第31話
「終わりましたね」
――数日後。
忙しいルーカス様が仕事の合間を縫って、私を午後のティータイムに誘ってくださいました。
今日の海は穏やかで、風も静かに髪とスカートの裾を揺らします。
市街地の見晴らしの良いカフェテラス、サンルーフに柔らいだ日差しのもと、私たちは二人掛けの籐椅子に並んで座り、海を見つめていました。
気が付けば、ルーカス様の眼差しが私に向いています。
長い脚をゆったりと組み、肘掛けに肘を突いて私を見やるその琥珀の眼差しは相変わらず鋭いですが、それでも今日はどこか、くつろいでいるような様子を見せています。
黄味の強い金糸雀の髪は相変わらずよく映える、綺麗な色だと思いました。
「どうしましたか」
じっと黙っている彼に首をかしげると、彼は無言で私の手を取りました。
そして、いつものように手袋を歯で脱がせます。
「……っ……」
恥ずかしいですがいつものこと。
されるがままにしていると、彼は私の手をあちこちと眺め、安堵の息を小さく吐きました。
「ようやく、傷は治ったみたいだな」
「昨日もご覧になったではありませんか」
「日中に見ねえと薄い傷跡は見えないだろ? 痕が残ったらたまったもんじゃねえ」
「私の手ですのに」
「あんたの手だからだよ」
彼は頬を赤くして、私の手を押し戻します。
「もうキッチンには行くんじゃねえぞ」
「はい、ルーカス様が禁じられるのでしたら」
「……………」
「ルーカス様?」
「……なんだ、その……あんたがやりたいときは、好きにすればいい。ただ、俺の妻だからどうのって責任感を持ってやる必要はねえ、って意味だからな。あんたが料理が楽しいと思うなら、好きにしろ」
「はい」
「怪我は気をつけろよ」
「はい……ふふ、」
まるで小さい子に言い含めるような口ぶりに、私は少し笑ってしまいました。
同時にとても大切にしていただいている気持ちが伝わってきて、胸の奥が温かくなります。
実は、今。
こっそり屋敷のシェフに、ルーカス様が好きな料理を教えてもらっている最中なのです。
私にでもできるような、肉や野菜やソースを挟んだだけのサンドイッチより簡単そうなパンや、煮詰めるだけでできるジャムなど。
ルーカス様は驚いてくださるかしら。
気づかれないためにも、手は大切にしなければなりません。
私の体のどこに傷がついても、すぐに気づいてしまう方なのですから。
「なんだよ、何かおかしいか」
思わず頬が緩んでしまう私を、ルーカス様が赤い目元でじろりと睨んできます。
とても背が高くて迫力がある風貌の方なのに、こういう表情をなさるときは、なんだか小さな男の子のようです。
「ふふ、なんでもないです。ただ……」
「ただ?」
私は空を見上げます。すがすがしい初夏の風が、ふわ、と海から強く吹き付けてきました。
体も心も浮かれて浮かんでしまいそうな、夏のわくわくした風が頬を撫でます。
私はルーカス様の太陽のような瞳を覗き込み、笑顔で答えました。
「ルーカス様に大切にしていただけて、私、幸せです」
――返事の代わりに、ルーカス様は私の肩を、強く引き寄せます。
お仕事にお戻りになるまでもう少し。私の幸福な時間は、しばらく続きそうです。
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