠を修繕し、ドレスを新調するように庭のコーディネイトを入れ替えてーーまるで、春を迎えるのを楽しみにしているように見えました。
それに、雪で白い屋敷はまるで、何だか。
「……ウエディングドレスを纏っているように見えますね、屋敷が」
私はすぐ隣の肩に頬を寄せながら、独り言のように呟きました。
「まるでお屋敷ごと……私と一緒に、ルーカスに嫁いでくれるみたいです」
手を離したかと思うと、ルーカスは私を後ろからすっぽりと抱き込みます。見上げようとすると、雪を払って額に口付けられます。どこか熱を帯びた琥珀の瞳に、吸い込まれるように魅入られます。最近は、以前にも増してこんな表情で見つめられることが多くなったように感じます。
朝、触れていた体温を思い出して恥ずかしくなってきていると、ルーカスは少し笑って、ぎゅっと抱きしめてきました。
お互いに着込んだ、分厚いコート越しでも、ルーカスの匂いが確かにそこに感じられて、顔がはしたないほどほてっていそうで、恥ずかしくて、私は俯いてつま先を見つめました。一回り以上大きなルーカスの革靴が、私のつま先に寄り添っています。
耳元を、ルーカスの声が掠ります。
「家もあんたも、未来も俺が引き受ける。誰に貰われるより一番いい選択をしたって、あんたに一生思わせ続けてやる」
切実そうな声音に、私は口元が緩むのを感じます。
離すまいと抱きしめてくる腕に指を這わせ、再び舞い落ちてきた雪を払いながら私は答えました。
「私に他の選択肢なんてありません。私にはルーカスだけです、何があっても」
「……時々怖くなる。イリスみたいな女を、俺が妻にできたのは夢なんじゃないのかって。全部真っ白になって現実感がない、こんな日は余計に確かめたくなる」
迷子の子供のようなことを言うルーカスに、私は愛おしさを感じました。
私よりずっといろんな世界を知っていて、普段は頼もしくて厳しい商人としての顔を見せる彼がーーこうして、ただの女一人を抱きしめて、不安になることなんてないでしょうに。
「愛してます、ルーカス。少し雪が降っただけでも、こんな特別なお散歩日和にしてくださるんですから……そんな旦那さまと一緒にいられるだけで、私はどれだけ幸せでしょう」
王都で育った私にとって、雪は当たり前のものでした。
けれどその当たり前の雪も、生家であるカレリア侯爵邸も、今では昔とは、全く別の意味を持つものになって。
それは、ルーカスに嫁いだからこその、幸福な変化で。
「ルーカスにとっても、すぐに慣れた冬になりますよ。雪も毎年楽しめます。……ちゃんと、毎年、私もお屋敷も傍にいますよ」
振り返って顔を見上げて微笑むと、ルーカスは今度は正面から、きつく私を抱き寄せました。
「あんたも冷えてきたな。そろそろ朝食もできてるはずだ。戻ろうか」
「もう少しだけ。……寒いところだと、ルーカスがあったかいのをすごく感じるので……」
「……そんなにあっためて欲しけりゃ、飯の後にいくらでもしてやるよ」
柔く押し付けられる胸元に頬を寄せながら、私は幸せな気持ちで目を閉じます。
こうして互いの体温を感じる季節を、これから永遠に重ねていきたいと願いながら。
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