第36話

 銃弾がこちらに近い場所を掠めたようだった。

 レイスバン卿の嘲笑が混じった大声が響く。


「失礼! 貴殿の髪が、まるでひよこのように見えたのでね」


 ーー俺の髪色はこの国の一般的な金髪とは違う。

 異国の血が強く混じった、黄味の強い金糸雀(カナリア)色。

 船旅でもよく目立つ色としてとある海域の民によく見られる金髪だった。


 隣で、銀髪がサラリと揺れる。

 殺気を帯びた瞳、そして彼の手には散弾銃。


「ライカ。stay(まて)」


 一瞬狼の輝きを見せたライカの瞳が、俺の命令を聞いて冷える。

 今の変貌は、俺以外は誰も気づかなかっただろう。


「あっぶないですね、旦那様にでっかいピアス穴開いちゃうじゃないですか」


 再び飄々としたいつもの口調になり、ライカが唇を尖らせる。


「私もうっかり発砲していいですか? 耳の一つくらい吹っ飛ばしてもいいですよね」

「やーめとけ」

「はーい」


 ピリついた空気を肩を叩いて吹き飛ばし、俺は再び、受け取った散弾銃を空へと向ける。


(さあ、これからどうする)


 このままいけすかねえ貴族(オッサン)を負かすのは簡単だ。

 ライオネル海戦も今は昔。お遊びで銃を構えるお貴族様に、その日その日の食事を撃っていた俺が負けることはない。


 パン。


 考えながら俺は粘土片を撃ち落とす。そこで三発の空砲が鳴る。

 あと10発で終わりという合図だ。

 明らかに手元が狂ってきたレイスバン卿は、もう巻き返すことはできないだろう。


 ーー俺は無意識に、あの物静かで芯の強い妻を思い出していた。


 生き馬の目を抜く貴族社会で、柔らかくしなやかに『空気』となって生きてきた女。没落令嬢になろうが家族が借金を抱えて粗相をやろうが、浮かずあぶれず『空気』でいられるのは有能さの証だ。

 カレリア家の家名を保つために貴族社会で『空気』でいられた女。有能な妻を思い浮かべ、俺は心の中で問いかけた。


(なあ、あんたならどうやって切り抜けろと俺に助言する)


 ただ勝つだけでは問題だ。しかし負けてしまえば、この話はご破算になる。大抵こういう時は自分自身に問いかけてきたのに、何故かいつの間にか、心の中に住んだイリスの笑顔に問いかけていた。


 俺では手に入れられなかった複数の用地の買収。ここまでの道を作ってくれたのは間違いなくイリスだ。


 ルクシアーノの化け物の御伽噺を思い出す。

 女神の力に甘え、女神の優しさを履き違え、喰らい尽くして破滅させた化け物。

 イリスの家柄と能力目当てに白い結婚の契りを結んだ俺と化け物は何が違う。

 

(化け物には成り下がらねえ。あいつの夫としての選択をしたい)


 ーーそれならば。

 俺は銃を下ろす。おや、と隣でライカが目を瞠った。


「頼みがある、ライカ」


 ライカに耳打ちして要件を頼むと、なるほどという顔をして林の方へ小走りに向かう。俺は逆方向に芝生をふみわけ、俺は審判役のホワイトワンド伯爵の元へと向かった。


 椅子に腰掛け空を見上げていた伯爵は俺を見て、ライカと同じように目を丸くした。


「どうしたのかね、ストック卿」


 俺は意図的に人の良い笑顔を作り、大袈裟な素振りでやれやれ、と肩をすくめて見せた。


「いやあ、レイスバン卿は流石でいらっしゃる。それに引き換え私は猟銃とは相性が悪いようで」

「そうは見えなかったが?」

「いえいえ。肩もガッチガチですよ」


 突然勝負を投げた俺を、遠くからレイスバン卿が怪訝な顔をして注視しているのを感じる。俺は視線を意識しながら、ホワイトワンド伯爵に提案した。


「ここは一つ、私のやり慣れた方法で撃ち落としてもよろしいですか?」

「やり慣れた方法、とは?」

「失礼ですが、上着を脱いでもよろしいですか」

「それは構わないよ」

「ではお言葉に甘えて」


 ジャケットを脱いだところで、

ライカがスキップをするような軽快な足取りでやってきた。


「旦那様、適当な石拾ってきました」

「おう」


 ライカは膝を折り、白地の妙に可愛らしい刺繍が入ったハンカチを広げる。その中には汚れることも構わずどかどかと、土をろくに落とさない小石があった。

 俺はその小石を眺め、適当なものを見繕う。


「これとか子孫繁栄に縁起が良さそうな形してますよ。ご立派ぁ」

 

 ホワイトワンド伯爵から見えない位置で執事を小突き、俺は手頃な石を見繕う。これならいける。


「次はこれで打ち落としてご覧にいれましょう」

「石で?」

「ええ」


 そしてーー振りかぶって狙いを定めて、投げた!


 シュッ


 石は投擲された粘土片を見事に打ち砕いた。

 その場の誰もが口を開けてポカンとしている。


「いやー、こっちの方が私にはやっぱり慣れてますね!」


 まるで「銃の育ちではない」と言わんばかりに、快活に笑って大袈裟に肩をすくめて見せる。


「旦那様ってばいつもこうなんですよ。時々店に悪漢が出てきても、護衛が手を出す前に、腕っぷしで、こう」


 んもー野蛮なんですからー。と言わんばかりの態度で、ライカも白々しい笑顔で笑う。


「なんと、君は……」


 一発で無事仕留めた。

 ホワイトワンド伯爵は呆然と目を丸くしていたがーー興奮して拍手をしてくれた。


「すごいな! いやあ、見事だ!」

「恐縮です」

「私も童心に返った気分だよ! 懐かしいなあ、海軍時代はよく浜辺で、石に帆布のボロ切れを巻き付けていらない艪で撃って遊んでいたんだよ。正式な競技として流行らせたいと思っていたのだが、なにせ最近の若者は投擲が弱い者が多くてな」

「ラウンドボールという名称なら、軍港時代から港に暮らす者に聞いた覚えがあります。ボールを投げて撃って、チーム制で得点を競うんでしたよね?」

「そうそう! よく知っているな、君は」


 期待以上の大興奮だ。


 ーー旧侯爵家令嬢(イリス)ならどうするか、を考えた時。

 俺のような新興貴族が多い時代には、特に旧来の貴族は「金で買えない誇り」に重きを置く。彼らにとっての古き良き時代を尊び、尊重することがどれだけ心地よいか、それを理解する必要がある。


 彼は海軍時代の事を懐かしく思っている節が随所に見られた。

 話ぶりを見るにどうも、結構積極的に荒事を楽しんでいた風に感じる。


 そしてわざわざ俺のような、見るからに素地の悪そうな粗野な男を気に入り、さらには実力勝負で土地を得させようとしてきた。

 おそらく彼は、いわゆる古き良き荒っぽいやんちゃな青年期を海軍で過ごし、そしてその心を今も持ち続けている男だ。

 ならばーー少々、平民ルーカスとしての素地を見せた方が食いつくと踏んだ。

 男爵として背伸びして気取るよりもよっぽど、この爺さんは好きだろう。


「ほらほら、みんなせっかくだからラウンドボールを実践してやろうではないか。従者を集めたまえ」

「お、叔父上!」


 たまらず駆け寄ってきたレイスバン卿が口を挟む。

 しかし興が乗った好々爺は、にこにこと笑って甥の背中をパンパンと叩く。


「はっはっは、お前にもラウンドボールを見せてやろう、せっかくだから覚えて王都で流行らせてこい!」


 と大乗り気だ。

 俺の隣で、ライカが小声で呟く。


「良かったですね。旦那様。奥様の縁故で入手した、海軍将校の手記に目を通しておいて」

「……本当に役に立って良かったぜ」


 ラウンドボールが当時一部の海軍将校の間で流行したという情報を、先に仕入れていた。

 しかし石を投げて見せるだけで、ここまで興奮させるものがあるとは。

 大はしゃぎで従者を集めて石や棒を用意させるホワイトワンド伯爵を見ながら、俺はぽつりと呟いた。


「将来的に流行ったら、宗教と政治の話と並ぶほどの関心ごとになるかもな……」


 隣でライカがにやにやと笑いながら適当なことをいう。


「全国にチームが置かれるかもしれませんよ。今のうちに競技場の土地買っといた方がいいかも」

「流石にそりゃ言い過ぎだろ……いや、んなことなったらそれこそ、ルクシアーノに競技場作るか。ホワイトワンド伯爵の名前を冠して」

「夢は広がりますねぇ」

「ばーか」


 自分だけならば、ここまでマニアックな情報をあらかじめ知っておくことはできなかっただろう。

 またイリスに助けられた、と思う。


「儂もまだまだ投げられるぞ、それ!」


 ホワイトワンド伯爵は、見事な美しい投球フォームで石を投げる。  

 使用人たちも投げるが、どんなに若く逞しい者でも伯爵ほど美しくは投げられない。……よっぽど球技に熱中してたな、このじーさん。


「いやあ、しかし君は本当に面白いな! 投げてよし、撃ってよし! いやあ誘って良かったよ」

「光栄です」


 俺はできるだけ柔らかく、よそゆきの顔で微笑む。

 そりゃそうだ。これで鳥を獲って食いつないでいた日々でどれだけ鍛えたか。


 勝負は有耶無耶になって、そのまま石投げ大会となった。

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