ヤバい部の先輩

目が覚める。真っ白な天井、頭の裏側に押しつけられるどこか覚えのある温かく柔らかい感覚。ここが天国なのだろうか。


「あ。先輩。大志起きましたよ」


徐々に視界、そして聴力もクリアになってくる。沙良が僕を覗き込んでいるようだった。そして頭裏の感覚から察するに、僕は沙良に膝枕をされている。なるほど、たしかにここは天国のようだ。


「ってじゃないが!?」


どういうことだ!?僕はジュースに仕込まれた毒で生涯を終えたはずだ!なんかそれっぽい回想をしておいたんだぞ!だというのに今の僕の身体はピンピンしているし何の問題もない!


「およ、起きたかね大志くん!」


とてとてと成宮先輩が僕の視界に入ってくる。当然その姿勢は前屈みになっているため、かなり胸元が強調され僕の視線は釘付けに…というところで、沙良が素早い動きで太ももと太ももの間に僕の顔面を挟み、凄まじい強さで締め付けてくる。またもや視界が歪み頭が割れそうなほど痛いんだけどそこはかとなく柔らかい感覚も残っていて…幸せを感じてしまっている自分もいるのが悔しい。


「水、飲む?」


今度は黛先輩がミネラルウォーターを僕に差し出してくれる。ありがたい、なんだか喉が乾いて…


「黛先輩…!?そんな、死んだはずじゃ!?」


「…勝手に殺さないでくれる?」


眉を顰めるジャージ姿の黛先輩。洗濯機がゴウンゴウンと動いていることから察するに、血まみれの制服は洗っているのだろうか。幽霊かな…と思い彼女の肩に触れてみるも、確かな温かみがある。


途端、顎に衝撃。身体を浮かせ机を巻き込んで吹っ飛ぶ僕。そしてアッパーカットのポーズを取っている沙良。あぁ、なにも警戒もせずに女性に触っちゃってた。沙良が怒らないはずがないや。


頭から本棚に落下すると、本がばたばたと僕の頭に落ちてくる。目がチカチカしそうだ。


「…話には聞いてたけど、本当にすごいね、沙良ちゃん」


「これを耐える薬師丸の肉体の方がすごい説はあるわよ」


ぷぴーっと漫画みたいに血が噴出する頭を抑えつつ沙良に謝罪すると、心底引いた目で僕を見てくる先輩方。…あれ、沙良は人前では暴力を振るってこないはずなんだけど。


いや待て待て待て待て待て待て。そうじゃないだろ僕。なぜ僕は毒入りジュースを飲んだのに生きていて、目の前で天に召されたはずの黛先輩が蘇ったんだ?


黛先輩のあの表情、そして成宮先輩の狂人っぷり…まさか夢ではないはずだ。つまり


「…僕と黛先輩が不死身能力を得た、ってことか?」


「凄まじい発想力ね」


「っ!?いや、僕は元々不死身だったというわけか!?もしくは凄まじい回復能力を!?だから(沙良からの)理不尽な攻撃を受けても翌日にはケロッとしていたのか!?」


「大志くんみたいな独特の思考を持つ人間が世界を変えるのかもね」


へへっよしてくださいよ…そう褒めないでくだせぇ…


「…とりあえず、一から状況を説明するね」


困ったように笑う沙良から、この不可解な状況の説明を受ける。


「まずは…成宮先輩のアレも黛先輩のソレも、ただの演技だよ」


「演技!?あれが!?」


「むぅ…あたしとしてはその『演技』って言い方は好きじゃないんだけど」


「噛み砕いて説明しないと伝わらないでしょ」


「もしかしてお二人演劇とかやってたり…」


「うんにゃ、あたしも柚木ちゃんもただの美少女JKってだけ」


「私は美少女じゃなく美女よ」


やや不満げに訂正する黛先輩だが、ツッコミどころはそこではないと思う。


こほんと一つ咳払いをした沙良が話を戻す。


「で、大志が飲んだものは毒でもなんでもなく、ただのオレンジジュース」


「…ん?でも僕ジュース飲んで本当に体調がおかしくなったよ?目もぐるぐる回ったし」


「それは…多分心理的効果ってやつだね、脳が毒を飲んだと錯覚して身体に作用したんだと思う」


「あ、それ知ってるよ!実験もされてたよね。目隠しをした被験者に『私は熱した棒を持っています』って言って、ただのスプーンを背中に押し当てたら…なんと背中に大きな火傷を負ったってやつ」


もうちょいマシな例えは無かったんですか成宮先輩。


「つまり…ただの思い込みってこと?」


「うん。最後は恐怖のあまり失神しちゃっただけだね。ふふ、可愛い」


「ふふ、恥ずかしい」


僕は僕自身の思い込みに踊らされてたということだ。思い返してみれば、僕より後にジュースを飲んだ黛先輩が先に症状が出ていたのもおかしいし、僕は黛先輩みたいに吐血した訳じゃない。何より成宮先輩に毒だと気付かされてから症状が出ていた。とはいえ、あの状況でそうした違和感に気づけるような精神力は有していない。つまりそれだけ先輩方の演技が真に迫っていたというわけだけど…


「…って、状況は分かりましたけど!なんであんな事したんですか?」


僕らを歓迎するドッキリでした〜、と言うにはスケールが大きすぎる。そもそも僕らは事前に連絡もせず見学を申し出たはずだ。準備期間もそうした素振りもなくあれだけの事をできる気がしない。そもそも意味が分からない。毒死する演技をするなんて…それもあれだけ迫真の演技を。演劇部というのならまだ理解できなくはないが…


僕の疑問を答えようとした沙良を、成宮先輩が制し一歩前に出る。口角は歪とも思えるほど上がっていた。


「なぜあんな事をしたのか?それはもちろん、これがこの部の活動内容だからだよ」


「…あれ?この部のモットーって『やりたいことはなんでもしたい!』ですよね?学園のために色々奉仕するボランティア部みたいな事をしてるんじゃないんですか?」


「それは表向きの姿だね。とはいえ、モットーはその通りだよ。『やりたいことはなんでもしたい』。なんでも、したい。したい…」


「私たちはさっきまさに死んでいたわ。いやまぁ実際に死んだわけではないんだけど…その体験をした。死んでみたのよ。死んだ私たちはどうなる?これだけ言えば分かるかしら」


「…つまり、やりたいことはなんでも死体。死ぬ身体の方ですか?」


「ピンポーン!だいせいかーい!」


ぱちんと指を鳴らす成宮先輩。説明を受けても訳が分からないや。やりたいことは死体?死の体験?自殺志願者集団ということか?


「つまりね、この部の真の活動内容は『死っていいよね!憧れる!色んな死を体験してみたい!』ってこと!けど当然、人生は一度きりで、人は死んだら死ぬ。でもあたしたちは本当に死ぬわけにはいかないでしょ?だから色んなものを使って代用して、できる限り本物の死に近いように体験をして、その死を感じてみる。そうしてあたしたちは死を知っていくんだよ!」


言葉を続ける成宮先輩。補足されても訳がわからないや。つまりこの部は死を知るために限りなく死んでみる、ということか?先ほどの毒入りジュースも『毒死』という死の体験をした…ということ?


「ちなみに柚木ちゃんが吹き出したのはただの血糊ね!冷蔵庫にいっぱい入ってるからよかったら使って!」


「使わないです。…なんで死に憧れちゃうんですか」


「いーい質問だね」


ため息混じりに僕が吐いた言葉を、成宮先輩が機敏に反応する。途端に声色が低く不気味になる彼女を見て、沙良は一歩距離を取り、黛先輩は『あちゃー…』とでも言いたそうに額を手で抑えた。


成宮先輩が勢いよく机の上に飛び乗る。そして–––


「…人は散り際が最も美しい。君も聞いたことがあるでしょ?あたしはその言葉に大変感銘を受けてね。でもさ、散り際って言っても死にはたくさん種類があるわけだ。病死、自然死はもちろん、餓死安楽死溺死縊死水死衰弱死焼死感電死窒息死転落死轢死腹上死憤死中毒死失血死とね。もちろんここで挙げた死はごく一部であり、死は無限にありふれているわけだけど…ここで一つ疑問が生じる。散り際が最も美しい…なら、最も美しい散り際は?人間はいつ、誰と、どこで、どのようにして、どういった格好で、何を想いながら、何のために、どういった方法で死ぬのが最も美しいとされるのか。気になるでしょ?気にならない訳がないんだ。人間は産まれ方や容姿、性格は自分で選べないのに死に方は選べる。あたしたちはお母さんのお腹から産まれる。現在それ以外に生を授かる手段はない。にも関わらず、死に方は無限大。ここから察するに、ありとあらゆる生命は生きるために生を授かったんじゃない。死ぬために生きてるんだよ。そうでなければ神様は生物が死なないように創るはずなんだよ。だというのにあたしたちは死ぬ。死ぬ身体を持っている。今この瞬間だって、あたしの身体は細胞が朽ちて死んでいく。どうやって死ぬかを考える期間としてあたしたちは今を生きているんだよ。だからあたしはこの部で全ての死を体験する。その中で最も美しいと感じた死があった場合…あたしは本当の意味で死ぬだろうね」


両手を大きく広げると、僕の知る彼女に戻り「ご清聴ありがとうございましたー!」と一礼した。促されるままに僕は拍手をしてあげる。


…さぁて、大志くん困っちゃったぞぉ!


ところどころ脳が危険を察して聴覚をシャットダウンしてしまったから、かいつまんでしか分からないけど…つまるところこの部は死に魅力を感じている成宮先輩が創設し、『最も美しい死に方を模索する』という活動をしている、ということか。とはいえ、生は一度きり、死ぬチャンスは一度しかない。だから、先ほどのように限りなく死に近い『体験』をする、と。う〜ん、まとめても訳が分からないや!


助けを乞うため黛先輩を見てみる。彼女は下手くそな寝息と共に寝たふりをしていた。触れてくれるな、ということだろう。今度は沙良を見てみる。お、流石沙良。普段から成宮先輩と違う方向で似たような言動を繰り返しているからか、表情を崩す事なくニコニコと…あ違う。僕を横目で見ると成宮先輩に向かってクイクイと顎を動かしている。「大志がなんとかして」ってことかな。誰に対しても分け隔てなく接する優等生の彼女でも手がつけられないらしい。


「…どうかな?大志くん。君はあたしの話を聞いてどう思った?」


沈黙を察して、目を輝かせながら僕に問うてくる成宮先輩。僕の両手を包むようにギュッと握ってくるおまけ付きで、退路は完全に絶たれたといっていい。


仕方ない、「感動しました!」とか言って機嫌を取ろう…としたところで、僕の頭に電撃が走る。


一応僕は部活動を見学する目的でしたい部にやってきている。入部希望者とまで言ってしまったから、興味を持ってやってきた、というのは誰の目にも明らかだろう。しかしながら異常でしかない部活動体験を経て、いくら癒しわんこ系の成宮先輩、そしてクールビューティー系の黛先輩という容姿だけ見れば夢のような部であったとしても、入部したいという気持ちは綺麗さっぱり無くなったわけなのだが、ここで肯定的な意見を出すとどうなるだろうか。


パターンA:脳死で肯定した場合


『すごいですよ成宮先輩!感動しました!涙ドバーッ!鼻水びゅるーっ!』


『そっか!なら大志くんもしたい部に入ろう!』


この展開以外に予想ができない。では逆に拒絶したとするなら…


パターンB:正直に否定した場合


『何言ってるんですか成宮先輩!僕は共感できません!ぷんすこぷんぷんぷくぷくりん!』


『そっか…今はそうだよね。でも大丈夫!したい部に入部すればあたしの気持ちも分かると思うから!』


となるだろう。僕が肯定的な反応を見せても否定的な反応を見せても、成宮先輩の最終的な答えは変わらない。


つまり僕がすべき反応は…!!


「…………」


「あれ、大志くん?」


沈黙ッ!パターンCの沈黙!何を言っても同じだというなら何も言わなければいい!


僕の完璧な算段の前に成宮先輩もなすすべなく、僕に部室を出るように促し…


「そっか、大志くん。言葉も出ないほど感動しちゃったわけだね!」


「……」


「う〜んそこまでされちゃうとあたしも照れちゃうんだけど…いいでしょう!したい部部長として、大志くんの入部を許可します!」


……パターンDの『逆立ちで発狂してヤバい奴だと思われる』が正解だったかな。もしくはパターンEの『全員の胸を揉みしごいて警察のお世話になる』か。


「いや〜良かった良かった!これで部員が増えるよ柚木ちゃん!」


僕の返答も待たずに入部の方向で話が進んでしまっている。本当に待って欲しい。


水をさすようで申し訳ないが、ここは丁重にお断らせていただきたい。流石にこの部はナシだ。まだサッカー部の方がマシ、大志部よりかは全然アリという位置。僕に美しく死にたいという感情は無いし、死の体験とやらに付き合う義理もない。何より僕の求めている『普通の学園生活』とこれでもかというくらいかけ離れてる。


「あ、あの〜先輩?僕実はそんなにこの部に興味が…」


「ちなみに…もう大志くんに入部を断るって選択はないんだよね」


そう思い断りを入れようとすると、黛先輩の手をぶんぶんと振って喜ぶ成宮先輩が声だけで僕を呼び止める。


「はい?どういう意味ですか?」


「…気づいてないんだろうけど、自分の格好見てみてよ」


僕の格好だと?ただの学園指定の制服…いや、黛先輩の血糊にまみれて真っ赤に染まっているのか。あれ?にしては着ている服にべったりとした不快感が無いような?そう思い、視線を下げてみると…


僕は水色で胸元に『たいし』と書かれた名札のついたスモックを着ていた。下半身は黒の短パン、そしてすかさず沙良が僕の頭に黄色の帽子を被せてくる。


「ででん!問題です!大志くんは今どんな格好をしているでしょう!」


「……園児の格好、ですか?」


「ぴんぽんぴんぽーん!だいせいかーい!大志くんには園児服を着て園児のコスプレをしてもらっています!」


「可愛いよ、大志」


恍惚とした表情で沙良が胸の前で手を合わせている。……いや、恥ずかしい格好に違いないが、だから何?というか。まさか断ったらもっと恥ずかしい格好させるぞ、って脅し?


だとしても大したダメージにはならないんだけどな。沙良にはもういろんな僕を見せてしまっているし、先輩方に見られても…と思っていると、成宮先輩が一枚の写真を見せてくれた。


「ででん!第二問!この写真はなんでしょう!」


「……白目を剥いた僕が園児服を着て可愛らしくポーズを取っている写真、ですか?」


「ぴんぽんぴんぽーん!大正解!大志くんが気絶している間に写真を撮らせてもらいました!この写真は現在データとしてパソコンに入っています」


「…ははーん?」


「ででん!最終問題!大志くんがこの部に入らないと言ったら…あたしはこの写真をどうするでしょう?」


「……枕元に置いて寝てくれる、ですか?」


「ぶぶーっ!残念!正解は学園中にばら撒いて大志くんがまともな学園生活を送れないようにする、でしたー!」


「くそう薄々察してたよチクショウ!」


やりやがったこの人!僕が寝ている間に脅迫ネタを確保しやがった!僕でも見るに耐えんあの写真は!あの写真の僕指咥えちゃってるもん!妙に画質良いと思ったらこの部室一眼レフもあるし!着せ替え人形にするだけならまだしも、それを写真という永遠に残る形で保持するとは!この鬼!悪魔!沙良!


「というか、なんでこんなコスプレグッズがあるんですか!ご丁寧に名札付きで!」


「あ、私が用意したよ」


「やっぱり沙良さんですよねー!!」


「大丈夫、着替えは私が担当したから。先輩方には後ろ向いててもらったからね。大志の貞操は守ったよ」


「沙良には僕の恥ずかしいとこ見られちゃってるじゃん!よく見たらパンツまで替えられてるし!パンツってかオムツだよ!園児舐めんなオムツ卒業してるわ!」


「別に大志のタイシは毎日見てるし…」


「初耳だなぁ!?早朝か!?僕がまだ寝ているタイミングだな!?僕は物心ついてから沙良の裸は見たことないんだけど!?」


「…え?見たい?」


「みっ…………たくないよ!」


「かなり間があったわね」


仕方ないよ僕男の子だもん!あの沙良が恥じらいながらスカートの裾きゅって掴んでたらなんかこう…クるものがあるでしょーがっ!


「で。どうするのかな大志くん。部に入って死の魅力を語り合うか、部を拒絶して社会的な死を体験するか。どちらにせよ、君は死の渦中にいるわけだけど」


成宮先輩が片手に入部届、そしてもう片手に写真を持ってそう問うてくる。写真をビリビリに破いて無かったことに…と一瞬だけ考えたけど、データはパソコンに入っていると言っていた。その場しのぎにすらならないだろう。


僕が求めるのは普通の学園生活。しかし、どちらを選んでもその『普通』とはかけ離れた日々を送ることになるだろう。となると消去法。どちらも地獄というのなら、どちらの地獄がまだマシか。


理不尽なことこの上ない。しかし、答えるまでそう時間はかからなかった。


「あの、僕本当に死とか興味ないですからね!生きるためにもがいています!だから嫌々ですからね!」


「つまりイヤイヤ期ってこと?」


「アンタも園児舐めんな!とっくに卒業してるわ!じゃなくて…」


「じゃなくて?」


言葉の先を促しつつ今日イチの笑顔を見せてくる成宮先輩。その目は『同志が増える』と喜んでいて、その表情に吸い込まれそうになる。本当に、顔は可愛いんだよなこの人。顔だけは!


「…薬師丸大志!したい部に入部させていただきます!」


入部届を奪い取る。ぱぁっと顔を輝かせ、両手を広げ僕に抱きついてこようとする成宮先輩…を、沙良が片手一本で止め、さらに念には念をと僕を後方に蹴り飛ばした。


…なんで待ち受けていただけの僕を?

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