第38話

 馬車が出立してしばらくして。

 ホワイトワンド邸が見えなくなったところで俺は息を吐き、セットした髪をくしゃりと崩してジャケットを緩めた。


 ネクタイまで緩めようとして少し思い直す。

 イリスが整えてくれたままにしておきたい。解くのはイリスに任せたかった。


「それなりだったな」


 無事に用地を手に入れることができた。施工業者の手配と稼働開始時期に思いを巡らせようとしていると、汗ばんだ肌を冷ますように、午後の風が吹き抜ける。


 馬車の外は相変わらずの荒涼としたルクシアーノの景色が続いている。

 橋を渡り、馬車が林道に差し掛かろうとしたその時だ。


「旦那様」


 瞳孔を細くしたライカが、低くつぶやく。


「先の方、銃口が光っています。誰か待ち受けているようです」


 告げたのちライカは馭者に合図をして、馬車の速度を緩めさせる。いきなり止まれば、察知したことが相手に気づかれる。

 俺はライカに尋ねた。


「……さっきの連中か?」

「いいえ。この安易さ、ホワイトワンド伯爵のせいにして消そうとしてくる別口ですね。どこからか、今日の契約の予定が漏れたのでしょう」

「まあそりゃ当然漏れるだろうな」


 俺は軽口を叩く。


「あのレイスバンのおっさんが王都の用事サボって飛んで来てるって以上、情報は筒抜けだ。察しの悪いやつでもわかんだろ」

「本当迷惑なおっさんでしたね。あの人のせいで」

「ああ。本当に迷惑なおっさんだった」


 飄々とした口ぶりながらも、ライカの体躯に緊張が走る。指先の一つまでに神経が研ぎ澄まされ、括って長く伸ばした銀髪が銀狼の下がり尾のように揺れる。

 かつて戦時下の折、王族が海を越えた遠い異国より、使用人として連れてきたと言われる、銀髪金瞳の人間。身体能力が高く、老化が遅い『犬』の血を引く者。

 ライカは身を低くして、静かに言葉を紡いだ。


「連中の体格と若さ、そして身なりから想像するにーー本業の暗殺者ではありません。適当に金を握らせた者を寄越してきているだけですね」

「ライカ、顔に見覚えは?」

「ありません。ソラリティカにも貴族家にも繋がらない、おそらく弱小商人が雇ったんでしょう。旦那様こそ、誰かの心を弄んだ覚えは?」

「ハッ」


 俺は一笑に付す。


「強いて言やあ、この前、競売で競り負かしたメルビッチ家は弄んじまったかもなあ」

「あー、あそこなら確かにノータリンそうだったですもんねー。たまたま用地を見学していたら、通りすがりの奴らに追い剥ぎにあった、って筋書きにしたいんでしょうね。なるほどなるほど」


 行けGoを待つ猟犬のように、ライカは座席から腰を浮かせて俺をみた。


「旦那様、ご命令を」


 馬車が射程圏内に入る寸前、俺は犬に命じた。


「殺るな。それだけだ」


 命令を賜った忠犬よろしく、ライカはニヤリと犬歯を見せた。


「ノータリンの脳漿は見たくないですものね。承知いたしました」


 次の瞬間、音もなくライカは馬車から消える。

 道から外れて草の中を分け入る音がする。


 バンーーと、遠くで銃声。


 草木の中で揉み合う音と、直に男の濁った叫び声が聞こえる。


「やったか」


 その時、血相を変えた暴漢たちが草むらから飛び出し、馬車へと向かってきた。俺を始末できればと思っているのだろう。


「ったく、使い捨てされるだけなのに、生き急ぐなよ……ッッ!!!」


 俺は座席の下の猟銃を掴み、馬車の窓枠に手をかけた男の喉笛を突く。

 ドアごと蹴り破り、地へと突き落とし逆側から入ってこようとする男の頭を猟銃で横殴りに殴り飛ばす。

 ナイフを掴んでやってくる男に、俺は目を眇めて笑う。


「おいおい腰引けてんぞ、それで俺を刺すつもりか?」

「ヒッッ……!!」


 腕を絡め取ってナイフを掴み、締め上げればポトリと落ちて座席に突き刺さった。

 失神して泡を吹く男と呻き叫ぶ男を蹴り転がし、俺は馭者のマルティネスへと目を向けた。


「マルティネス、無事か!?」

「はいッ!」


 巨漢の馭者は白い歯を見せて拳を作って見せる。

 馭者が冷静だからか、馬も落ち着いた様子だ。


「片付いたな。馬を頼む」

「承知いたしました」


 俺は殴打用の猟銃を片手にぶら下げ、馬車を降りてライカへと近づいた。

 ライカは約束通り命は奪わず、ボコボコにのした連中の所持品を検分しているようだった。


「ぐ……」


 銃を持っていたであろう男はすでに両手を台無しにされ、涼しげな顔をして手をぱんぱんと払う、ライカの足おきになっている。

 ライカは見た目からして優男に見えるので、力で捩じ伏せればなんとかなると思われやすく、狙われやすい。

 お陰様で荒事から卒業した俺でも片付けられる程度の連中だけが来てくれて助かった。


「火薬の匂いがするのはこいつだけなので、弾丸はもう飛んでこないと思います」

「そうか」


 俺は倒れた顔ぶれを眺め、おそらくリーダー格らしい男の前髪を掴み、顔を上げさせる。

 見ればそいつも俺よりまだずっと若い。二十歳にも満たないような幼い顔をしている。


「く……ッ!! お前だって底辺だったくせに」

「ああ、そうだな。俺は俺の出自を否定しねえよ、だからどうした」

「ッ……俺だって、お前を殺して、金を手に入れるんだ……!」

「殺して、なあ」


 若い、と思う。

 そのぎらついた眼差しと若さに、俺は過去の自分が重なる。

 気づけば苦笑いを浮かべていた。


「そのやる気を別の方向に向けねえと、一生鉄砲玉だぜ、兄ちゃん」


 前髪から手を離せば顔が落ち、「へぶッ」とつぶれた悲鳴が上がった。

 俺は暴漢どもを放置して、ライカと共に馬車へと踵を返す。


 歩きながら、しみじみと思いを言葉にする。


「俺も他人を若いと思っちまう年になったか。思えば遠くまできたもんだな」

「そーですよ。早く私に孫を見せてください」

「誰目線だ」

「初孫を待っている間にほら、総白髪に」


 尻尾髪をくるくるとするライカ。憎らしい。


「元来銀髪だろうが、てめえは」


 馬車の近くで潰れている連中は全部マルティネスによって片づけられ、俺が蹴り破ったドアも応急処置されている様子だった。

 歩きながら俺は、己の拳を見てつぶやく。


「しっかし、やっぱ前よか筋力落ちたな」

「最初お会いした時は今のトラウザーズ入らなかったでしょ」

「まあな」

「もう一匹狼でもないのですから。汚れ役はどうぞ私に」


 獣の瞳を細くして、ライカは胸に手を当てて笑む。

 何を言いたいのか察した俺はぴたりと足をとめ、そして悪戯を嗜められた気分で笑った。


「お前がもうちょっと手加減を覚えたらな」

「あ、ルーカス様、返り血が」


 甲斐甲斐しい態度でハンカチを取り出し、頬を拭くライカ。

 俺は思わず顔を顰める。


「やめろ。それさっき、泥まみれの石置いてたやつじゃねーか」

「裏返したら新品ですので」

「そういう問題じゃねえだろ」

「それにこれ、奥様が下さったものですよ」

「……」

「あ、素直になった」

「イリスが寄越したモンで石拾うなよ……」


 ファンシーな花畑に暴漢の鼻血が彩を持たせたところで、俺は忘れていたことを思い出す。

 イリスが、俺のこういうことを知ったらどう思うか。

 どう思われるかというより、俺があまりバレたくない。


「……イリスには言うなよ?」

「わかってますとも。ああでも、言ったらどんな顔するのか気になりますね」

「ライカ」

「言いませんってば。わんわん♡」

「うっっぜえ」


 その時。


「うおおおおおおお!!!!」


 馬車に乗ろうとした俺たちの後ろから、ナイフを持った男が走り出してきた。せめて一矢報いたいと思ったのだろう。

 ーー温情を与えた後に、背後を狙う奴には容赦しない。


「行け」


 俺は馬車に置いたジャケットを羽織りながら、一言命じるだけでよかった。

 背後で聞こえた音は、全て聞こえないふりをした。

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