ヤバいバス内

休日とはいえ、バス内に乗客は少なく。僕ら以外には熟年夫婦のお二方と、全身黒い服に身を包んだ男性二人組だけだった。


僕らはバスの後方の座席を確保する。窓際に沙良、その隣に僕、そして前の座席に黛先輩。通路を挟んだ席に成宮先輩と彼女のバッグがある、という感じだ。


初めはあの沙良を押し退け成宮先輩が僕の隣に座ろうとしていたが、いかんせん荷物が多く、膝の上にバッグを抱えても僕が通路にぽーんと押し出されてしまうほどスペースが無かったので泣く泣く諦めていた。「あぁ…大志くん…」と犬耳ヘアーを垂れ下げ捨て犬みたいな目で僕を見てきた成宮先輩だけど、無理なもんは無理。


…というか、なぜ僕の隣に?逃げ場のない状況で死の魅力でも語るつもりだったのだろうか。危な。


とまぁ、そんなこんなで。バスに揺られ数十分。高い建物が減っていき郊外へと出る。がらりと景色は変わり青々とした田んぼ畑が現れた。


「うわー懐かしいなぁ。ほら沙良覚えてる?確かあの辺の砂利道で君が僕を紐で縛り付けて全力疾走を…沙良?」


忘れもしない去年の夏の日。帰宅途中、通りすがりの薄着の女性の胸元を見て僕は「…うわ、でっか」と鼻の下を伸ばしてしまった。その瞬間沙良によって僕は縛り上げられ、肩に担ぎ上げえっさほいさとこの地まで連れてこられたわけだ。


まだ自然の残る畦道で突如走り出す沙良。当然僕は引きずられる形となる。荒い砂利に皮膚を削られる感覚、雑草が鋭い刃物となって僕に襲いかかる感覚は今でも僕の胸に残ってる。無論嫌な思い出として。いつの時代の拷問だよ。


ま、今となっては笑い話だけどね、と沙良に話を振るも反応が鈍い。不思議に思って見てみると、沙良はこっくりこっくりと頭が船を漕いでいた。


「…ふぁ。ごめん大志。何の話だった?」


僕の視線に気付いたのか、小さく伸びをし、ふにゃふにゃの声でそう聞き返してくる沙良。完璧超人の沙良のふにゃけた可愛らしい姿なんてしばらく見ていない。


「おやおや?沙良ちゃんはおねむねむねむねーむねむですかな?」


「うん、結構。昨日は夜更かししちゃったから」


「遠足の前日は眠れない的な?」


「…それも、多少はあるけど」


僕の軽口も完全スルーされてしまい、どうやら本格的に睡魔が襲ってきたようだ。体育の後、クラスの半分近くが寝る現国の授業でも背筋を伸ばして先生の話を聞く沙良がここまで無防備な姿を見せるとは。…僕相手だから見せてくれる、なんて思い込めばかなり嬉しかったりするんだけど。


「目的地に着いたら起こすから、今はお昼寝したら?」


何にせよ、寝不足の状態で『死の体験』なんて正気の沙汰じゃない。このまま僕のつまらない話を聞かせるのも可哀想だし、眠いのなら寝てもらおうと提案。


「…だね。それじゃ、着いたらお願い」


いうが早いか、僕の肩にことんと頭を預ける沙良。ふわり、と沙良の家のシャンプーの香りが鼻腔をくすぐる。少しして、すぅ…すぅ…と穏やかな寝息を立てていた。微かに上下する彼女のつむじを見ながら、僕は少しでも動くまいと動きを止める。


「あーずるいずるい!あたしもそれやりたーい!」


動かざること山の如しな僕を見た成宮先輩が、身を乗り出して不満を垂れる。


「『それ』って…肩を貸してもらいたいってことですか?」


「うん!あーあたしも眠い!どこかに肩を貸してくれる優男はいないかなふぁーあ!」


「眠い人の声量じゃない。物理的に不可能ですよ。座席が通路挟んでますし」


「ふーんだ、この程度の障壁であたしを止められるとは思わないでね!てぇい!」


「あぁコラ、先輩!」


にゅい、と身体を伸ばした成宮先輩は、通路に上半身を投げ出し、僕の肩にゴチンと頭を乗せる。無理のある体勢だが、成宮先輩は満足したのかふんふんと鼻を鳴らしご満悦。ぷるぷると震える彼女の身体の体重のほとんどが肩に乗るので姿勢が崩れ、寝ている沙良が小さく声を漏らした。


「危ないですって!あぁ聞く耳持っちゃいねーや!黛先輩もなんか言ってくださいよ!」


助けを求めると、前方に座る黛先輩が座席の上からにゅっと顔を出す。アンニュイな表情の黛先輩は、窓の外を指差し儚げに呟いた。


「…田んぼの真ん中でかかしみたいに全裸になったら気持ちよさそうじゃない?」


「はい馬鹿!この人ほんと馬鹿!」


死ぬほど頼りにならないこの人。力づくで成宮先輩をどかそうにも沙良を起こしてしまうことになり、このまま耐えるにも僕の肩が限界を迎える。


「…そろそろか。行くぞ。ビビってねーよな?」


「…もちろんっす。覚悟は出来ています」


可哀想だけど、一旦沙良を起こして…なんて考えていると、バスの最後方に座っていた男性2人が突如として立ち上がる。停車ボタンを押さずに揺れるバス内を歩き始めた彼らは、どうやらバス前方を目指しているようだった。


「ほら、成宮先輩。人通りますって!」


「…ん?うわっと、ごめんなさい!」


自らが通路を通せんぼしていることに気づいた成宮先輩が、その身を起こし座席に戻る。この辺の常識はあるんだよなぁ、この人…


男性たちは僕らを一瞥すると、何も言わずに通り過ぎた。先を行く男性は手に刃渡りの長いナイフを、後ろの男性は肩からアサルトライフルほどの大きさの銃をかけている。


ともあれ。成宮先輩は正気に戻り、僕と沙良に平穏が訪れた。彼女の肩に手を回し、ぽんぽんと頭を撫でてあげ、僕も眠くなってきたから彼女に頭を預け微睡もうと––––





強烈な違和感。


首だけを伸ばして再度男性たちの姿を確認する。彼らは黒尽くめのニット帽を被り、黒のマスクを装着していた。


そのまま運転席まで行くと、ナイフを持った男性が運転手さんの首元にナイフを押し付ける。前方に座る老夫婦のしがれた悲鳴がバス内に響き渡った。


ライフルを持った男性が、銃口をこちらに向けてくる。興奮した様子の彼は、よく響き渡る声でこう叫んできた。


「大人しくしてろ!このバスは俺らが乗っ取った!」

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