ヤバいバスジャック③
パトカーのおかげで、βは僕ら人質だけに目を向ける余裕が無くなっていた。その隙に、僕らは反撃の準備を整える。
正直、リスクはそれなりに高いと思う。僕が読みを間違える可能性も、失敗する可能性もある。…けれどその場合、犠牲になるのは僕だけだし。このまま抵抗せずに待っても海に捨てられるだけなら、華々しく散った方がマシ。
そうして自分を奮い立たせるも、やっぱり恐怖には勝てなかったみたいで。何度深呼吸しても視界は揺らぎ、手はガクガクと震えている。こんな状態で挑んでも結果は目に見えているんじゃ…
「…あ」
沙良が弱気になる僕の手をキュッと握りこむ。震えは止まらないけど、頭の中で鳴り響いていた心臓の音が遠ざかったように感じた。雑音が消え、聴覚が完全にクリアに。
「…違うからね、沙良。これはあれ、武者震いだから」
「…うん、そういうことにしとこっか」
「…これは、私もこうした方がいいのかしら」
沙良が掴む手とは逆の手を、黛先輩が恐る恐る触れてきた。彼女の手も震えている。もしかすると、黛先輩が1番ビビっていたのかもしれない。それなのに、飄々として、努めて平然と。変に強がるとこあるからなぁ、この人。でもそのおかげで、僕も落ち着きを取り戻した部分もある。
うん、よし。もう大丈夫。震えは止まらないけど、そんなこと些細な問題でしかない。あとは一歩を踏み出すだけ。ぎゅっと2人の手を握り返し、立ち上がる。
僕はめいっぱい空気を吸い込む。バス内の空気を吸い尽くして真空状態にしてやろうって勢いで。そして
「う、うぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
喉が張り裂けるほどの勢いで叫んだ。さぁ、作戦開始だ。
途端に、βが僕に銃を向けてくる。
「まっ…たお前か!」
怒り心頭と言った様子でずんずんと僕に向かってくるβ。
「耐えられない!もう耐えられない!無理無理無理!こわいこわいこわいああぁぁぁ!!」
「気でも狂ったか!?」
…よし。βからそう見られているのなら上々。あとは時を待つだけだ。
「β!黙らせろ!」
αからのゲキが飛ぶ。今更ながら、αの労力に対してβの労力がデカすぎないか?…いや、僕らがちょっと異常な人質なせいか。彼らの運が無かったってことで。
大丈夫、落ち着いている。僕の目的を悟らせるな。今僕は、あまりの恐怖に気が狂った人質。
「あぁクソ!おい!静かにしろ!これが見えるか?ライフルだ!黙らねーと撃つぞ!」
βが銃を構え引き金に手を触れる。どうやら僕は脅されているようだけど、聞き入れずに喚き散らし、涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながら両手をぐるぐると回す。あまりにも不恰好だけど、これでいいんだ。これじゃなきゃダメなんだ。
僕の見立てでは、その銃は脅しの道具でしかない。だってその銃は…
パァン!とバス内に乾いた音が鳴り響く。一瞬、僕の見立てが外れた気がした。僕は大きく身体をのけぞらせると、後方に吹っ飛んだ。地面に2度ほどバウンドし、胸元から血を垂れ流す僕をみた老夫婦が声を枯らして叫ぶ。
「…は?」
『β』がそう声を漏らした。おかしな話だ、銃を撃った本人が1番動揺してるなんて。
「っβ!?」
「ち、ちげーよα!俺は撃ってねぇ!お前も知ってんだろ、この銃は–––」
「…最高に無様で、最高にかっこよかったよ、大志。これ以上好きになれないのにもっと好きになっちゃった」
βがαに振り返る。初めて、βが完全に僕らに背を向けた。その瞬間を、僕の知る沙良が見逃すはずがない。
僕に対し最高に可愛らしいセリフを吐いた沙良は、狭いバス内にも関わらず最高に恐ろしい回し蹴りをβに放つ。首が90度に曲がったように見えたβは、そのままバスの窓に突っ込む。尚も勢い止まらず窓をぶち破ったβは、首から上を外に放り出しながら動かなくなった。
「…っお前ら!」
仲間を失ったαがナイフを両手に持ち突進してくる。しかし道中、かくりと膝を曲げすっ転んでしまったようだ。成宮先輩がαの足を掴み転ばせたようだ。ただじゃ死なないな、あの人。
「っがぁ!」
「しつこいわ…ねっ!」
立ち上がったαが鼻血を出してこちらを睨むが、黛先輩が投擲した成宮先輩の巨大バッグが顔面にぶち当たり再度地面に突っ伏す。辺り一面にバッグの中身が飛び散り、成宮先輩が今日一悲惨な顔をしていた。
そして、彼女たちが稼いだ時間は沙良が接近するには充分で。仰向けに倒れるαを股の下で挟むように位置取った沙良は、はぁ〜、と可愛らしく握り拳に息を吹きかけていた。
「てめっ–––」
「っし!」
抵抗しようとするαだが、それよりも速く沙良の拳がαの顔面にめり込む。バスを破壊するつもりで放ったようだが、沙良もまだ人間、車内の床に亀裂が入る程度の威力しか出せていない。いや怖っ。末恐ろしっ。
きっかり15秒。僕らは見事にバスジャック犯を無力化させた。
「き、救急車!きゅうきゅうしゃ!」
かすかすになった声で老夫婦が僕に駆け寄る。男性の方は僕に心臓マッサージをしてくれようとしているが、いらぬ心配だ。
「あ、大丈夫です。撃たれてないんで」
むくりと起き上がった僕は、胸につけてあった血糊のビニール袋を投げ捨てる。顎が外れちゃうんじゃってくらい口を開けた老夫婦が、神様でも見るような目で僕を崇め奉るけど、生き返ったわけじゃない。
「…ふぅ。お手柄ね、薬師丸」
「いえ、9割9分タネが割れてた以上僕が1番安全圏にいた気もしなくもないので。何より沙良が…あぁβをぐちゃぐちゃにしようとしてるや」
僕的1番の功労者である沙良を労ろうとしたけど、彼女は窓に突き刺さったβを引っこ抜いて一心不乱に顔面をぶん殴っている。蛮族かな?
「沙良!」
「…ん?どうしたの大志」
声だけで返事をして、拳は止めず返り血を浴びる沙良。これは幼馴染としてこれ以上の暴力は止めよう…
「死なない程度にね」
「…あ、そうだったね。危ない危ない」
止めようとしたけど。ま、いっか。これも正当防衛。え?やりすぎだろって?βが復活して僕らに反抗してきたらどうするんだっ!こういうやつらにはやりすぎがちょうどいいんだ!むしろガチで命を奪おうとしていた沙良を止めてあげたんだから感謝してほしいねβには!
「たぁぁぁぁいしくぅぅぅん!」
「薬師丸。右に2歩」
「あ、はい」
「ごぺらっ!」
バスの前方から成宮先輩が両手を広げて突っ込んできたので、指示通り右にずれると盛大に顔面から座席に突っ込んでいった。
「むはぁ!べりーないすだよ大志くん!まさか死の体験を応用させてあのシチュエーションを作り出すとは!したい部部長として鼻が高いね!」
「よくあの銃がニセモノって分かったわね」
「まぁ、はい。あれ、僕がよくやってるゲームに登場する銃のモデルガンなんですよ。見覚えはあったんで」
思えばずっと違和感があった。βは1発も銃を撃ってない。バスジャックという死の体験だと勘違いし騒いでいた僕に対して、わざわざ銃をしまいナイフで傷をつけてきた。跳弾とかの問題もあるんだろうけど、一度でも銃を撃っていれば、それだけで僕らは抵抗する術をなくすし、最大の脅しとなり得る。
なぜ撃たなかったのか。答えは撃てないから。あの銃はモデルガンでしかないから。凛とよくやっているバトロワゲームの知識が、まさかこんな形で役に立つとは。
銃がニセモノなら、彼らの持つ凶器はナイフだけ。そして沙良は、ナイフを持っているだけの相手なら片付けることが出来る。
とはいえ、警戒心MAXの相手に沙良をぶつけるのは彼女に危険が生じかねない。だからこそ、僕が一芝居打って死んだフリをし、動揺を誘ったのだ。銃の発砲音は成宮先輩の持参した音楽プレイヤーに録音されていたから、ちょうど良いタイミングで黛先輩に鳴らしてもらった。あとはしたい部で培った『死』を存分に発揮し、混乱に乗じて突撃した他の部員にお任せするだけ。
「…やっぱ僕が1番安全圏にいたな」
「それはあたしの方じゃない?αの足を引っかけただけだし」
「いえ、先輩のおかげでこの作戦を思いついたんですよ。先輩も、このつもりだったんですよね?」
「え?」
「だから、あえて僕らと距離を取って、うまく挟撃の形を作ったんでしょ?そのために膀胱爆発症候群ーなんて言いながら死んだんですよね?」
彼女が言っていた風穴を開けるというのは、αとβの布陣に亀裂を加えるという意味だったのだろう。どちらかに異変が生じれば、どちらかがカバーをできる。そのカバーを少しだけ遅らせればいい。完全に死んだと思われた成宮先輩の存在はαの意識には無かったようで、面白いように引っかかっていた。
「…あれ、成宮先輩?」
「……そ、そーぉだよぉ?うんうん、そうそう!キョウゲキ!キョウゲキをしようとしたんだよねこのIQ2トンのあたしは!あたしの意図を充分に汲み取ってもらえてなによりだよ」
「IQの単位は重さじゃありませんよ。本音は?」
「…なんか、したい部らしいことできてないし。この辺で1発死んどくかって」
「で、膀胱を爆発させたってわけですか」
どうやら僕は成宮先輩を過大評価しすぎていたようだ。欲望に忠実すぎるぞ。結果としてプラスに働いたから良かったものを。
「…ま。誰が1番安全だったかなんて考える必要ないでしょ。結果として大団円だったんだから」
「…いやそりゃそうなんですけど…なんか僕1番頼りなくないですか?唯一の男なのに」
「そうかしら?あの場で1番に立ち向かったあなたが1番勇敢だったと思うわよ」
「…鼻水振りまいてたのに?」
「それだけ本気で私たちを救おうとしたんでしょ。全力な男は嫌いじゃないわ。私も…少し濡れた」
「うん黛先輩ずっと気になってたんですけどお股から何やら液体が滴り落ちてますよ」
ビビりすぎて小便を漏らしているわけではなさそう。であるとするなら、女性があそこから出す液体は…うん、考えるのをやめよう。僕って純粋だし。
「むっつり」
「僕が悪いのかぁこれ」
「むむっ!あたしの方が大志くんのこと嫌いじゃないんだからね!」
「(ひょいっ)危ないなぁ。構わず飛びついてきて犬ですかあんたは」
嫌いじゃない度数を比較されてもあんまり嬉しくないです。せめて好きで表してくれたら僕も喜ぶんだけど、沙良が何をしでかすか分からな…
「……沙良。その辺にしとこっか。βもう完全にぐちゃぐちゃのごちゅごちゅ、びちゅぼちゅになってるから」
すでにβの顔面は原型を留めていない。僕の声に気づいた沙良は「そうだね」と満足したのか満面の笑みを浮かべている。くそぅ、可愛すぎるぜ僕の幼馴染。
「とにかく、事が済んだことだしさっさとここから出ましょ」
「だね!運転手さーん!次のSAで停めてください!警察にこの人と…コレを引き渡すので!」
コレ(β)。成宮先輩は彼を人と見なしていないようだ。…まぁ、コレが何かって言われたら顔面の潰れたUMAって呼ぶのがしっくりくるし。
「βはもう起き上がることはないとして…αの方は動かないように縛りつけとこっか。えぇっとバッグの中にロープが…ロープロープ…」
αの周りに飛び散ったグッズを成宮先輩が集めている。座席の下に手を伸ばしているくらいだから、結構ばら撒かれてしまったようだ。…仕方ない、手伝ってあげるか。
これは…綿棒か。バッグの中身は死の体験の道具といってたけど、何に使うんだろ。こっちは…空き缶?ゴミ入れてるだけじゃないかこの人。そっちにあるのは…テレビのリモコン。本当に何に使うんだ。で、あっちにあるのは…って、わわっ!これブラジャーじゃないか!
「…っ杏!」
後方から黛先輩の悲痛な叫び声が聞こえた。成宮先輩の下着から慌てて逸らした視線の先で、αが立ち上がっている。彼が視界に捉えているのは、お尻を突き出して座席の下をまさぐっている成宮先輩。
「おまひぇっ…おまひぇらぁぁ!!」
歯が数本持っていかれたのか、滑舌悪く怒りを露わにするα。成宮先輩が振り返り、その瞳にαの持つナイフがうつる。
「ゆるしゃんっ!ゆるしゃんぞぉぉ!」
ナイフが、成宮先輩に振り下ろされる。腰が抜けてしまったのか、成宮先輩は満足に動く事ができない。
「杏先輩!」
だから、僕が動く。考えるより先に身体が動いていた。遅れて思考がやってきて、とにかく成宮先輩を守ることを第一にと告げてくる。αと彼女の間に身体をねじ込ませ割って入る。右肩に強い衝撃。
「…たいしくん?」
僕の肩がどうなってしまったかなんて見たくない。けれど、後ろから沙良の聞いたこともない悲鳴が聞こえてきて、自然と目は肩に向いてしまう。
「…あれ?」
僕の肩には深々とナイフが突き刺さっていた。
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