第14話

 パーティを盛り上げる楽団の音楽がフェードアウトし、大広間の注目がゲストの王弟である公爵閣下へと集まります。

 公爵閣下は騎士に高く紙を掲示させました。王家が二人の結婚を承認する証文です。


「ストレリツィ侯爵家子息ミハイルそしてカレリア侯爵家令嬢アイリア、本人の手によるサインを行ってもらう」


 婚約の手続きを正式に提出する前に、王族の前で証文に婚約する男女揃ってサインをするのがこの国の伝統です。

 厳かな雰囲気になった大広間、中心の台にミハイル様とアイリアが並び立ちます。

 さらさらと、万年筆が動く音が聞こえます――


 公爵閣下がミハイル様とアイリアのサインを確認し、頷きました。

 大広間を盛大な拍手が包みます。

 中央でミハイル様とアイリアがにこやかに微笑んで挨拶をします。

 ミハイル様は見事な仕草ですが、妹はぐらり、とゆれながらのカーテシーです。

 カレリア家の未来を暗示するような、そのふらついた挨拶に私の胸は痛くなりました。

 ――私がもっときちんと躾けられていたら、妹は幸せになったかもしれないのに。


 あたたかな拍手が落ち着いてきたところで公爵閣下が咳払いをします。

 注目が再び、彼へと集まりました。


「えー。そしてこの場でいつもなら終わりなのだが、一つ聞いてほしい。晴れがましい場で口にするのも忍びない話だ。これから耳にすることは、この大広間に本日集まった者、内々での話としていただきたい。ここが一番適切だと判断したためご容赦いただきたい――私の恩人の屋敷で働くメイドが二年前、王都某貴族のタウンハウスにおいて、酷い仕打ちを受けたと訴えている」


 ざわ、と場の空気が乱れます。

 もちろん皆さん事前に織り込み済みではあるのですが。


「今年一月の法整備により、貴族雇用主の罰則が厳しくなったのは皆、記憶に新しいと思う。それにより二年前の事件の訴えも調査できるようになっていたので、私が王都警察に再調査の申し入れをした。御周知の通り、王立医学局の局長を務めている私も、調査には協力させていただいたよ」


 場に集った全ての貴族の表情が一瞬固くなります。

 もともと、貴族対平民の事件に関しては貴族に有利な法律となっていましたが、公爵閣下の仰るとおり今年一月、衆議院の訴えにより、貴族にも平等な罰則が与えられるようになっていたのです。


 公爵閣下は更に話を続けました。


「調査で簡単に事件の全貌を特定できた。この婚約発表パーティの主役であるストレリツィ侯爵邸において、メイドがここ数年で異常な数入れ替わっており、その殆どが『婦人には言葉にし難い被害』を受けているということを」


「――!!!」


 ミハイル様の頬が一瞬、ぴくりと引きつります。

 隣では彼の母、ストレリツィ侯爵夫人が、全てを理解した真っ青な顔で口を固く結んでいました。

 彼女は、今夜何を断罪されるのかを事前に知っています。


「そして……睡眠薬を大量に購入してあることも突き止めた。睡眠薬は国内の医師には知られていない独特な薬で、その生産国と入手ルートは決まっていると。――ストック男爵」

「はい」


 静まり返った大広間で、ルーカスが前に出ていきました。


「弊社ストック商会の独自ルートで調べました所、彼女たちに使用されていた睡眠薬はカイラ国でしか産出されない砂糖の甘さを持つ種類のものでした。この睡眠薬はたった一滴でも効果が高いものの体に悪影響を与えるので、国内では禁止薬物です。入手は非常に困難で、私も先週公爵閣下の代理として輸入を試みてみたのですが不可能でした。――あちらの国でも奴隷にしか使いません」


 恐ろしい話だ。


「悪影響というのが……キキ、おいで」


 ルーカスが振り返ります。

 私の世話をしてくれているキキが、おずおずと人の前に出てくる。怯えている。


「キキ。腕を見せてご覧」

「……はい」


 キキがメイド服をまくると、そこにはタトゥーにも見える花の模様のようなあざがくっきりと浮かんでいました。


「こちらの痣は青く、そしてこちらの痣は黒い。キキ、辛いと思うが証言してほしい」

「かつて私がお屋敷で勤めていた時、眠っている間に、……何度も、ひどい悪夢を見て。最初は悪夢だと思っていたんですが、悪夢の夜の度に次第に腕に痣が残って……花が開いていくように、痣が増えて」


 キキの声は震えています。しかし気丈に言葉を紡ぎます。


「ある日、使用人の部屋で休んでいると、……夢が浅い日があって。その日、私に覆いかぶさってくる男性の影が、…………そして翌朝には……また痣が増えていて。気づいたんです。悪夢を見ていたのではなく、薬でおぼろげになった意識で、現実に、……何度も……」

「キキ……」


 私は彼女の手を握り、背中を支えます。


「すごく怖くなって辞めて、王都の貴族さえみんな恐ろしくなって……王都を去り、逃げるようにソラリティカのルーカス男爵のお屋敷に就職しました。イリス様の事も、最初は王都の貴族のご出身なので……怖かったのですが……それでもイリス様は本当に優しくて、大切な方で。そしたらイリス様の元婚約者の方の家が、その……私が元々勤めていたお屋敷、ストレリツィ邸で……」


 彼女は声を震わせる。それでもしっかり話した。


「でももう、なかったことにしたくて。私の顔を見てもわからなかったみたいですし……だから、もう平気なふりをしていたんです。けれど、イリス様にお出しする紅茶から、昔嗅いだことがある匂いがしたので、私は……」

「もういいわ、キキ」


 崩れ落ちそうになる彼女を私は抱きしめます。キキはわっと泣き出しました。


「皆様。キキは私を守るために、とっさに薬が盛られた紅茶を飲み干してくれていたのです」


 きらびやかに着飾ったご来賓の方々は目の前の状況に、皆さん今にも倒れそうな顔色をしています。


「つまり……ミハイル様はイリス嬢に、その怪しい薬を盛ろうとしていたの……?」

「なんということだ」

「確かにそういえば、ストレリツィ邸のメイドはいつでも幼いメイドが入れ替わっているような……」


 ざわつく来賓の方々の言葉を聞いても、ミハイル様は感情の読めない無表情で押し黙っています。

 震える声でつぶやいたのはストレリツィ侯爵でした。


「ミハイル、お前はまさか……」

「お父様、僕よりその元平民の言葉を信用するのですか?」


 対して――ミハイル様は場にそぐわない笑顔で肩をすくめ、よく通る声で割り込みます。


「公爵閣下、皆様、落ち着いてください。僕がそんなことをするわけがないではないですか。話を聞く限り、その薬は入手が困難とのことではないですか。そんなものを、たかがストレリツィ侯爵の息子でしかない僕が入手できるわけがありません」


 眼差しをストック男爵――夫ルーカスに向け、ミハイル様は薄笑いを浮かべます。


「海外の商人とコネクションの深い、ストック卿のほうがよほど入手しやすいのではないか?」


 その態度に、キキが涙声で叫びます。


「そんな! 社長を悪く言わないで――!!」


 私は彼女の肩を抱いて宥めました。

 すっかり静まりかえった婚約記念パーティで、ミハイルの主張だけが大声で響き渡ります。


「公爵閣下、どうか目をお覚まし下さい! その金糸雀色の髪の男――ストック卿は出自も怪しければ王都へ進出したのもここ数年という、疑惑に塗れた元平民の商人です! 元カレリア侯爵令嬢であるイリスとの結婚を画策し貴族社会に入り込んだのは本当に商人としての実力だけなのでしょうか?」


 ぺらぺらと言葉を重ねるミハイル様を前に、公爵閣下もルーカスも怯みません。

 夫は私の隣に立って肩に触れ、そしてミハイル様を見据えました。


「ミハイル様。あなたはかつて海外留学していた時、カイラ国スラー公爵王位継承権三位、ティルテン殿下と親しくしていたと御学友の方に伺いました。そして現在ティルテン殿下は王位継承争いを起こしており、外貨調達のために闇ルートで様々なカイラ国の物資を輸出しているとのこと。……ミハイル様はご存知ですよね?」

「うるさい! 黙れ、僕は元平民の言葉など聞いていない! それになぜ平民のお前がそこまでカイラ国の現状を知っている?! カイラ国と内通しているという証拠なのではないか!?」


「……ミハイルよ」


 公爵閣下が低く名を呟きます。

 殿下は――ただただ冷淡な眼差しでミハイル様を見ていました。


「そのくだらない妄言は終わりかね、ストレリツィ侯爵子息」


 公爵閣下の声は、ゾクリとするほど低いものでした。

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