第26話

 ――それから。

 晩餐会は無事に終わり、翌日のホワイトワンド伯爵夫妻のご訪問とご滞在も滞りなく終了し、彼らは所領のカントリーハウスで使ういくつかの調度品購入の契約を結び、ソラリティカを後にしました。


 伯爵夫妻が向かう先は王都とは逆のホワイトワンド伯爵領。

 やはり、所領に向かう立ち寄りとしてソラリティカにお越しになったようです。


---


「お疲れさん、イリス」

「ありがとうございます」


 全てが終わった夜。

 ルーカス様はいつものように、私を晩酌へと誘いました。私はお酒が飲めないのでノンアルコールの葡萄ジュースで。


「子供みてえだな」


 彼は笑いながらも、私に決してお酒を無理に勧めません。

 ソファで並んでグラスを傾けていると、ルーカス様は話を切り出しました。


「聞いたぞ、今度の社員昼食会で手料理を振る舞うつもりなんだってな」

「はい」

「……何考えてんだ、あんた」


 ルーカス様は真面目な顔をして私を見ました。


「あんたは俺の妻だ。真正面から反発を受け止めすぎなくてもいいんだぜ」

「やはりご存じだったのですね」

「知らねえわけねえだろ」


 はあ、と大げさな溜息を吐くルーカス様のグラスに、執事が静かにウイスキーを注ぎます。


 ランプに照らされ氷が艶やかに輝くのを眺め、ルーカス様はくいっと一口煽ります。


「……コルドラは幼馴染っつーか、俺がガキだった頃から知っている唯一の社員だ。他は船乗りになったり、遠くの土地に旅立っちまったり、死んじまったりしてほとんどいねえからな」

「そうなのですね……」

「正直な話、」


 ルーカス様は言葉を切ります。


「社長夫人としてあんたが行ったら、コルドラも流石に大人しくなると思ったんだがな」

「手を焼いてらっしゃったのですね?」

「少し、な」


 苦笑いを浮かべながら肩をすくめ、彼はソファーの背に腕を回しました。

 直接触れられているわけではないのですが、腕の中に納まったような気分になります。


 私は少し座り直して、彼に体を寄せました。


「昔からの付き合いの俺がなんと言っても聞かねえんだ。正直最近は暴走気味だった。だが……せっかく長く働いてくれている奴だし、仕事ぶりはどいつよりも熱心だ。辞めさせるという最後の手段には、どうしても踏み切れていなかった」


「お優しいのですね、ルーカス様」


「は、優しくなんかねえよ。優しいなら、さっさと辞めさせて他の人生を歩ませていただろうさ。コルドラの能力を失うのが惜しいあまりに、手元に置きすぎていたんだ。それどころか、あんたにまで迷惑かけちまって」


「迷惑とは思いません。むしろ、私は皆さんに少しでも近づくための好機だと捉えています」


 ルーカス様の琥珀色の目を見上げ、私は頷きます。


「ルーカス様が皆様に慕われているのは、ルーカス様ご自身が築き上げてきたものです。私はまだ社長夫人として、その土台の上に間借りさせていただいているだけ……少しでも私自身を信頼していただくために頑張るのは、ルーカス様の妻として必要なことです。そのためにも、私は料理に挑戦します」


 ぽかんとして私を見つめていたルーカス様でしたが、ふっと微笑み、私の髪に手を伸ばします。

 温かな大きな掌が頭を包み込むように触れ――長い指で、おろした黒髪を梳くように撫でました。


「あんた、大人しいお人形みたいな顔して、結構な頑固だよな」

「すみません」

「いや、褒めてるっつーか……面白い女だな」

「面白い、ですか……?」

「あんたを迎えて正解だったぜ。自分からそこまで考えて動いてくれる令嬢なんざ、聞いたことねえ」

「……」


 私は不意に、先日聞いたジムさんの言葉を思い出します。


『笑顔が明るくて、ほっとするような人ならそれで僕もう、十分ルンルンしちゃうけどなあ』


 笑顔。確かに私は、笑顔はとても下手です。

 けれどルーカス様に『家族』だと思ってもらいたい。

 私はルーカス様を見上げて、にこり、と意識して微笑みました。


「喜んでいただけて、嬉しいです」


 ルーカス様の琥珀の瞳が見開かれ……そして、驚いたようにぱちぱちと瞬きました。


「……………」

「…………ルーカス様?」

「あ、いや……その、なんだ。あんた、そんな顔できたんだな」

「はい。ジムさんから『にこにこ笑顔の奥さんが嬉しい』という話を聞いたので、試してみました。……どうですか?」

「はあ!?」

 

 一転。ルーカス様は声を荒げました。

 執事が後ろ向きで肩を震わせている気がするのは、気のせいでしょうか。


「あ、あの、何か……私間違えてしまいましたか?」

「その顔、外でやるんじゃねえぞ。俺だけにしてくれ」


 お酒が回ったのか、ルーカス様の耳が真っ赤です。

 なんだか私も恥ずかしくなって、手元のグラスを見つめてうつむいてしまいました。


 葡萄ジュースが、いつもより甘酸っぱく感じます。


---


 さて。

 料理を振る舞う社員昼食会はあと1ヶ月後です。

 私はコックにお願いして、厨房の隅を借り、キッチンメイドに料理の基礎から学びました。


「まずは包丁の持ち方からですね、奥様」

「はい。よろしくお願いします」


 初めて料理を行ってみたのですが、驚くほど難しいです。


 野菜はつるりと滑ってしまいますし、包丁の力の入れ方も難しいですし、殻を入れずに卵を割るのも、こぼさないように上手に混ぜるのも大変です。

 焼いたり炒めたりも、こんなに難しいとは思いませんでした。


 一つ一つの作業だけでも大変なのに、野菜を洗って、切って、炒めて、盛り付けて。

 普段料理をする人は、食材集めから卓に出すまで、ひとつひとつの作業を同時に取り仕切るのですから――頭が下がる思いです。


 私は少しずつ料理の時間をいただき、一人練習に打ち込みました。

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