第9話
それからの日々は慌ただしいものでした。
私は親戚中に頭を下げカレリア家の非礼を詫び、妹の婚約発表パーティの準備に走りました。
彼らはお詫びに来たのが妹ではなく私(イリス)だと気づいたとたん、態度をがらりと変え、にこやかに対応してくださいました。
「カレリア家の非礼、元カレリア侯爵家の娘としてお詫び申し上げます」
「いいんですよ。その代わりと言ってはなんだけれど……」
「はい」
「ソラリティカの貴方の屋敷――ストック男爵邸に、うちの使用人を研修に行かせたいの。地方都市でありながら王都の使用人以上に躾が行き届いた立派な者たち揃いだと伺ったの。よろしいかしら」
私は驚き、そして笑顔で答えた。
「勿論です。ストック商会の従業員研修施設の管理は女主人の私に一任されております。勿論夫に一旦確認致しますが、きっと快く迎え入れるでしょう」
「ふふ。よかったわ。……私はカレリア家ではなく、ストック男爵夫妻と仲良くしていきたいわ」
意外にも皆さん、私の不躾で恥ずかしいお願いを聞いてくださり、快く社交を取り交わしてくださいました。どうやら私が嫁いで以来、商業都市ソラリティカと成金ルーカス・ストック男爵の印象が、王都の中でどんどん変わってきていることが功を奏したようでした。
「あなたの嫁ぎ先、失礼ながら成金と噂だったけれど、それだけの実力がおありなのね。1を頼めば10の商品を提案してくる有能な商人として噂が立っているわ」
「王妃様の刺繍入りの手袋、あの絹糸はストック男爵のルートで手に入った東方国の逸品らしいけれど、本当?」
「先日はソラリティカのサロンでお世話になったわね。街の治安もよくて過ごしやすい旅行になったわ」
私の結婚を機に、ストック商会の良い評判が王都の貴族社会に広がっていき、そこから商品の評判と商会の人々の仕事ぶりが貴族社会に受け入れられ――私の想像以上にどんどん夫、ルーカス・ストック男爵の評判が上がっているようでした。
空気の私でも、愛する夫のために少しでも力になれたのでしょうか。それなら嬉しく思います。
だってルーカスは元々、とても素敵な方だったのですから。
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婚約発表パーティの準備に追われる私と、妹の嫁ぎ先であるストレリツィ侯爵家のばたばたを知りながらも、相変わらず両親も妹も、ほとんど動いてくれません。
しかし社交界を追放されかけた妹が動くのも、不倫に走っている母も、私がつなぎ直した御縁にヘラヘラと呑気に笑うばかりの父も、正直なところ邪魔、と申しますか。
動いてくれないほうがよほどやりやすいです。
ある日、準備の為に元婚約者ミハイル様のお屋敷であるストレリツィ侯爵邸に向かうと、そこで迎えたのは懐かしい元婚約者・ミハイル様ご本人でした。
「ミハイル様……失礼ですが、侯爵夫人はいらっしゃいますか?」
「母も母の使用人も皆、急用ででかけたよ。遠征中の父からの連絡が入ったとかでね。だから、僕が対応してあげる」
彼は薄笑いを浮かべて私を客間に招き、使用人に命じて紅茶を淹れさせます。
使用人も一緒にいるとはいえ、二人きりで部屋で向き合うと変な感じがします。じろじろと舐めるように私を、上から下まで眺める彼。
昔からこんなに、気持ち悪い……方だったでしょう、か。
「まだお戻りにならないのでしたら、私は一旦日を改めて……」
「いいじゃないか。僕とゆっくり話そうじゃないか。元婚約者、だろう?」
「元、です。私は今はストック男爵夫人。妹の婚約者とはいえ殿方とこれ以上二人きりになるわけには」
二人きり。その言葉を口にしてはっとします。
気づけば私が連れていたメイドも、彼の使用人も席を外していたのです。
ぞっと寒気を感じてミハイル様を見れば、彼は冷たい顔をしてぶつぶつとつぶやいていました。
「……おかしいな。手筈では」
「あの……ミハイル様……」
「まあいい。僕と君、二人きりなのには間違いない」
彼がのっそりとソファから立ち上がります。
柔和で麗しいお顔立ちをしている方なのに、私はとても恐ろしくなりました。
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