第37話

 話はその後、想定以上にすんなりと上手くいった。

 ホワイトワンド伯爵は上機嫌なままに書面の契約を無事済ませ、そのまま解散となった。


「しかしあんな土地を譲ってもいいのかね」

「あんな土地などとご謙遜を。素晴らしい立地と伝説を持つ土地を頂けて良い取引ができ嬉しく存じます」


 好々爺はほっほっほと笑う。彼は最初から最後までこちらに愛想良く接してくれた。少なくとも今は、今後も良い関係を築いていきたいと思ってもらえているらしい。

 レイスバン卿は結局終始、相変わらず面白くない顔をしていた。


「そうそう。君の細君にもよろしく伝えておいてくれ。妻がまた会いたいと言っていたよ」

「有難うございます」


 不意に、こちらを見透かすような眼差しでーー好々爺は呟いた。


「良い妻を選んだな。それに良いも」


 馬車の準備が整った旨を伝える従者がやってきた。


「では、またソラリティカにて」


ーーー


 談話室にて服を寛げ、葉巻を燻らせ始めた叔父にレイスバンは訴えた。馬車を飛ばして阻止しようとしたものの、これでは骨折り損だ。


「あんな勝負で有耶無耶にして良かったのですか、叔父上」

「彼は私の顔を立ててくれたのだよ」

「顔を? あの成金が?」


 怪訝な顔をする甥に、白い片眉をあげて老人は煙を吐く。


「突然の勝負とはいえ、甥のお前を簡単に負かしてしまっては私の面子を崩す。だからあえて最後は正当な方法ではない方法で勝負をわやくちゃにしたのだよ」

「もしかして叔父上が、ああして大はしゃぎして話を有耶無耶にしたのも」

「それは儂が楽しかったからさ。はは、まさか若造があれを知っているとはな……」


 叔父が想像以上に成金の若造を気に入っていると知り、レイスバンは開いた口が塞がらない。

 しかしその表情すら想定内と言わんばかりに、老人はゆったりとソファに身を沈め眉根を揉んだ。


「あれは王弟殿下と通じている。かつてとある領地に大妃殿下ーー当時の王妃殿下が訪問した際、熱病の特効薬を献上したことがあるらしい」


 レイスバンは目を瞠る。まことしやかに噂されているそれが真実だったとは。


「しかしまさか、あの男が」

「当時は、まだ名もなき使用人だったらしいからの。その時に同行していた王弟殿下と縁が繋がったようだ。これは一部の者しか知らん話だよ」


 王弟殿下といえば、現国王陛下を支える最大勢力だ。平民への爵位授与条件緩和に反対する王兄勢力と複雑な関係にあるという。

 テーブルに目を落とし勢力図を思い描くレイスバンに、叔父は話を続ける。


「王弟殿下はおそらく今後、あれを手駒の一つにする。能無しの若造がソラリティカの港を実質支配する男にはなれんよ」

「なッ」


 頭から勢力図が霧散し、思わず声をあげる。


「叔父上。田舎の港の支配ごとき、何の意味がありましょう。たかがマルマリア鉱石の輸入を当てただけの成金です。実際王都では未だ名もろくに知れていない」

「知れていない元平民だからこそ、王弟殿下にとっては至極の駒だ。使い損ねても王弟殿下にとって痛手はなく、ストック卿の側としても、王弟殿下の権威を利用したいだろうさ。実にシンプルな関係だ」

 

 レイスバンは、深い皺の刻まれた叔父の横顔を見つめた。


「そもそも、カレリア令嬢に目をつけた時点で、あれは随分な目利きだ」

「高貴な血を求め、没落令嬢を選んだだけではないのですか?」

「手前の利益を求めるなら同じ商人同士の婚姻が都合が良い。後ろ盾のないストック卿にとって、商人同士の繋がりを手に入れられるのは有益だ。

 貴族の権威を求めるとしても、没落寸前のカレリアより有力な家柄はいくらでもある。カレリアの令嬢など、金で娶るとしても割りに合わない買い物だ。しかしやつはカレリアの娘に目をつけた。カレリアの借金を肩代わりしてでも、買ったもの。それにあの男の思惑がある」

「思惑……」

「お前も吸わないか?」

「あ……はい。では」


 叔父に促され、レイスバンも葉巻に火を灯す。

 紫煙が、溜息と共に二人の間を漂って消えていく。


「それにお前も気づいているだろう」

「何にでしょうか?」

「あの銀髪はおそらく元『犬』だ」

「……見栄のために染色させている可能性は?」

「髪で隠しがちにしていたが、瞳の色までは変えられない」

「まさか……」


 ストック卿の傍に仕えていた銀髪の男は執事と称していたが、執事というには妙な違和感のある男だった。身のこなしに隙がなく、音もなく動き回る。かと思えば従者として洗練された物腰とも言えず、ただただ妙だと感じた。

 男の使用人はメイドに対して格段に値が張るいわば「飾り」だ。いかに眉目秀麗な男性使用人を伴うかもまた権勢を示す手段として用いられる。

 実務ではなく容姿だけを買い、あれを連れていたのだと思っていたが。王族に仕える『犬』が出自ならば、言葉にし難い違和感を覚えたのも納得できる。


「しかし『犬』なら王族以外に仕えないはずでは」

「まあおそらく、誰かがストック卿を殺そうとして、それを返り討ちにして手駒に迎えたのだろう」

「王兄殿下派……でしょうか」

「おそらくな。そして王兄殿下派への牽制として、手元に置いている」


 好々爺の顔を崩さず、ホワイトワンド公爵は笑った。


「つくづく面倒な男だぞ、あの若造は。今のうちに適度に繋がりを持っておいた方が今後のためだ。端の土地で尻尾を振っているうちに。いずれ我が一族にも恩恵がある日もくるやもしれぬ」

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