第17話

 私が向こうに戻ると、とても忙しい日々が待っていました。

 夫から任されているマナー学校の学校長としての仕事や、ソラリティカ観光大使としての仕事。王都の雑誌インタビューにソラリティカ新聞社でのコラム執筆。新興貴族令嬢たち向けのマナーブック執筆。

 ときには夫と共に海に出て、外の世界の方々と接して見識を広めます。

 もちろん、観光で訪れる貴族との社交界や王都でのお仕事のお手伝いも行います。

 王宮御用達となった夫は、どんどん忙しく、しかし幸せに仕事をしています。

 あっという間に、数年の時が経過しました。


 あたたかな昼下がり。

 私はかつて婚約していたストレリツィ家でお茶をいただいておりました。お茶会のお相手はストレリツィ侯爵夫人。

 例の一件以降、侯爵夫人は角が取れ、穏やかで優しい老婦人となっていました。よほど息子がストレス源だったのでしょう。


「イリスさん。知っての通り、私は貴女のお母様と大親友だったの。だから母を亡くした貴方を、私は自分の娘のように厳しく接して躾けたわ。鬼姑のようだったと思う。ごめんなさいね」

「とんでもありません。私は侯爵夫人からいただく愛情を常に感じておりました。私が母と貴方に躾けられ、カレリア家で守ってきたものが――今、カレリアの名を離れて沢山の人々の『知の財産』になっていることが誇らしいです」

「……そう言ってくれると嬉しいわ」


 侯爵夫人は目元に涙を浮かべます。


「その黒髪、黒い眼差し。とても魅力的で美しかった、あの子に生き写しね」



 ――カレリア家。

 口に出すのも懐かしく、遠くなってしまったかつての実家。

 爵位を剥奪された実家はそのまま財産全てを没収され、両親は離婚、一家離散となってしまいました。カレリアの邸宅や領地は新しくカレリアの爵位を引き継いでくださった貴族の親類が経営しております。


 あの婚約発表パーティ以降、私は実家を甘やかすのを止めました。

 両親や妹から何度かお金の無心はありましたが、私はあえてお金は渡さず、公的な手続きで生きる方法や働き口の紹介をしました。

 いくらお金を分け与えても、結局湯水のように使ってしまうだけで意味がないのです。


 決断は苦しかったです。しかし必要以上に甘やかすことは、穏便に事を収束させてくださった公爵閣下のメンツを潰すことでもあります。

 私ができることは、両親と妹が再起できるよう見守ることだけ。彼らの努力に期待するしかありませんでした。


 しかし結果は虚しく、父は違法賭博に手を出して逮捕。

 義母は妹をつれて離縁し、その後は行方知れずとなってしまいました。

 ソラリティカに旅の踊り子の母娘が来たという話も聞いたけれど、噂は噂です。



「……そういえば」


 ストレリツィ侯爵夫人が話題を変えました。


「うちの馬鹿息子が最近何をしているかご存知?」

「いえ……修道会送りになって、社会奉仕活動をされているのではないのですか?」


 金髪を剃って坊主になり、修道会の奉仕活動に従事している姿を一度だけ見たことがあります。


「暴力事件を起こして修道会を逃げたのよ。ついに犯罪者となって、逃亡中の身だわ」

「……!!」

「本来の貴族社会を取り戻す! なんて言って活動家になっているらしいわ。警察も探しているようだけれど……」

「だから……ストレリツィ邸の警備が厳重になっていたのですね……」

「ええ。イリスさんもどうかお気をつけになって。馬鹿息子が逆恨みをしてくるかもしれないから……」

「わかりました。どうか侯爵夫人も何かありましたら、いつでも遠慮なくご連絡ください。貴女は私のお母様代わりの方ですので」


 侯爵夫人はくしゃりと泣きそうな顔になります。

 私は胸が痛くなりました。こんなに優しく気丈な方を、ずっと苦しませるなんて許せません。



 ストレリツィ家から馬車で、王都に設けたタウンハウスへと戻ります。その途中、いきなり馬車が揺れます。


「何があったの?」

「どうやら、幼い少女が道に飛び出してきたようで……」


 私が馬車から顔を出すと、そこには汚れた服を着た女の子が倒れて、ぐちゃぐちゃに泣いていました。ソラリティカではめったに見ない貧民街の子供のようです。

 馬車の一瞬の隙を突いて、いきなり黒ずくめの男たちが馬車を取り囲みます。少女の頭にナイフを突きつけながら、リーダーのような男が馬車に近づいてきました。


 坊主に刈り込んだ頭に、ぎらぎらとした昏い碧眼の青年。ミハイルです。


「やあ、久しぶりだねイリス。僕とお茶をしないかい?」

「……貴方という人は……」

 

 前に出ようとするメイドを私は手で制します。


「彼はあなた方には危害を加えることがあっても、おそらく私には加えないでしょう。……あなた達は、そこで待っていてください」

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