第22話
商業都市ソラリティカは火事を防ぐために木材を使わない煉瓦造りの建物が多く目立ち、馬車の車窓から見える風景は空の鮮やかな青を引き立てる茶褐色の色合いです。
ストック商会はソラリティカの海辺に倉庫を持ち、そこから馬車で10分程度離れた街の中心部にレンガ造りの社屋があります。
建物は古く、長年海風にさらされた風合いが王都のレンガ造の建物とは違う風情を見せています。
社屋には倉庫と事務所といくつかの会議室、それに別棟として、訪れた顧客に対応するための館がありました。
そのどちらもルーカス様ご本人が建てたものではなく、かつてここが海軍施設として使われていた頃の建物を買い取り改築し、使っているそうです。
購入当初は海風でずいぶん荒れ果てていたらしいのですが、見事に現代風に改修されて美しい建物です。
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私は馬車で館に入り、さっそくアフタヌーンドレスに着替えました。
少し面倒ですがいつ誰が来てもいいように、女主人の私は王都貴族のしきたりに則って、午後は無地のシンプルなドレスに着替えるようにしています。
「失礼いたします、奥様」
館に入ったところですぐに女性秘書が私に話しかけてきました。
男装に近いマニッシュなスーツを身にまとった彼女はマリア。前職は家庭教師(ガヴァネス)を務めた才女です。
「明日アポイントのお客様が12時頃、ホテルにご到着されたようです。また屋敷からは、今夜の晩餐会の準備は予定通り滞りなく進んでいると連絡が入りました」
「ご報告ありがとう」
晩餐会は高台に位置するルーカス様のお屋敷で。お仕事のお話は市街地にある館で。
ちょっと紛らわしいですが、そういうことです。
その時、私の着替えを手伝うキキが質問してきました。
「イリス奥様、いらっしゃる方は、ホワイトワンド伯爵夫妻……?でしたっけ」
「ええ、そうよ」
「どんな方なのですか?」
「ホワイトワンド伯爵は長年貴族院でご活躍されている方で、政財界に顔が広いご年配の方でいらしゃるわ。確かお年は60歳ほど。ご婦人は婦人団体『白翼の婦人会』の副会長でいらっしゃって、年に二回王都王宮広場で婦人読書推進会議を主催しているわ。こちらはお若くて今50歳くらいね」
キキはほえー、と声を上げます。
「なんだかよくわかりませんが、すごい人なのはわかりました……でも珍しいですよね、伯爵なんてすごい方が使用人に任せるのではなく、わざわざご自身が直々にソラリティカまでいらっしゃるなんて。イリス奥様とお会いしたいのでしょうか」
「それもあるでしょうけれど……おそらく新興貴族のルーカス様を見に来たというのが、ご来訪の正直な目的でしょう」
「えっ!ルーカス様、王都でも大人気なんですか!?」
キキの無邪気さは私の気持ちを明るくしてくれます。
「良くも悪くも、ルーカス様は注目され、王都でも知る人ぞ知る新興貴族として噂に上っているの。特に最近は十二侯爵家の一つであるカレリア侯爵家の娘を娶ったということで、一層いろんな興味が向けられているでしょう」
私本人は地味で空気そのものですが、家柄については国内貴族で一度は名を聞いたことはある旧家です。没落貴族だとしても、その家柄ゆえに借金や支払いの延滞、両親や妹の多少の問題が黙認されているような現状です。それが実家にとって、幸せなのか不幸なのかは……わかりませんが。
「ホワイトワンド伯爵夫妻も、社交界での話題の一環としてこちらにご訪問くださるのでしょうね」
「へえー。暇なもんですね、貴族って」
あきれ返ったキキの言葉に、私はついくすっと笑ってしまいます。
「情報を得るのは社交界において主導権(イニチアシブ)を握ることに繋がるし、ある意味、貴族の仕事といえば仕事よ。まあ、ご高齢の伯爵夫妻が直々にお越しになるのは……ちょっと珍しい事だけれどね」
ホワイトワンド伯爵の所領の一つがソラリティカより馬車で半日ほどの場所にあります。おそらくそちらへの訪問を兼ねて、ソラリティカにいらっしゃったのでしょう。
キキはわからないなー、と言いたげな顔で私のドレスを整えてくれます。
「そうやって社交界でやりあって、結局何になるんですか?」
「人脈は権力の命綱。人の協力なければ政治を動かすこともできませんし、家を守ることもできません。特にホワイトワンド伯爵はそろそろ爵位を長男か次男、どちらに譲るか最終決定を下す頃でしょうし、今後の家の為にも動けるうちに動いておきたいのでしょう。利権の取り合いもありますし、名誉職の奪い合いも」
その時、ドアがノックされました。
入ってきたメイドが秘書のマリアに耳打ちします。彼女はスケジュール帳をすぐに確認し、そして私に報告しました。
「奥様。ホワイトワンド家の方がお越しになりました、今」
「――!!!」
「えっ!? ここにいらっしゃるのは明日なんじゃないんですか!?」
キキが素っ頓狂な声を上げる横で私は尋ねます。
「どなたがいらっしゃったの?」
「執事のカストルと名乗られる男性です。明日の正式なご訪問の前に、奥様にご挨拶をとおっしゃっています」
「……早速、試されてるわね」
まだマナーとしては来るのが早すぎる時間です。
そもそも主である夫と会う前に、男性貴族が奥方である私に挨拶を求めるのは失礼というもの。
明らかにこちらを軽んじているということです。
「実は伯爵夫妻よりも、執事のカストル卿のほうを私は警戒していました。彼は一番面倒な人です。あの方は無礼講の仮面サロンで様々な方と繋がりがある人だから」
執事という身分ですが、彼はクロッボルド男爵の次男。
とても噂好きで食えない男と評判がある方で、会員制仮面サロンにおける身分を超えた交際の範囲は王宮とも繋がっているという噂もあります。
彼の情報網やコネクションがホワイトワンド伯爵家の政治基盤を強固なものにしているともいわれています。
クロッボルド男爵家自体がホワイトワンド伯爵家と近しい縁戚関係なので、ホワイトワンド伯爵家の権威は直接実家や自分に良い影響を与えるのです。
「それでも、恥ずかしい所は見せられない」
私は着替えたてのアフタヌーンドレスにレースのストールを羽織り、髪をまとめて小さな帽子をピンで固定しました。
「外商担当のジムさんは今どちらに? ホワイトワンド伯爵担当は彼だったはず」
「今海辺の倉庫にいたので、だいたい15分ほどで来られます」
「ありがとう」
私は女性秘書マリアに頷き、そして部屋を出ました。従業員室に向かうと、既に今手が空いている人が集められています。仕事が早いです。
「皆さん準備をお願いします。紅茶はブラン茶園の一級品、お茶菓子は無難なブラウニーで。私の屋敷から再雇用したコックが作ったものなら間違いないわ。彼の物言いに動じない、落ち着いた社員を揃えて。そうね……ベテランのケイスさん、それに笑顔が素敵なドールグさんは空いているかしら」
その時。
「奥様。あたしが出ます」
私が振り返ると、恐縮しきったキキの後ろに仁王立ちしたコルドラさんが立っていました。
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