第30話

 あっという間に、皆さんどんどん様々な形のダンプリングを作っていきます。

 くるんと丸い襞のもの、ぎゅっと寄せた襞のもの、プリーツ状に寄せたもの、皮を分厚く作って二枚重ねて、端をフォークでつぶして押しつぶしたもの。

 これまで料理をしたことがなかったという人たちまで、料理上手さんの手さばきを見て一緒に料理を始めています。

 焼ける匂い、茹でられる匂いがいっぱいにたちこめます。とても美味しそうです!


 そして、私が作ったのはあくまでダンプリングのタネと皮だけでした。

 それだけでは昼食会の食事としては足りないので、最初にコルドラさんたちが作ってくださった料理も、ダンプリングと一緒にどんどん食べられていきます。


「コルドラ先輩~~ッ!!」


 お酒が入って上機嫌になった女性社員がコルドラさんに近づいていきます。


「このサラダの甘酸っぱいソースと、ヨシュア君がつくったダンプリングよく合いますよ!」

「ちょっ……わかったから、食べるから押さないでよ」


 コルドラさんもダンプリングを食べてくれています。少なくとも、お口に合わないというお顔はされていらっしゃらないので安心しました。

 最初はむっつり顔だったコルドラさんでしたが、上機嫌な周りにつられてくすくすと笑い始めます。


「あたしも作ろうかしら。あたしの知るダンプリングはひだの作り方が特徴的なのよ」


 盛り上がる広場の空気に乗じて、最初から飲んでいた海の男の皆さんも立ち上がります。


「おもしれえことやってんじゃねえか。俺らは故郷の料理の作り方なんざ知らねえが、かわりに歌を歌ってやるぜ」

「お! いいねえ!」


 筋骨隆々とした男性陣が立ち上がり、一斉に足踏みでリズムをとって歌い始めます。

 それに合わせて肩を組んで歌いだす社員の皆さん。

 ダンプリングづくりをしている人たちも、にこにことお互いのレシピや思い出話に夢中です。


 私は会場を回って一人一人皆さんに挨拶を交わしました。


---



 ぐるりと一周挨拶を終えて元の場所に戻ると、コルドラさんが喧騒から少し離れた場所で、一人たたずんでいるのが見えました。


「コルドラさん」


 話しかけると、彼女は数秒遅れてこちらに目を向けます。

 私は手に持ったお皿を彼女に見せました。私が先ほど周りの人に教えてもらいながら、もう一度焼くのに挑戦してみたダンプリングです。


「こちら、焼きたてです。……よかったら一つ召し上がっていただけませんか?」


 逡巡したのち、彼女はそっとフォークを取って食べてくださいました。

 はふはふと熱そうにしながらも、大事に咀嚼してくださっているようです。

 嚥下して水を飲み、そしてコルドラさんは小さく呟きました。


「………形は慣れてないけど、美味しかったです」

「よかったです」

「一か月でここまでできるようになれば、大したものですよ。あたしだって、子供の頃から食堂で働いていたから料理ができるってだけだし」


 彼女は沈黙し、深く、大きなため息を吐きました。


「大成功ですね、若奥様」

「ありがとうございます……これも、皆様のお力添えあってのことです」


 私は盛り上がる会場へと目を向けました。


「ここに集まった方々は、私も含め、出自も身分も、考え方も年齢も性別も、宗教や信念だって、何でも違います。けれど皆さんこうして同じ場所に集まって、ストック商会やソラリティカを盛り上げたいと思っている気持ちは一つだと思うんです」

「土地や作り人が違っても、誰かに美味しく食べてもらうために作られるダンプリングと一緒ね」

「……はい!」


 コルドラさんの呟いた言葉。それは、ダンプリングを通じて私が伝えたかったことです。

 私は手元に一つ残った、不格好なダンプリングを見下ろしました。


「この通り、私は一人ではうまくできない事もたくさんあります。けれど皆さんに手伝っていただけたおかげで、私はここまでダンプリングを作ることができました。こうやって助けていただきながら成長を続け、私はこれからも皆さんと一緒にストック商会を盛り上げていきたいと思っています」


 空いていた樽の上に皿を置き、私はコルドラさんに向き直ります。

 彼女の意志の強い大きな瞳を見つめ、背筋を伸ばしてゆっくり丁寧にカーテシーをします。


「若奥様……」

「コルドラさん。私はまだまだ新参者で至らない面も多いかと存じます。もしよろしければコルドラさん。お辞めになるなんておっしゃらず、今後ともストック商会の為にお力を貸してくださいませんか?」


 コルドラさんの勝気な瞳が揺れています。きっと言葉にならない、様々な感情が飛来しているのでしょう。

 私は彼女が一体、ルーカス様とどんな思い出を重ねてきた人なのか知りません。もしかしたら、過去に恋人だったことも……あったのかも、しれません。

 コルドラさんが私に反発したのも、ルーカス様に「温かい家族が必要」だとおっしゃったことも、きっと本当に、彼女がルーカス様を大切に思い続け、見守り続けてきたゆえの言動なのでしょう。

 それはきっと私には理解し得ない、踏み込んではならない「過去」。

 これ以上、私にはコルドラさんにかけられる言葉はありません。

 願うような気持ちで、私はコルドラさんのお返事を待ちます。


 ――長い沈黙ののち。

 コルドラさんは眉尻を下げてくしゃりと笑います。


「奥様……私の完敗です」

「コルドラさん……」

「あたしは奥様を認めます。貴方はきっと、ルーカスを幸せにしてくれるはずだわ。あたしはストック商会を去ります。ここまで奥様に失礼な態度を取り続けて、試したりなんかして。本当に、ひどい女でした」

「そんなこと……! 私はコルドラさんのお陰で、こうして一つ成長することができたのです。どうかお辞めにならないでください」

「ホワイトワンド伯爵家の執事の件だって、今回の件だって、奥様はあたしが悪者にならないように上手にまとめてくださいましたよね? わかってるんです、奥様があたしの立場を守ってくださっていたことは……でも……『社員』としてじゃなくて、『女』として、あたしは恥ずかしくて……」


 彼女は首を振り、私から離れていきます。


「コルドラさん!」


 その時――

 背後から、私の肩に大きな手が乗せられます。


「話は終わったか、イリス」


 節が張った長い指、温かくて厚い掌。ふわりと香る少し苦みのある甘い香り。

 胸が高鳴ります。


「ルーカ……旦那様!」

「おいコルドラ。お前も勝手に辞めるだのなんだの決めてんじゃねえぞ」


 ルーカス様はジャケットから封筒を抜き出します。おそらく辞表なのでしょう。

 振り返ったコルドラさんは今にも泣きそうな顔をしています。


「辞めさせてよ……こんな、みっともなくて恥ずかしくて、社長の元でなんてもう働けません」

「何がみっともなくて恥ずかしくて、だ」


 はぁぁ、と、ルーカス様は深くため息を吐いてみせます。


「そうやって嫌な自分から目を背けて逃げて、また次の職場でも痴情の縺れを言い訳に辞めたり辞めさせたりすんのか? 女は働かせてもどうせ色恋沙汰起こして面倒だって言われるのがよっぽど嫌いだったお前がそれをやんのか」

「――ッ!!」

「ストック商会の女連中の評判下がる真似するような奴を、このまますんなり辞めさせてやるかよ」

「でも、あたしは……あたしは……」

「ガキかお前は」


 ルーカス様は、私の肩をぽんぽんと叩きます。


「お前、イリスには女主人として変わることを望んだ癖に、自分は変わって成長していくことを拒むのか? イリスはお前に認めてもらうためにこれだけのことをやった」

「ッ……!」


 不意にルーカス様は私の手首を握り、そのまま腕に掲げます。

 そして遠慮なく手袋を噛んで抜き取り、カフスボタンを片手でプチプチと外されました。


「る、ルーカス様……!?」


 抵抗の間もなく晒されてしまった手と腕を見て、コルドラさんが呆然としています。

 それもそのはず。

 私が隠していた腕も指も、絆創膏と火傷の痕だらけのひどい有様なのですから。


「奥様、その手は……」

「俺の妻は強がりでなあ。こんだけ火傷だの切り傷だの作っておきながら、平気な振りをして笑顔で人前に出やがる」

「令嬢にとって傷一つない指は淑女の誇りなのではないですか?! なのに、そんな……!」

「これまで重たいもの一つ持ったことがないような本物の侯爵令嬢がそうそう簡単に、ダンプリングを作れるようになる訳ねえだろ。お前に料理を食べさせるためにバカ真面目に努力してんだよ、こいつは」


 コルドラさんの眼差しが私の腕に釘付けになっています。

 ルーカス様は更に続けます。


「商会のマナーブックとしての努力だってしている。こいつは女家庭教師としての経験もないんだ。人にどうやって物を教えるか、自分の体に自然と身に付いた所作や常識をどう俺たちに伝えるか、見えないところでどれだけ練習をしているか」

「お止めになってください、ルーカス様」


 私は思わず口を挟んでしまいます。彼は私の手を解放し、丁寧にカフスをかけ直して下さいました。

 手袋まで戻した後、彼は私の目を見て謝罪します。

 

「悪ぃな。苦労や努力をひけらかすのはあんたの矜持が許さねえのは知ってるが、言わねえと伝わらないことだってある。伝わることが必要な時だってある。それが今だ」


 ルーカス様は、呆然と立ちすくむコルドラさんへと向き直りました。


「いいか、コルドラ。お前はイリスに俺の妻として変わることを望み、イリスはそれに応えようとした。だがお前はどうだ? 変わっていくストック商会の在り方に対して、自分を変えて乗り越えていく気はないのか? ……お前のこれまでの努力や功績を、たったこれっぽっちの事で無に帰すのか?」


「あたしは……」


「俺はお前を、ここで終わる女だと思っちゃいねえよ。これまでクソ野郎どもに何度バカにされようと、どれだけ悔しいことがあろうと、啖呵切って跳ね除けてきた頼もしい社員だと思っている。だが、状況が変わって居心地が悪くなったと思うお前の気持ちを汲まないつもりはない。今の職場の居心地が悪いなら、新しい織物工場で働いてくれないか?」

「新しい、工場……?」


 私も初耳の話です。

 ルーカス様はぎらぎらとした琥珀の瞳を眇め、いつもの不敵な微笑みを見せました。


「ようやくソラリティカ北部の農場を買い取ることに成功した。2年ほど交渉が難航していたんだが、ホワイトワンド伯爵家が口添えしてくれたお陰で数日でトントン拍子に話が進んでな。今は公証人のシリウスに対応を任せているところだ」

「おめでとうございます、ルーカス様」


 私の言葉に、ルーカス様は肩をぽんと叩いてくれます。そしてコルドラさんに向き直ります。


「もう求人かけてっから、すぐに田舎から機織り娘たちが集まってきて忙しくなるぜ。そいつらの教育、古株のコルドラ以外の誰に任せられるっつーんだ」


 コルドラさんは大粒の涙をぽろぽろと零していました。


「あたし……まだ、働いていていいの?」

「当然だろ? 誰が雇った社員だと思ってんだ、お前は」

「………ありがとうございます、社長………奥様……」


 彼女は緊張の糸が解けたように、がくりと膝を折り泣き崩れました。

 私はキキに目配せして、コルドラさんと親しい女性を連れてきてもらいます。涙を拭うのは、私ではなく彼女をずっと見守ってきたご友人が一番だと思うので。



 ――そうして、コルドラさんの一件は無事に幕を下ろしました。




「ところでイリス」

「はい」

「……別にコルドラとは1ミリもそう言う関係じゃなかったからな?」

「私は気にしませんよ」

「だああ、俺が気にすんだ! 社員に手を出すなんざ、面倒ごとをわざわざ起こすような男だと思われてたまるか」

「はい、ルーカス様がそう仰るのならば、信じます」

「…………本気で信じてくれよな?」


 それからしばらく、ルーカス様は私に何度もコルドラさんとは全く男女の関係ではなかったことを伝えてきてくださいました。

 私はどんな過去だったとしてもルーカス様が素敵だと思います。

 それにルーカス様の言葉は疑わず信じていますよ。


「あんたは変に物分かりいいから、念押ししときてえんだよ……」

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