ヤバい邂逅

「もう無理です。今までありがとうございました。退部させていただきます」


「あっ待ってよ大志くん!私が悪かったから!」


「ほう?では杏先輩。あなたが今何をしたのか説明してもらいましょうか」


「…えっと。大志くんの頭に血糊をぶっかけました」


「そうですね。僕にぶっかける必要はありましたか?」


「…でも、服を汚しちゃったらまずいよなぁって」


「その気遣いができるならそもそもそ人にぶっかけないという気遣いもできたと思うんですけど」


部活動が始まって数分。僕は杏先輩が噴き出した血糊を頭からかぶった。水も滴るいい男、なんて言葉があるが、僕から滴ってるのは血糊。あまりにも猟奇的である。


と、いうのも。今回の活動内容は『美しい血の吐き方』について。「百聞は一見にしかず!」と元気よく発言した杏先輩が口いっぱいに血糊を含み、あろうことか後方で眺めていた僕に振り返り「ぶばーっ!ぶびっ!」とぶっかけてきたのだ。視界が真っ赤に染まり、不愉快な液体が髪を伝って流れ落ちていくのを見て、菩薩と名高い僕であっても退部を決意せざるを得なかったわけである。


いや、別にいいんだよ血糊をかぶることは。この部においては日常茶飯事だから。けどさぁ…訳もなく食らうのは違うでしょうが。


「あーもう!んでちゃんと上手いんですから杏先輩は!毒霧が!」


「えへ、そう?特技として極めておこうかな」


「どこの世界線に毒霧が特技の女子高生がいるんですか!いるわけがない!レアリティでいったらツチノコと同等ですよ!」


「ネッシーと同じくらいじゃない?」


「えぇ!チュパカブラと同じくらいですね!」


「そうかしら。ビッグフットと同じくらいだと思うわ」


「う〜ん…私は河童と同じくらいだと思うな」


「どこ深掘りしてんですかアンタらは!」


「あ、大志くん!どこ行くの?」


「手洗い場ですよ!髪洗ってきますから!」


怒り心頭で部室を出る僕。潔癖症というわけではないが、やはり人が口に含んだものをぶっかけられるというのはいい気がしない。例え相手が杏先輩であっても。


「ちゃんと戻ってきてね〜!」


扉の向こうから杏先輩の声が返ってくる。いずれにせよ、僕の写真がある限り退部をすることはできない。…だからといって好き放題されるのは違いますけどね!


「…全く」


手洗い場に到着。シンクが狭いので、頭をねじ込むようにして蛇口を回し、髪を洗う。…冷たぁ。はぁ…なんで僕だけこんな目に。


ぶんぶんと頭を振り、ポケットに入れておいたハンカチを……ん?あれ…ハンカチどこやったっけ?


っとと、僕の視界ににゅっとタオルが入ってくる。この気の効かせ方は沙良かな。


「…ふぅ、さっぱりした。ありがとう沙良」


「使用料5万円な」


「はっはっはっ。何を冗談…」


タオルを返そうとすると、低い男性の声が返ってくる。途端に冷や汗が噴き出してきて、ガチガチと歯と歯が打ち付け合う。だってその声は聞き覚えがあるもので。もう2度と、聞きたくないものであって。首を動かさず、目だけを動かして僕の隣にいる彼を視認する。あぁ…どうして…


「よぉ薬師丸大志。ちょお顔貸せよ」


どうして辻くんが僕の元に…?



屋上にたどり着くと、辻くんは慣れた手つきで扉の鍵を開錠した。屋上は生徒立ち入り禁止。にも関わらず辻くんは鍵を持っている。教師陣も手中におさめている、ということだろう。


「んなビビんなって。ちょっと話聞きてーだけだ。…今日はな」


ビビらせる気満々の発言を残した辻くんは、ポケットから手のひらサイズの箱を取り出し、中に入っている棒状の何かを取り出すと、口に咥えた。


「……まさかとは思いますけど、それタバコじゃないですよね」


「んなわけ。俺は未成年だぞ。これはココアシガレットだ(カチッチッチッチッ…ボォッ)」


「…先端に火がついてますが」


「先を炙るとうめーんだよ」


「……煙が出てますが?」


「俺は美味いもんを食べると口から煙が出る体質なんだ」


…うん。これ以上は聞くのをやめよう。セリフだけ見れば愉快(?)な先輩な気がしなくもないけど、言葉の圧が凄まじい。それに…完全に優等生の仮面を剥がし、どっかりと地べたに座って僕を見上げているから恐ろしさ100倍だ。


「…で、なんですか、僕に用って」


「あ?」


さっさと話を終わらせよう。そう思い切り出した僕の言葉を、たった一文字で切り捨てられる。


「調子に乗るなよコラ。話の主導権は俺にある。勝手に進めんな」


……こ、怖い。でも…舐められたら終わりだ。沙良の助けはない。僕1人で切り抜けなければ。そうさ、僕はモデルガンとはいえ銃を持ったバスジャック犯にも果敢に立ち向かったんだ。ただの学生の辻くんに必要以上にビビる必要なんて…


「これは罰だなぁ。どこがいい?」


「何の話です?」


「根性焼き入れる場所だよ」


「はいすみませんどう考えても僕が悪いです自惚れちゃって申し訳ありませんでしたあの僕お小遣い制なのでこれだけしかお渡しできないんですけどあっ足りないなら前借りするのでいつでもお申し付けください」


はっ!?なんで僕財布差し出してるんだ!?


僕に向けられているのはどす黒い悪の感情だ。切羽詰まっていたバスジャック犯とは違う。それだけに、辻くんの悪意はどストレートに僕へと突き刺さる。


財布から僕の諭吉を取り出した辻くんは、満足したようにそれをポケットにねじ込む。するとまたココアシガレットを口にし、大きく煙を吐いた。…胃がキリキリする。


「…ふぅ。早速本題に入るか」


僕の財布にタバコの吸い殻をねじ込んだ辻くん。……どうしよう、その吸い殻。僕も未成年だったりするんだけど。


「お前さ。沙良ちゃんの何?」


…概ね想像通りだ。わざわざ辻くんが僕を呼んだ理由…彼が狙い目をつけている沙良の事。沙良は相変わらずのらりくらりと躱しているだろうから、痺れを切らして関係の深い僕に矛先を向けてきた。


「別に。ただの幼馴染ですよ」


と、なれば。僕の狙いは1つ。いかにして沙良から辻くんを遠ざけるか。


「にしては、仲良さそうにしてるじゃねーか」


「そうですね。やっぱり小さい頃からの付き合いなので」


「へぇ。全く釣り合ってはねーけどな。相手は完璧超人。に対しお前は冴えないただの一般生徒」


「…そんなの、僕が1番分かってますよ」


「ま、んなことどーでもいいんだわ。お前も勘づいてると思うが、俺は沙良ちゃんを狙ってる。いいよなぁ?」


「…やれるもんなら」


「っはは、足震えてんぜ?…沙良ちゃんは完璧超人だ。男のあしらい方も。正直手詰まりなんだよな。なら無理やりにでも牙城を崩すしかない。で、だ。沙良ちゃんはお前をどう思ってる?」


…狙いが読めない。それを僕に問うて、何をしたいのか。…恋人を作るという青春を一種のゲームのように、思い詰めた様子もなくつらつらと話す辻くんに不快感が止まらない。


いずれにせよ、僕の狙いは徹頭徹尾変わらない。辻くんから沙良を遠ざけるには。諦めてもらうには。


「…大事に思ってくれてるんじゃないですかね」


僕と沙良の関係が、辻くんが思っているより深ければ。正直、彼氏持ちの女の子相手であっても自分のものにする辻くんには微塵も効かないだろうけど、それでも牽制になれば。


「…っはは!だよな〜」


拳の1つくらいなら食らう覚悟でいたけど、なぜか高笑いをする辻くん。


「つまり、お前の存在が沙良ちゃんの弱点なわけだ」


不敵な発言。問い返そうとしたけど、用は済んだと言わんばかりに辻くんは屋上を出ようとしている。


「あっ…あの!」


「あ?」


あっさりと引く辻くんに動揺を隠せない。けれど、確実に思惑があることは感じられて。…勇気を出せ、僕。ここで何も言えなかったらきっと沙良は傷つけられ、僕は後悔をする。


「…沙良には手を出さないでください」


不恰好だ。辻くんの目は見られなかったから、不甲斐なく地面を睨みながら。ぎゅっと握り拳をつくり、身体はぶるぶると震えている。舐めた口きくなと、標的が僕になるかもしれない。…それでも。


「…っは!安心しろよ。ひとまず沙良ちゃんには手を出さねーよ」


「…約束してくださいよ」


「へーへー。…また近いうちに会おうぜ、大志くん」


唐突にやってきた辻くんは、唐突に去っていった。辻くんと2人きり…ある意味沙良のお仕置きよりも恐ろしい時間であったけど、僕は手も足もあげられずピンピンとしている。その状況が不思議で、もちろん安堵はしているのだけど、それ以上に…嫌な予感がして。














そして、その予感はすぐに的中することになる。

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