第13話

 忙しさと疲れと怒りと諦めに飲まれて一ヶ月半。

 ついに、婚約発表パーティの開催の日がやってきました。


 今夜は王弟である公爵閣下夫妻がいらっしゃいます。そしてミハイル様のお父上であるストレリツィ侯爵も遠征地からお戻りになります。

 軍人として名を馳せたストレリツィ侯爵の前ではミハイル様も強く出られないご様子で、あの日私にした態度をケロリと忘れたように好青年を装った立ち振舞いを行っています。

 母であるストレリツィ侯爵夫人のご教育のお陰か、ミハイル様はやろうと思えば礼儀正しい紳士でいられるのです。


 ――しかし。

 私はちらり、と我が親族を見やります。


 パーティの準備は結局ストレリツィ侯爵夫人と私が中心になって行い、招待状も使用人の補充も、その他もろもろの名もなき諸雑務も全部が私が行いました。

 ストレリツィ侯爵夫人が同情してくださったのがせめてもの救いでしょうか。


 父も義母も妹も悪びれることなく、堂々と豪奢な装いで来賓達を歓迎しています。

 今後の事を考えて少しでも必要のない部分は節約してほしかったのに、今夜のためだけにたくさん浪費しているようです。


「ストレリツィ侯爵夫人。私は少し奥に下がります」

「ありがとう。あとは私に任せなさい」


 私は元カレリア侯爵令嬢といえど、今は位の低いストック男爵夫人です。その上、王都の社交界ではまだ夫ルーカスは馴染んでおりません。私はストレリツィ侯爵家とカレリア侯爵家のパーティには不釣り合いな立場なのです。

 表舞台はストレリツィ侯爵夫人に任せ、私は裏方に入って細かな確認や調整を行っていました。

 執事やメイド長がいてくれるのならば不要な仕事ですが、今のカレリア家では贅沢ができません。


 ドレス姿で動き回っていた私に、メイドのキキがはずんだ声で呼びかけました。


「ストック男爵――旦那様がお越しです!」

「!!!」


 私は急いで身なりを整え、パーティに訪れた夫を出迎えました。

 馬車を降りたルーカスの笑顔を見た瞬間、私は無意識にハイヒールで駆け出してしまいます。

 たくましい腕で足が浮くほど抱きしめ、ルーカスは私の頬にキスをして笑いました。

 ぎらぎらとした琥珀の瞳に射抜かれると、胸がぎゅっと苦しくて、愛しさでいっぱいになります。


「はは、イリスみてぇなお嬢様が、顔を見た途端に笑顔で抱きついてくれるなんてな!」

「……会いたかったのです、旦那様」

「他人行儀に言うな。いつもみてえに、ルーカスと呼んでくれ」

「はい、ルーカス様」

「様づけも、なしだって言っただろ」

「……ルーカス」

「ん、それがいい」


 ルーカスに抱きしめられるだけで、どうしてこんなに力が湧いてくるのでしょう。急にパーティが美しく輝かしいものに見えてきました。


 夫を伴い私が大広間に登場すると、周囲の視線がぱっと集まります。


「あれは……噂のルーカス・ストック卿ではないか」

「話では粗野な男だと聞いていたけれど、全く違うじゃない」

「王弟殿下と親しくしてらっしゃるという噂は本当なのでしょうね。見て、あの身のこなし」


 背筋を伸ばし美しく挨拶をする夫はとてもまぶしく、私の欲目かもしれませんが麗しい貴族家の男性陣にも見劣りしません。

 隠しきれないぎらりとした眼差しの強い輝きが、かえって彼の堂々たる立ち振舞いに箔をつけます。

 彼と一緒にいると、自然と私にも衆目が集まるようです。


「隣にいるのはイリス嬢? あの「空気」だった子が随分と垢抜けして……」

「イリス嬢はあんな顔だったかしら? 目立つ妹のアイリア嬢に隠れていて、凛とした黒髪と白い肌があんなに綺麗な令嬢だったなんて気づかなかったわ」

「婦人はドレスで随分と変わるものだな……」


 注目されて頬が熱くなりますが、私は背筋を伸ばして笑顔に努めました。

 ちょうど挨拶の列が途切れていたので、私達はそのままホストであるストレリツィ家とカレリア家両家に挨拶へ向かいました。


 私達を見て、ストレリツィ侯爵がよく通る声で声をかけてくださいました。


「君がストック卿か。私が隊長を務める海軍基地でも話題だよ。退役後でもソラリティカに行けば、いい仕事が見つかるとね」

「海を守ってくださる軍の方々の後ろ盾があってこそ、我々の商売も成り立っております。こうして『800年戦役の双翼の騎士』殿にお会いできて光栄です」

「おお、私の名を知ってくれているのかね――」


 侯爵はわかりやすく声をはずませ、夫と話に興じました。

 二人の話に耳を傾けていた他の貴族も、一目置いた眼差しでルーカスを見ているのを感じます。好意的な空気にほっとします。

 その時、話に割り込むように妹がやってきました。


「ルーカス様、すごく綺麗な金髪! 金髪というより、真っ黄色って感じね。染めてらっしゃるの? 瞳も飴玉みたい。初めて見るわ」


 さっそくずけずけと人の身体的特徴を公の場で話題に取り上げる彼女に頭痛がします。

 ルーカスは妹を見て目を細め、紳士的ににこりと笑います。


「お褒めいただき恐縮です、カレリア侯爵令嬢アイリア様。人混みでも船の上からでも、宴でもすぐに目立つ便利な髪です」


 ルーカスの微笑みに、アイリアの目がますます輝きます。


「そうね! あなたとても背も高いし、きっとお庭に出たりするともっときらきら輝くんでしょうね。ねえ、今度私をソラリティカに案内して頂戴」

「ちょ、ちょっと……」


 思わずどきっとしてアイリアを見ます。

 彼女は婚約者も婚家もそっちのけで夫に夢中です。華奢な小首をかしげて微笑む妹に、ルーカスは自然な仕草で距離を取りました。


「アイリア様、私はまだ王都の社交の場では新参者の身。いつまでも主役のお二人と、ご親族様を独占するわけには参りません。どうか良い夜を」

「ええー! 私次にお話できるのがいつかわかりませんのに……」

「アイリア!」


 金髪の巻毛を揺らして媚を売るアイリアに、にこやかにミハイル様が割り込みます。


「そうだよ、僕の事もかまってくれないと寂しくなるじゃないか。それではまた後ほどお話しましょう」

「えー……ミハイル様ぁ……」


 アイリアは少し興が削がれた顔をしていますが、婚約者の言葉に大人しく席へと戻ります。

 ミハイル様はちらりと一瞬、私を舐めるような目で眺めます。


「ッ……」


 ぞくりとした私の肩を、守るようにルーカス様が抱き寄せます。

 気づいていない振りをしながらも、私を守ってくれているのを感じて嬉しいです。

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