ヤバい退部願い①

普通の学園生活とは即ち、幼馴染にナイフを突きつけられ脅されたり、女の子と遊ぶだけでお仕置きを執行されない生活だろう。……いやなに当たり前のこと言ってるんだ僕。…そっか、それって当たり前なんだ。当たり前のはずなんだけどなぁ…


『いつ結婚してくれるのか教えて』という沙良の問いに明確に答えるという判断は諸々の事情を加味して選択することはできない。とはいえ、言葉を濁すと脅してでも答えさせようとしてくる。馬鹿正直に「そんな事するの辞めて!」と言って辞めてくれるほど沙良の僕に対する愛はしょぼくない。となると、普通の学園生活のために僕が取れる手段は限られてくる。


そのうちの一つが、1日最低3回はやってくる沙良によるいつ結婚するのイベントを、裏技を用いて回避することだ。簡単に言うと、僕が沙良と2人きりにならないということ。これは全然全く微塵も馬鹿にしているわけではないけど、沙良は凄く凄く頭が良いので人前で人間にナイフを突き立てると奇異な目で見られてしまうことを知っている(賢い!)。それでも僕への想いが抑え切れずにやってしまうわけだが、優等生という彼女自身の体裁もあり人がいる前ではこのイベントを起こさない。


事前に襲撃するぞと言われた昨日の夜は案の定家への侵入は許したものの兄と一緒の部屋で寝たから何も起きなかった。これは沙良と僕が二人きりになるという状況を回避できたからだ。誤解がないよう言っておくが、僕はお兄ちゃんっ子というわけではない。あくまでこのイベントを回避するために仕方なく、だ。一緒に寝ようと言って何も言わずに、むしろ嬉しそうに受け入れた兄も兄だが。


ともかく、隣に誰かがいれば僕の生命が脅かされることはない。これに気づいた僕は学園生活でも、移動教室の時やトイレの時もいつも誰かと共にいる。いやまぁ、これは沙良がいようがいまいが変わらないと思うが。友達と一緒にいるの楽しいし。


これを踏まえると、だ。部活中は確定でこのイベントが起きてしまう。なんたってサッカー部での僕の仕事はボール磨き。当然、一人で、だ。皆練習してるからね。そうなると沙良から見れば絶好のチャンス。るんるんと僕の元にやってきて、熟練の動きで誰にも見えないように事を及ぶだろう。


他にこのイベントが起きる可能性が高いのは、自室にいる時、皆が寝静まった夜中、もしくは早朝、登下校中だろうが、あくまで可能性が高いというだけ。僕は就寝時以外は家族の視線のあるリビングにいるし、寝る時も今日みたいに兄と寝ればいい(気持ち悪い字面だな、これ)。登下校も人通りが多いルートは熟知している。


言うまでもなく僕は沙良と共に登下校しているが、今までイベントが起きたのは数回だけだ。記憶に新しいのは運悪く道に誰もいなかった時と、堪えきれずに沙良が僕の首根っこを掴み上げて無理やり路地裏に連れ込んだ時。後者に関しては突然の出来事だったから、身代金を求めた誘拐か?なんて混乱して大声を出して助けを求めたけど、僕をこんな扱いしたのが見知った沙良だったのでひとまずその線はないなと安心し、それはそれとして新たな危機に再度大声を出して喚いた。


…なんの話してたっけ。あぁそうそう、僕の身の安全のために、部活中のこの確定イベントを回避するためには?という話だ。答えは一つしかない。


「中山先生。僕、サッカー部辞めます」


そう、退部すればいいのだ。どう頑張っても1人になっちゃうなら辞めちゃえ論。いやまぁ、本気出せば僕も部員として仲間と共にグラウンドを駆け回る事ができて、そっちでも1人きりにならないという目標は達成できるけど、こっちの方が手っ取り早い。というかグラウンドに入る事ができても僕はあまり好かれていないから孤立しそうだし。


そもそも、サッカー部に入部したのも沙良の手から逃れるためだ。沙良が僕の入部先に部員として、もしくはマネージャーとして入部する事は今までの僕への行動から分かりきっていた。部活の時間まで一緒にいると何されるか分かったもんじゃない、だからこそ僕は口では彼女にテニス部に入部するんだと伝えておき、部活動申請期間のギリギリで未経験のサッカー部に滑り込み入部したというわけである。一泡吹かせてやったぜと喜んだが、沙良にこんな小手先の作戦は通用しなかったようで、新入部員紹介の際に何食わぬ顔でマネージャーとして居た。人は本当に恐怖を感じると喉から『ヒュッ…』と空気の抜けた音が聞こえると知った。


ともあれ。そんな理由でやり始めたサッカーに未練はない。そのためこうして昼休みに顧問の中山先生の元を訪ねたわけだ。沙良はマネージャーとして部に残り、僕が部を辞めることができれば。部活中は沙良はサッカー部に束縛されるため、安寧の時を過ごすことができる。


とはいえ、突然の退部願いだ。そうすんなりと事が進むとは思えない。ここからは僕の会話術が要求される。そういえば、中山先生とこうして一対一で話すの久々な気がする。坊主頭に強面なのもあって緊張するんだよなぁ…普通に懐にドスとか持ってそうだし。


「そうか。部を辞めたいのか」


「はい」


さて、ここからが僕の話術の見せ所。なんやかんや沙良の言葉責めを回避し続けてきているんだ、そこそこ自信はある。さぁどんとこい先生!


「いいぞ、辞めて」


「…いえ、僕はもう辞めると決め…えぇ!?」


「これ、退部届だから」


「待って待って待ってください!もうちょいなんかあってもよくないですか!?『お前はうちの大切な部員だ』『いえ、僕は辞めると決めたんです』『そう言うな。せめて俺の話を聞いてくれ』みたいな!淡白すぎませんかね!」


職員室に入る前に色々会話のシミュレーションしてたのに全部台無しじゃないかもう!


「そうか?まぁ、今まで部を離れるって言った奴はいなかったし、俺もそういうの経験しとくのもアリかもな」


「記念にやっとくかぁ…みたいなテンションも不本意です!」


「なんだワガママだな。俺はお前のそういうところ、この世の終わりかってくらい大嫌いなんだよ」


「言い過ぎ!普通に傷つきます!」


好き嫌いの指標に『この世の終わりかってくらい』使う人初めて見た……いや、沙良が言ってたな。『天変地異起こすくらい大志の事が好き』って。『起きる』じゃなくて『起こす』だもん。これ以上僕の中の常識を壊さないでくれ。


「下手くその癖にアピールだけは一丁前で。だから永遠にボール磨きさせてたんだ」


「やっぱり嫌がらせだったのかよこんちくしょう!」


「大志。声がでかい」


「自由か!いや、それはすみません」


熱くなって周りが見えなくなっていたが、ここは職員室。ギャースカ騒ぎ散らしていいわけがなく、他の先生方から痛い視線を受けていることにようやく気づき、背を丸めて周りにペコペコと頭を下げる。こんな形で僕の評判を下げるわけには…なんだこの僕1人が悪い感…腑に落ちない…!


「落ち着いたか?心配しないでもさっき言った事の1割は冗談だ」


「先生。それはもうほとんど本音ということになります」


「そういう風に捉えてもらって構わない」


「先生。少しは構ってください。相手は可愛い愛弟子です」


「可愛い!?愛弟子!?お前がか!?はっはっ!なんだお前面白いジョークとか言えたりしたんだな!見直したぞ!」


「先生。声がでかいです」


ひぃひぃ言いながら腹を抱えて大笑いする中山先生。なんかもう沙良関係なしに有無を言わずに辞めるのが正解な気がしてきた。この人は良くも悪くも実力主義者だから、サッカーが下手くそな僕は好かれてないとは思っていたけど、ここまで嫌われていたとは…


「とまぁ、本音は置いといて、だ」


「そこは冗談は置いといてかと」


「なんで辞めるのかだけ教えてくれ。こっちも手続きをしなくちゃだからな。言っておくが、正当な理由が無いと難しいぞ。これは学園規則にも記載されてるからな」


む、理由、理由か。当然沙良の脅威から逃れるためだけど……


「実は僕サッカーアレルギーで。サッカーって文字を見るだけで蕁麻疹が出てきちゃうんです。W杯開催年なんて特に地獄ですよ。どこもかしこもサッカーの話題一色なんで。アレルギー反応で全身の穴という穴からサッカーボールが出てきちゃうんです」


「そうか、大変だな。毛穴とかからも出てくるのか?」


「ん、あれ、本気にしてます?」


「冗談だと思ったから冗談で返してやった。本音を言うとしたら…ぶち飛ばすぞ」


「はいすみません何でもないです忘れてください」


「分かった忘れよう。それはそれとしてぶち飛ばす」


「ただの暴力大好き教師っ!?」


腕をぐるぐると回し気合充分の中山先生。これは僕にも多少の非はある。といっても、沙良の事を言うわけには…





ん?あれ、そもそもなんで言わない方がいいって思っちゃうんだろう?


ここでふと思った。中山先生に沙良の本性を伝えるのはアリなのかなって。曲がりなりにも彼は教師だし、この一件は僕は完全に被害者。なんなら命の危険があると言ってもいい。生徒が道を外しそうになっているのなら正してあげるのが教育者としての義務。今まで沙良から逃げることだけを考えていたけど、味方を作って対抗するのも一つの作戦なのでは?


「あ、あのですね」


「どうした?なんでもいってくれ」


どんとこいと言うように両手を広げる中山先生。…なんかこの人がすごく頼りになる人に見えてきた。今まで酷い仕打ちを受けてたのに。吊り橋効果的な?どうしよう…言う?言っちゃう?待て待て、言ったとしてどうなるか一度考えておこう。


メリットとして、僕に味方ができる。中山先生にボディーガードをしてもらえれば、僕は平和な、心の底から望んでいる普通の高校生活を送る事ができるかもしれない。ややもすれば、充実した高校生活にも手が届くかも。


デメリットとして、信じてもらえなかったら僕がヤバい奴だと思われること。幼馴染に好かれすぎて困っていると思い込んでいる精神異常者と見られてしまう可能性がある。もう一つは、沙良にバレたら終わるという事だ。本人から私の本性をバラすなと言われているわけではないが、言ったらどうなるかなんて分かりきっている。前者は精神的にくるし、後者は肉体的にくる。


まさにハイリスクハイリターン。だとしても、僕は…現状を打破できるのなら…うん。意を決して


「…実は、マネージャーの沙良…常盤さんに」


「私がどうかしたの?」

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