第24話

 言い争いに2分ほど消費した後、その後私は応接間へと向かいました。

 そこには見覚えのある、髪を短く刈り込んだ丸い後ろ頭の男性がいました。


「奥様がお見えです」


 テラスからソラリティカの景色を眺める彼は、私を振り返り人の好い笑顔を向けてきました。

 目じりの下がった顔立ちに、丸っこく酒太り気味の脂っこい顔。一見親しみやすい雰囲気を作りながらも、その茶色の瞳は鳶のように鋭い輝きを放っています。


 私は男爵夫人としてのマナーに則り、先に挨拶をいたしました。


「カストル卿、王都でお会いした時以来ですね。イリス・ストックでございます」

「これはストック男爵夫人。お久しゅうございます、こうしてお目見えいただけて恐縮です」


 彼は帽子を浮かせ、背筋を伸ばしてゆったりとお辞儀をします。


「いやあ、実は私はここが海軍基地だったころに訪れたことがあるのですよ。ストック男爵は当時の館を改修して使っていると聞いておりましたが、いやあ、随分綺麗になったのもので」


 私が口を開こうとしたその時、ずいっとコルドラさんが前に出ます。


「ありがとうございます。その時代もご存じの方には、こちらの建物はよくお褒めいただけるのですよ」

「おや、君はここの使用人かね」

「社員です。ストック商会で勤めておりますコルドラと申します。よろしくお願いします」

「へえ、君のような若くて美人な女性が働いているとは、ストック商会はそれだけで一見の価値があるなあ」


 彼の舐るような眼差しがコルドラさんに注がれます。


「お褒めいただき恐縮です。しかしストック商会は私なんて霞んでしまうほど珍しい商品がたくさんございます。もしよろしければホワイトワンド伯爵夫妻のご訪問の前に、少しご見学なさっていかれませんか?」

「助かるね。あの気難しいうちの主人が気に入らないものがあってはならないからな」

「その際は遠慮なくお申し付けください」


 彼女は性的な眼差しを笑顔で躱し、明日ホワイトワンド伯爵にご紹介する商品の一部を展示した部屋を案内し、見事な商品説明を行いました。


「こちらはセイ国から仕入れました大理石です。自社工場をセイ国に展開しておりますので、弊社ではご要望に応じた大きさ、傷一つない大理石をお届けできます」

「こちらは入手困難、東方国の絹織物です。なんでも通常の蚕糸ではなく特別な手法で絹織物を作っているとのことで、東方国では王侯貴族しか纏うことが許されない素材だそうです。社長が交渉の末、我が国の王侯貴族の方、それも一部の方だけに売るという条件で入手してまいりました」


 さすがプライド通り、コルドラさんの商品知識やトーク力はすごいです。話を聞いているだけでその商品を使いたいと刺激されます。

 しかもさりげなく、私が先日の研修の際にお伝えしたマナーはすべて徹底されています。

 彼女ができる人だというのは間違いなさそうです。

 女主人である私に対する態度以外は、とてもしっかりとした方です。


---


「いやあ、とても良い時間を過ごさせていただいたよ。感謝するよコルドラ嬢」


 彼は笑顔でコルドラさんに握手を求め、彼女も笑顔で応じました。

 いくら客と商人とはいえ、女性に握手を求めることはあまりないことです。

 安易に応じるこのやり方は一言後でコルドラさんに言わなければならないわね――と思っていたところで、唐突にカストル卿はコルドラさんに向かって言いました。


「ところで君はストック男爵の妾なんだろう、彼にもよろしく言っておいてくれ」


 一瞬。彼女が硬直するのがわかりました。

 カストル卿はそんなコルドラさんの態度に気をよくしたのか、さらににやにやと言葉を続けます。


「バレないと思っていたのかい? 美人で有能だが結婚もしていないが立った女性なら、だいたい妾だろう」

「あ、あたしは……」

「大丈夫大丈夫! ストック男爵夫人は元侯爵令嬢だ。貴族令嬢が嫁いできたなら、そりゃあ身分相応の妾がいることは織り込み済みだろう。跡継ぎ問題だけは気を付けておくほうがいいよ」


 肩をたたかれ、コルドラさんの顔が真っ青になり、そして真っ赤になります。

 唇を震わせた呆然とした顔が、恥辱の怒りで塗りつぶされていきます。


 ――フォローをしなければ。


 私はこっそり、襟元を傾けてブローチを落とします。

 がちゃり。大きな音に、一瞬皆さんの注目が集まります。私は困った顔を作って肩をすくめました。


「失礼いたしました。こちらのブローチはお気に入りなのですが少々重たくて。キキ、つけてくれるかしら」

「は、はい」


 場の空気に硬直していたキキが、慌てて近づいて私の襟元を整えます。

 私はさりげなくコルドラさんを背中に隠すように体勢を変え、そしてカストル卿を見て目元で笑いかけます。


「コルドラさんに意地悪をおっしゃるのはおやめください。今日私もすっかり頼ってしまったように、彼女はストック商会にはなくてはならない方。妾だなんて、彼女の働きには失礼です。謝罪を求めたいのですけれど?」


 あくまで笑顔で、それでも言うべきことはきっぱりと。

 私の態度に、彼は大げさに手を振ってごまかします。


「大変失礼いたしました。それだけ美しくもったいない女性だと思ったもので、つい。しかしストック男爵夫人、口ではそうは従業員を庇われても、奥様としては心配ではありませんか? 彼女のような魅力的な女性が夫の職場にいては」

「ふふ。嫉妬を始めたらきりがないくらい、ストック商会で働く女性は皆さん素敵な方ばかりです。それに、どの女性を愛するのか決めるのは主人です。私は妻として、あくまで彼を支えるのが役目。私は彼は全てにおいて最善を選択する方だと信じているので、それを信じて従うのみ、ですわ」


 私の言葉に、彼は肩をすくめてコルドラさんにウインクします。


「ほら、これが王都の貴婦人のというものさ。君もがんばりたまえ」


 コルドラさんはあいまいに笑います。

 少し落ち着いたようで、先ほどまでの今にもひっぱたきそうな怒りは収まっていました。


「キキ、ブローチを付け直してくれてありがとう。重たい宝飾品って困りものよね」


 キキが離れたところで、私は声音を明るくして話題を変えます。


「そういえば最近、王都の繁華街の宝飾店向けの商品として、珍しいペンダントが流行っているのですよ。カストル卿は『シェルパフュームペンダント』をご存じですか?」


 彼はきょとんとします。私は話題を続けました。


「特殊な加工を施した小さな貝殻のペンダントなのですが、香水をその貝殻に吸い込ませることができるのです。貴婦人にとってお気に入りの香りは自分の名刺代わりでもあるので、あまり香水のにおいを変えません。けれど市井のお洒落な女性の中では、香水を変える方もいるそうなのですよ。一日に何回も」


 彼の目が輝く。食いついた、と思いました。

 カストル卿は先ほど話題に出していたように、お若いころは海軍に士官していた方。その後王都に戻り、親戚筋であるホワイトワンド伯爵家の執事として働いています。


 ――王都から離れた海軍に士官。

 ――地下クラブに繋がりがある。


 そこから導き出されること。

 それは、彼の情報網の中に懇意にしている娼婦もしくは酌婦の方がいるということです。


 彼女たちから情報を得ているのなら、ソラリティカの珍しい宝飾品は彼にとって良い切り札となります。

 特に、会う男性に合わせて香水を変えなければならない職業の女性への贈り物に『シェルパフュームペンダント』は必ず喜ばれるはずです。


「明日はホワイトワンド伯爵夫妻のおもてなしの日なので、こちらの商品はお出しいたしません。もし今、お時間よろしければ一度ご覧になっていかれませんか? ――別室に商品の準備もできたようですし」


 コルドラさんが息を呑む気配がします。

 一体いつの間に、と思われたのでしょう。


 私は実は、ホワイトワンド伯爵夫妻が訪れると知った時からこちらの商品を準備しておりました。

 王都貴族の執事というのは高給取り。そしてそれなりに夜の街で遊んでいる人が多いのです。


 ホワイトワンド伯爵夫妻がどの執事を連れてきたとしても、もしかしたら売り込めるかと思い準備していたのです。


「今夜の晩餐会のご準備でお忙しいとは思いますが、今ならすぐにご案内可能です。――伯爵ご夫妻には内緒でご精算も可能です」


 カストル卿の顔を見て、これはご購入いただけると、私は確信しました。

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