ヤバい体験②

「カット!!エェクセレントだよ2人とも!お互いが自分の身を顧みずお互いだけを求めるあの姿勢!だがしかし現実は非情!想いだけでは手を取ることすら叶わない!実にリアリティのある体験で私は涙で前が見えないよ!」


成宮先輩のその声で僕は我に返る。…そうだ、これは『死の体験』でしかない。役にのめり込むあまり、演技であることを忘れて本気になってしまった。


…そうだ、今起こったのは全て演技だというのなら…


「沙良!」


「良かったよ、大志。あまりに迫真すぎて私も涙が出そうになっちゃった。特に私のために雄叫びをあげる大志の姿が…おっと?」


僕は半身を起こす沙良の腰に抱きついた。生きてる…生きていてくれている。ただそれだけなのに、僕はこの上なく幸せを感じている。


「…あはは、積極的になったね大志。流石にこの反応は予想外…ほら、私は大丈夫。さっきまでのは全部『死の体験』で、私は五体満足でぴんぴんしてるよ」


少し面食らった様子の沙良だが、僕の頭を優しく撫でてくれた。『死の体験』だったことは分かってるが…なんというか、好きな漫画の推しキャラが死んでしまった時の感覚に近い。作者がいて、展開があって、僕らを楽しませるために構成されているのは理解してるけど、それでも登場人物に感情移入していて、あぁもう彼もしくは彼女は死んでしまったんだ、もう登場することはないんだ、という喪失感。今の僕の心境はそれに近い。


これが『死の体験』。美しい死を模索するための体験。思わず没入しすぎてしまったが、それだけ僕はあのシチュエーションをリアルに感じていた。死は身近にある、というのを分からされた。


僕の中に色々な感情が渦巻き収集がつかないが、一つ言えるのは…今回のシチュエーションは死んでも避けたいものであった。


「…さて、イチャついているとこ悪いけど、『死の体験』はここからが重要だからね。大志くん。君は体験を通じて何を感じたかなら」


一眼レフ片手にパシャリパシャリと僕が沙良に抱きつく光景を写真に収める成宮先輩。…もういいやこの際。好きなだけ写真撮ってくれ。


「…とりあえず、目の前で沙良を失うのは勘弁願いたいですね」


「ふむ、僥倖。沙良ちゃんと同時には避けたいというのが君の望む死であるということが分かったね。沙良ちゃんは?」


「そうですね…私は大志が知らない誰かに亡き者にされるくらいなら私の手で…と思いましたね。大志は私だけのものにしたいので。誰かに取られるくらいなら自ら大志を仕留め、大志のいない世界など意味がないので自分も逝く。これが理想に近いかと」


「死なば諸共ってこと?怖いな。発言怖いな」


「なるほど。君の望む死は大志くんと一緒にというわけだ」


「僕と真っ向から意見が対立してるんですけどどうすんですかこれ」


「さて、沙良ちゃんは少しお着替えしようか。背中が血糊で真っ赤っかになっちゃったから」


明らかに話を逸らされたが、深掘りしたところで…みたいなところあるので突っ込まないことにする。少し名残惜しいが沙良から手を離すと、黛先輩が真っ白な制服を持ってきてくれた。


「…もしかして、制服のストックがあるんですか?」


「えぇ、女子用のはね。男子のは5着ほど発注したところね。男子の部員はこれまで一度もいなかったから」


「…1日で5着着替えるなんて展開は避けたいところですが」


すなわち5回血糊を浴びるということであり、5回『死の体験』をするということ。1回体験しただけでこの疲労感、演技と現実がごっちゃになってしまう精神状態になってしまうのだから、連戦は望ましくない。


…にしても。やはり黛先輩の演技力は桁が違う。敢えて言葉を発さず、動きだけであれだけ恐怖心を煽ってきた。僕が役にのめり込んでしまったのも彼女が原因だろう。


「…で。部活の時間はまだありますよね。次は何するんですか?」


できれば今日はこれ以上の『死の体験』はやめていただきたいけど。至極真っ当な質問であったが、成宮先輩は目を丸くしてた。


「質問を質問で返すようで申し訳ないんだけどさ。大志くんは死に興味があるわけじゃないんだよね?」


「そりゃもちろん」


「なのに…どうして私たちの活動を止めようとしないのかな〜ってちょっと気になっちゃって。今までの子はみんなそうだったんだよ。活動を見せると私に気持ち悪い女ってレッテルを貼って逃げ出して」


その今までの子とやらの気持ちは分からなくもない。何度も言うように、この部は異常だ。死ぬために生きてるんだからと全ての死を知ろうとする。まず普通の考えじゃないし、距離を置こうとする。


「そうじゃなくても、訳の分からない事をするなって私を諭そうとする。みんな私の事を拒絶するんだ。でも君はそうじゃない。写真があるから仕方なく付き合ってくれてるって見方もできるけど…にしては、私に嫌悪感を見せない」


僕が部に入部したのは脅しの写真が理由だ。あれが無ければ僕はこの部に入ってはいなかっただろう。でも、だからといって部の活動を否定しようとは思えない。それはなぜか?


「…まぁ、確かにこの部は普通じゃないと思いますよ。僕は先輩の理想に共感していませんし、共感しようとも思いませんでした」


僕の発言を聞いて少しだけ顔を歪ませる成宮先輩。あぁ違います、僕が言いたいのはそう言う事じゃなく…うーんと…あぁ、この表現がしっくりくるな。


「…ただ、人が好きでやってる事に文句を言おうとは思わないんです。先輩の考えは異常だ、だから更生させてやろう…じゃなく、そういう考えもあるんだと受け入れる…というか。だから僕にとって先輩は、先輩の本性を知った上でも、ちょっと趣味が変だけどそれでも普通の女の子なんです。もちろんその考えが人を傷つけたり法に触れそうなら全力で否定しますけど。先輩が先輩なりの理論で人生を謳歌したいと、それが先輩の生きる理由とまで言うなら、止めるのは野暮だなって」


人間は自分と違う考えを持つ他人を糾弾し、自分の主張を押し通そうとする傾向がある。やれオタク趣味を持つ人間は害悪だの、肉を食う人間は異常だの、男は全員死ぬべきだの。自分が絶対的に正しいと、自分とは違う主張をする人間は悪だと信じて疑わない。ただ考えが違うだけで、だ。好きだからオタク趣味を持ち、好きだから肉を食い、好きだから男は生きている。ただそれだけの話なのに、人の『好き』を全身全霊で否定し、誰も望んでいないのに自分の考えを高々と宣言する。


見ていられないし、馬鹿馬鹿しい。僕は僕で、君は君なのだ。人が人である以上考え方の違いは出てくる。その際、歯を剥き出して罵詈雑言を浴びせるのではなく、そういう考えもあるんだ、だが私とは違うと受け入れ、自分のことを理解してくれるコミュニティ内で自分の考えを主張すればいい。少なくとも僕はそう思っている。


そして僕のこの考えも、ある人から見れば共感できない内容なのだろう。でも、それでいい。こっちはこっちでやっているから、そっちもそっちでやってくれ。お互い干渉しないでいれば、争いは生まれないのだから。


成宮先輩の死にたがり趣味にも同じことが言える。僕とは違う異質な考えを持つ彼女。その彼女の生んだコミュニティに訳あって僕が入ることになった。郷に入っては郷に従えの精神で、拒絶も否定もしない。…まぁ、事なかれ主義と言われればそれまでだけど、この先長く関係が続いていくだろうし、なるべく理解しようとは思ってるけど。


部室内に静寂が訪れる。成宮先輩はぽかんと口を開けていた。僕もあまり考えを整頓できずに好き放題言っちゃったなと気まずくなっていると、成宮先輩はみるみるうちにその口元を綻ばせ、溶けたような笑みを見せ僕の元へやってくる。そして…


「んふふーん、そっかそっかぁ、大志くんはあたしを受け入れてくれるんだぁ」


自らのほっぺを僕の頬にすりすりと擦り寄せてきた。成宮先輩の柔らかくてあったかい、すべすべのほっぺを押し付けられ、僕は突然の出来事に『…髭剃ってきたよな?ジョリジョリして痛いとか思われてないよな!?』と少し外れた感想を抱いていた。少しして僕の心臓が高鳴り、抵抗することなく彼女を受け入れる。


「なーるほどあたしは普通の女の子ねぇ。言うねぇ大志くんは。よーしよし」


「あの、黛先輩。これは?」


にしても、長い。ずっと頬をうにうにされてしまう。成宮先輩の肩を叩き止めようとするも止まらず、黛先輩に助けを求める。


「…さぁ。嬉しそうってことは確かね。思い返してみれば、杏のソレを否定しなかった男は薬師丸が初めてだし」


しかしながら小学校からの付き合いである黛先輩でも理解できないらしく。漠然とした答えしか返ってこなかった。とはいえ、流石に嬉しさより恥ずかしさが勝つし、沙良だって見てるんだからあ沙良さんに見られちゃってるじゃん終わったお疲れ様でした今までありがとう薬師丸大志先生の来世にご期待ください来世は東京のイケメン男子にしてくださーい!


恐る恐る沙良を見てみると、微笑ましげに目を細めて僕を見ている。…これは、どっちだ?許されたのか、怒りが絶頂に達したあの沙良か…


あっ!!沙良からの凄まじい殺気だ!そうだよな沙良が怒らないわけないや!先ほどの黛先輩馬乗り事件に続いてこれはもう本当に死ねると思うぞ僕!


「…杏」


同じく沙良の殺気を知る黛先輩が素早い動きで成宮先輩の両脇を担ぎ上げて僕からひっぺはがす。成宮先輩はバタバタと両足を揺らしていた。


「あーちょっと柚木ちゃん!あと30分だけ!」


「どんだけやるつもりなのよ。嬉しいのは分かったから一旦離れなさい。…あの、常盤さん」


「はい、分かってますよ」


「…杏。少し部室から出ましょう。今からここで殺人事件が起こるから」


んな物騒な…と言いきれない事をしでかすのが沙良。そして被害者は僕。


「それじゃ、あとは2人で仲良くしっぽりと。あ、薬師丸。…(ビッ!)」


「やめてくださいそんな戦地に向かう兵士への敬礼みたいなの!洒落になってないので!」


やーだやーだー!と子供みたいにごねる成宮先輩を引き連れて、黛先輩がぴしゃりと部室のドアを閉じた。残されたのは僕と沙良のみ。あぁ…神よ…なぜ僕にこれほどまでの試練を?


「大志」


ゆらり、と僕に歩み寄る沙良を見て、やっぱり殺人鬼になりきってた黛先輩の行動は演技だったと分かった。本物を見てしまうと、足がすくみガタガタと歯が音を立てて打ち付けあう。挑もうなんて思わない。


「…沙良、あのね…」


「嬉しかった?」


「へ?」


「成宮先輩にほっぺをすりすりされて、大志は嬉しかった?」


…これは答えを間違えると即あの世行きだろか。そりゃもちろん、あの成宮先輩にすりすりされたら嬉しいに決まってるが、それが沙良の望む答えかというと…


いや、彼女の質問にはいと答えようがいいえと答えようが結果は変わらないか。いいえと答えても嘘をつくなと蹂躙されるのだから。


最期くらい男らしくいこう。そう思い、ぶるぶると震えながら首を縦にふる。


「そっか。…大志。目を瞑ってて」


あぁ…慈悲はないのだろうか。いつになく真剣な表情の沙良に促され、僕はぎゅっと目を閉じた。


「…うん」


何やら覚悟を決めた沙良が肉薄する気配が。僕は奥歯を噛み締め衝撃を待つ。


僕の頬に何かが触れた。それは沙良の拳でも沙良の蹴りでもなく、少し熱を帯びていて、ふにふにと柔らかい。


「…え?」


思わず目を開けると、沙良が手を後ろに回し、耳の先だけを真っ赤にして微笑んでいる。滅多に照れることはない沙良の、最上級の照れ。


頬に押し付けられたそれ。初めての体験だというのに、何が僕の頬に触れたのかなぜか分かってしまって。なぜか僕の視界は、沙良の唇に釘付けになっていて。


「…これも、嬉しかった?」


沙良がそう聞いてくる。しきりに髪を耳にかけつつ、彼女にしては珍しく僕から少しだけ目線をそらして。


「…はい」


「成宮先輩をすりすりを上塗りできた?」


「はい」


壊れたラジオのように同じセリフを吐く僕。頬とはいえ、沙良にキスをされたのは初めて。初めて僕への想いを真っ当な形で伝えられて、僕はへたりと頬を押さえることしかできない。沙良が触れた部分だけがやけに熱くて、そこだけ僕の身体じゃないみたいだ。


「…なんで?」


ようやく疑問が口に出る。お仕置きを覚悟していた僕の頬になぜキスをしたのか。沙良は『成宮先輩のすりすりを上塗りできた?』と聞いてきた。つまり、成宮先輩を越える何かを望んでいた。


「ちょっとだけ事情が変わったんだ。…といっても、大志が変えちゃったんだけど。やっぱり成宮先輩は侮れない。私も、勇気を振り絞っていかなくちゃって。言ってしまえば、成宮先輩が『部活の先輩』から『私のライバル』になりかけてるってこと。といっても、私は卑怯な手を使わず、正攻法で、正々堂々と勝負する。全てにおいて先輩を上回らなくちゃ、完勝とはいえない。…だからかな」


遠回しな表現をされたせいで、明確に沙良の行動の理由がわからない。でも、今の僕にその真意に迫る余裕はなく。呆けながら、部室の扉を開け、成宮先輩たちを招き入れる沙良を黙って見ていた。


「…っ薬師丸!…無事なようね。ひとまず良かったわ」


「…うふぁい」


「いや、様子がおかしい。…っまさか精神攻撃を!?肉体への攻撃では飽き足らず中身まで!?末恐ろしいわ…」


がくがくと僕の肩を掴み正気に戻そうとする黛先輩、まだ足りなかったのかしきりに頬を差し出してくる成宮先輩、そして少し距離を置き、人差し指で自身の唇に触れ、へにょへにょと笑う沙良。ひとまず僕は…僕は…もう少しだけ、このままでいさせてもらおう。まだ少しだけ感覚の残る頬を撫でながら。



部室に無理やり入ろうとする杏を必死に押さえる。この子、こんなに力あったかしら…?


「あーもう、離して!離してよ柚木ちゃん!」


「…離しても今は部室に入らないと誓える?」


「もちろんだよ!私に二言は無い!」


「…じゃあ、はい」


「……すきありっ!」


離した瞬間、部室のドアノブに手を伸ばす杏。案の定という反応だったので、再度ロックを固める。


「…っぶないわね。油断も好きもない」


「分かったって、大人しくする!」


「…はぁ、どうしたのよ杏。あなたは死以外興味が無いんじゃなかったの?」


そう。杏は死にしか興味がないはずだった。だから人に…薬師丸にあれだけ迫る杏を見るのは初めてで、私自身困惑している。


「…それだ柚木ちゃん!」


「は?」


私に抱き抱えられながらぴしっと不恰好な形で天を指差す杏。


「興味!それだよ!今あたしの抱える感情がなんなのかイマイチ分からなかったんだ。大志くんは、今までにないタイプの男の子。こーんな変なあたしを、受け入れてくれる。その瞬間、胸の中がぱぁーっとなって、頭の中がずずずーんとなったんだ!」


「…何言ってるか分からないわ」


杏は私同様顔が良い。だから言い寄ってくる男も少なくなかった。取ってつけたような賞賛をしてくる男に対し、フレンドリーな杏は自身の趣味をオープンにした。…けど、杏の『死への興味』を知った男の反応はほとんど同じだった。顔を顰めて杏を見て、言われようのない、杏が数週間も元気を失くしてしまうほどの暴言だって吐かれた。可愛らしい杏に下心で近づき、可愛らしさのかけらもない思考を知り、悪意の感情をぶつけてくる。


だから杏は、ひっそりと部室内でのみ、彼女の趣味を爆発させる。学園生活では自分の考えをへりくだって抑え、我慢して、普通の女の子を演じる。そうすることで自分の心を守っていた。このあたしなら受け入れてもらえる、と。


「あたしは大志くんに興味がある。それも、あたしが男の子に向ける初めての感情。だから分からなかったけど…なるほど興味!すんと腑に落ちた!」


薬師丸を脅すための写真を撮る際。実は杏は最後まで反対していた。確かに部員は欲しいし、彼には素質がある。けど、きっと彼はあたしの本性を知って軽蔑すると。その目を向けられ自分が傷つくくらいなら、部員はいらないと。けれど常盤は、大志なら大丈夫ですの一点張り。信じてください、という常盤を見て、杏は静かに頷き、やけにハイテンションで薬師丸の写真を撮っていた。そうして、無理やり自分を納得させていたのだと思う。


今になって常盤の言うことが分かった。薬師丸は杏の死への興味を知って尚、普段通り、他の人に向ける姿勢と同じ姿を杏にも見せている。普通を演じる必要もなく、異性から普通の女の子として接してもらえる。それは杏にとって初めての経験で、初めて向けられたプラスの感情で。


思えば彼は私の趣味に対しても同様の反応を見せた。露出は僕の見えないところでやってください…裏を返せば、私がノーパンでいようがノーブラでいようが止めない、ということ。彼は私の『好き』も否定しなかった。


彼は『普通の学園生活』を追い求めているという。だから…なのかは定かではないけれど、どんな相手に対しても普通に接することができる。


胸のしこりが取れたのか、暴れるのをやめ大人しくなる杏。私にことんと身体を預け、大志くんは〜、大志くんの〜と口をひらけば薬師丸のことばかり。


…杏が薬師丸に興味を抱いている。その感情を興味、と表現していいかどうかは、今の杏をみるとまだ分かりかねるわね。

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