第44話 ライカとキキの未来

 昼下がり、キキはホテルの庭で銀髪をなびかせているライカを見つけた。

 彼の金色の目は、休暇を満喫しているかのようにゆったりと瞬いていた。


「ライカさん、ここにいたんですね」

「ええいましたよ」


 二人はストック夫婦の旅行先にて一週間ほどの休暇を得て、ぼんやりと時間を過ごしていた。海のさざなみが打ち寄せる音が、心地よい午後の心地よさを一層引き立てていた。


「ライカさんは何してたんですか?」

「ぼーっとしてました」

「えへへ、私もです」


 キキはおさげ髪をゆらして笑う。


「私たちにもおやすみいただけるなんて思ってなかったから、何していいのか悩んでます」

「まさかこんなに、ですよね」

「ほんとそうです」


 ライカは「そうですか」と言って少し考えるそぶりを見せると、キキに提案した。


「二人でデートします?」

「わーい」


 ライカと一緒ならば防犯面でも、どこに行くにも安心だった。

 二人は揃って、近くの海岸沿いまで足を伸ばすことにした。


◇◇◇


 海岸は、うみねこの鳴き声や潮騒の音が一層賑やかだった。風が強く吹いていて、雲が素早く空を流れていく。

 キキは隣を歩くライカを見て言った。


「……ねえライカさん、ほんと前より優しくなりましたよね」

「私は昔から優しいですよ?」

「前よりもっと」

「褒め言葉として受け取っておきましょう」


 ライカはそういうと、ふっとキキを見つめて言った。


「あなたも綺麗になりました。……本当に良かった」

「ライカさんも、私をそういう褒め方することあるんですね」

「ありますよ。あなたも大切な旦那様の使用人の一人なのですから」

「えへへ。嬉しいなあ」


 風がごう、と吹き付ける。雲の流れが早い。

 主人夫婦は今日は二人でゆったりと蜜月を楽しんでいるところだ。

 彼らはきっと幸せな時間を過ごしているだろうと思いながら歩く。

 キキは心地よい風におさげ髪とスカートを抑えながら、ライカに一つの問いを投げかけた。


「ねえ、ライカさんはこれからどうするんですか?」

「ん?」

「ルーカス様もイリス様も幸せになったことだし、ライカさんはこれからどうしたいのかなって」


 ライカは少しきょとんと目を瞬かせたのちーー少し意地悪く目を眇めた。


「私を追い出したいんですか?」

「そんなんじゃないですよ! ただ……ほら、ライカさんなんか、急に消えちゃいそうなくらい、最近穏やかだから……」


 ライカはキキの言葉を受け止めると、海の向こうへと視線を向けた。


「確かに、気が立つようなことってほとんどなくなりましたね。でもだからこそ、この平和を守るためにこの家に居続けたいと思っていますよ。キキは?」

「……私は……」


 キキは一瞬、視線を彷徨わせる。

 思っていることを言っていいのか悩んだのだ。けれどこの人には話していいだろうと思い直し、キキは唇に指を立てた。


「私は……そうだなあ。……ライカさん、他の人には内緒にしてくださいね?」

「ええ」


 ライカが頷くと、キキは勇気を出して、そっと秘密の夢を話し始めた。


「私もいつか結婚したいんです。できればルーカス様のところの使用人の人だと嬉しいなあ。そしてお母さんになるのが夢なんです」

「……」


 ライカの沈黙に、キキは悪いことを言ってしまったかとヒヤリとした。


「え、どうしたんですか? おかしいこと言っちゃいました?」

「……ふふ、いえ。違いますよ」


 ライカは眩しそうな眼差しで、ほんの少しだけ目を細めて微笑んだ。


「小さな子供だと思っていた女の子が、もう立派なレディになったのだと感慨深く思っただけですよ」

「えへへ……」

「でも一体どうして? きっかけでもあったのでしょう?」


 キキは少し考えてから、再び話し始めた。


「私、乳母になりたいんです。ルーカス様とイリス様に子供が生まれるなら、私が一番近くでお世話したいんです。それなら……私もお母さんになれば……って。それに、そうすれば、お二人の未来に私の子供も残せます。みんなで家族みたいで、幸せだなって」

「いいですね、応援して差し上げますよ」

「ライカさんはそういうの興味ないんですか?」

「わんわん。ノーコメントです」

「そっかー。その時はライカさんも、赤ちゃん抱っこしてくださいね」

「お断りします」

「えー」

「私、弱いものは嫌いだし近寄りたくないんです、壊しそうで」


 あれ? とキキは思う。


「ライカさん」

「はい?」

「……私、弱いのに。どうしてライカさんは私に優しいんですか?」

「弱くないでしょう、あなたは」


 当然のようにライカは答えた。


「キキは強いではないですか。過去に向き合う強さも、あの恐ろしい旦那様の心を溶かす素直さも、奥様の支えになれるメイドとしての技量もある。立派です」

「……ライカさん、今日ほんとどうしちゃったんですか」

「好ましいと思う相手に好ましいと素直に告げるのも、悪くはないと思ったのです」

「……えへへ、私もライカさん好きです」


 ライカは風に髪を靡かせ、ふっと肩をすくめた。


「私相手じゃなかったら、ときめきのラブロマンスでも始まりそうなのに私で残念でしたね」

「ライカさんとラブロマンスは、……うーん、やっぱりちょっと想像できませんね」

「ふふ。失礼な小娘ですね、あなたは」

「ライカさんだってそう思うでしょ?」

「ええ。私はただの犬ですので。主人以外に気を逸らす気はありませんよ」

「ですよねえ」

「ええ。……だからキキは、どうか夢を叶えてくださいね」

「もちろんですよ!」


 ライカとキキは顔を見合わせ、くすくすと笑いあった。

 

 ーーこうして。

 二人の穏やかな会話は、昼下がりの海岸の潮騒へと溶けていった。

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