第2話

 私はソラリティカに発つまでの数ヶ月の間、これまでお世話になった方々への挨拶に追われました。

 未来の夫となるルーカス・ストック男爵の名を告げると、みんな一様に面食らった顔をしました。


「あの成金の所ですか」

「輸入業で儲けていて、ずいぶんと羽振りがいいらしいですよ」

「とてもひどい労働環境で従業員をこき使っているらしくて、彼の商会に一度務めたら二度と戻ってこないらしいですわ。逃げられないようになっているとか……」


 私の耳に入るのはどれも伝聞で聞きかじった悪評です。

 けれど悪評は伝聞系の「らしい」ばかりで、全く当てになりません。 

 唯一確実な情報として得られたのは、彼が王弟である公爵閣下の屋敷と取引があるということ。

 爵位はおそらく、公爵閣下に拝謁するために得たのだろうということ。


「公爵閣下に謁見できるような方でしたら、少なくともきちんとした方なのは間違いないわ」


 不確かな噂話のなか、やっと見つけた情報にささやかに安堵しながらも、私は一人苦笑いしました。


「……どんな人だとしても、私はすぐに離婚させられるでしょう。だって、私は『空気』なのだから」


 それでもできる限り相手のことは知っておきたいし、彼に敬意を払いたいと思います。

 ソラリティカに出立する前、私は顔を合わせたことのない婚約者に向け、挨拶の手紙を出しました。


『妹ではなく姉の私が行くことになり申し訳ありません。私は華のない、地味な「空気」です』


 妹を欲しがっていたということは、妹のような愛らしい少女を娶りたかったはずでしょう。

 金髪の巻毛が美しく、明るくて元気いっぱいで、小柄な小鳥のような少女。


 私は鏡を覗き込みます。

 夜の帳のような漆黒の髪。井戸の底を覗き込むような、真っ黒の瞳。唯一特徴的なぽつんと目元に添えられた泣き黒子は、好色に見えると言われたことしかありません。


「私は地味な…空気なのだから」



---


 後日。

 私を迎えるため、はるばるソラリティカから馬車がやってきました。

 暗い目をした少女メイドが、私の前に現れぎこちないカーテシーで挨拶しました。


「……これからお世話をさせていただきます、キキと申します」


 緊張しているのか困惑しているのか、こわばった怖い顔をしているキキ。

 王都の貴族令嬢を迎えたと思ったのに、こんな地味な女で驚いたことでしょう。困惑するのも無理はありません。


「あの、……ご実家からのお荷物はこれだけですか?」

「ええ、これだけよ」

「王都からお越しになる……使用人の方は……?」

「誰もつけられないわ。だってお屋敷を維持する最低限しか、雇っていませんから。……ごめんなさい、貴方に苦労をかけるわね」

「それは…………いいのですが……」


 彼女は困ったように視線を落とし、押し黙ってしまいました。


 私に持参金はありません。

 嫁入り道具は使い古した私物と、亡き母の遺品だけ。

 私はほぼ身一つで、顔も見たことのない、素性もよくわからない旦那様の元へと嫁ぐのです。

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