第5話
ルーカス様は借金を肩代わりするために、カレリア家侯爵令嬢というマナーブックを買ったのです。
容色ではなく能力を買ってくださる方で私は安心しました。
「いや、イリスお前、自分で言ってるほど地味でも空気でも――」
「ルーカス様、いかががなさいましたでしょうか」
「………………なんでもねえ。あんたがそう思い込まされてきた、というだけだからな」
「……?」
ルーカス様は不思議なことをおっしゃいますが、それはそれとして。
私はカレリア家の借金の分だけでもせめて、「この女でよかった」と思ってもらえるような成果を出さなくてはなりません。
使用人の方はもちろん平民育ち。王都の文化や暮らしを知らない人たちばかりでした。
何かを教えるならまず、私のほうが歩み寄って心を開いて貰わなければ。
私はまず屋敷の使用人の名前と顔を全て覚え、彼らの性格を覚えました。
最初は「面倒くさい王都の生意気な若奥様がやってきた」という目で見られることもありましたが、次第に打ち解けていくことができました。
使用人の皆さんは口々に私に訴えました。
「イリス様。あたし、ルーカス様の恥になりたくないんです。王都に出ても恥ずかしくない言葉遣い、教えて下さい」
「俺達もルーカス様に拾ってもらうまで、まともな教育なんざ受けたことねえ。たのんます、奥様」
ルーカス様は皆さんからとても敬愛されているようです。
私も妻として、ルーカス様をお慕いする皆さんの期待に応えなくてはいけません。
「承知しました。ちょうど私がお世話になった女家庭教師(せんせい)も実家を退職したばかりとのことですので、こちらにお招きして、私と彼女で講習会を開きましょう。男性には、私の知り合いの縁故で敏腕執事のマナー講座を」
使用人のみなさんから何を知りたいのか聞き取って、私は講習会を始めました。
身のこなしから言葉遣いといったすぐに変えていける部分から、読み書き、教養として知っていると豊かな気持ちになれる物事。
元々ホワイト(優良な雇用先をこのように言うそうです)で評判だったルーカス様のお屋敷はますます評判がよくなりました。
そして体の傷を気にしていたキキに、夏でも涼しく過ごせるように新しいメイド服を考案しました。
分厚いタイツを履かずとも働けるように、スカートを幅の広いパンツスタイルにしてみましたが、意外にもそのデザインは、ストック商会で働く女性たちにも大好評となりました。
「海風を気にせずに働けて便利です!」
「労働するにしても女性らしいスカートスタイルで働きたかったので嬉しいです!」
「ありがとうございます。東方の女性が留学に訪れた時、履いているのを見たことがあったんです」
そしてルーカス様のお仕事も、微力ながらお手伝いいたしました。
商品輸入先の国際状況や、王都の王侯貴族の流行や趣味、交友関係に関しては社交界で常に学んでいたので知識があります。
「その方は釣りが趣味です。実益の釣り道具より、豪華な釣り道具を好みます」
「その方の奥様は海外の恋愛小説を好んでおいでです。でも隠しているので、彼女の親しいメイドに小説について売り込むと良いでしょう」
「そちらへの手紙は私が準備しておきました」
そして私の情報が古くならないように、ソラリティカでも気候の良い時を選んでサロンを開きました。
ソラリティカという遠方の地方都市、くわえてルーカス様という謎の新興貴族に興味を持ってくださった方々が少しずつこちらに遊びに来てくれるようになりました。
いつの間にか王都では、鄙びたイメージだったソラリティカは開放的で明るい港町のイメージへ、そしてルーカス様の事も「若くてやり手で信頼のおける実業家」というイメージへと変わっていきました。
「イリスのお陰で、王都でもぐっと仕事がやりやすくなった。ありがとな」
「それは買いかぶりすぎです、ルーカス様。元々ルーカス様は王弟である公爵閣下に認められていた方ではないですか。私がしたことは、ただ顔つなぎをしただけです」
「卑下すんなって。イリスのサロンが評判だからこそ、貴婦人のソラリティカ観光がブームになってんじゃねえか。あんた目当てでソラリティカに来る貴族が増えたお陰で、宿泊観光事業も潤って、ますますこの街がにぎやかになってきた」
仕事の合間に、ルーカス様は世間知らずの私を色んな場所に連れ出し、色んな事を教えてくださいました。
海の輝き。にぎやかな市場の声。
酒場で身分を超えて歌って笑って楽しく過ごす港町の夜。
王都から身一つでやってきた私は、自然とソラリティカの街に馴染んでいきました。
「――そういえば、妹は一体どうしているのかしら」
私は海風に吹かれながら、ふと王都の実家を思い出しました。
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