ヤバい名前呼び

惨憺たる?事件から数日。


バスジャックというのはやはりこの国においてもかなり大きな事件だったようで、全国のニュースで取り上げられていた。一応被害者(被害だけ見れば全治ウンヶ月のα、βの方が悲惨だが、立場上)の僕らの実名は報道されず、学生としか表記されていなかったが、学園では僕らしたい部が乗車していた事があっという間に広がっていた。成宮先輩は友達がいっぱいいるらしいし、課外活動に行くんだ〜と嬉しそうに言い広めてて、そこから漏れたのかな。


そのため、沙良は休み時間になると常にクラスメイトに囲まれ事件の概要について聞かれていた。他のクラスからも人がやってきて、ただお近づきになりたい男子も口だけの心配をしていたが、沙良は軽くあしらっていた。


…そして、僕には誰も集まってこず。いやまぁ良いんだよ、チヤホヤされるためにバスジャックに巻き込まれたわけじゃないんだから。


ただちょっと露骨すぎないかなぁ!?確かに僕でも僕より沙良に話を聞きたいと思うけどさぁ!?沙良の前には行列が出来てるのに!?僕空いてますよ〜、暇ですよ〜ってそれとなくアピールしてたのに!?握手会で超人気アイドルが長蛇の列を作ってる隣にブースを作った新米アイドルになった感覚!目の前は閑古鳥が鳴いてるのに隣では歓声しか上がっていない気分!世知辛ぇ〜!


ただ、そんな新米アイドルの僕にも数少ないファンはいる。そのファンを大事にしていくことが人気への近道なのだ。僕の元にやってきたのは沙良とは喋ることができないため消去法で僕しかいなかったゴシップ大好き新聞部の凛と…


『…っ大志!』


『びっくりした…中山先生?お久しぶりです、何かありましたか?』


『バスジャックに巻き込まれたって聞いたぞ!身体は無事なのか?』


『あぁはい。特に怪我なく』


『…ッチ。なんだよ』


『舌打ちしましたよね今。なんで残念そうなんですか。…えぇ〜言うだけ言って帰ったぁ!?何の確認なんだ!』


と、僕の不幸を願っていやがったサッカー部顧問の中山先生のみ。僕、知らないうちにあの人の親を殺してしまったのだろうか。


とまぁ、一時は世間を騒がせていた大事件だけど。めいっぱい消費された後はポイされるのが世の定め。ニュースは芸能人の不倫報道に興味を向けており、クラスでもようやく事件に関する話題がでなくなった頃。僕は日常を取り戻し……


…取り戻した、のかなぁ?僕の周りでは大きな変化があった。


まずは沙良。学園内で僕に話しかけてくることが極端に減った。話をするとしても業務上のものだけ。無論学園内で、というだけで学外に出れば普段の沙良に戻るのだが、登下校中も周りの目を気にしてる様子。押してダメなら引いてみろ作戦でも決行してるのかな?と楽観的に思ってたりするけど…にしては異様だ。


次に黛先輩。彼女は僕と目が合うとシャーッと猫のように威嚇をしてくる。と思うと、普通に会話をしてくるのでよく分からない。僕が成宮先輩と話してると威嚇の声が大きくなる気がするけど、多分気のせいだろう。


…そして、最後に。


「…成宮先輩」


「ふーんだ」


「あのですね成宮先輩–––」


「つーんだ」


僕的に1番衝撃だったのだけど、成宮先輩も僕に対してよそよそしい態度を見せてくる。今だって、ぷくりと頬を膨らませて決して僕と目を合わせてくれない。


沙良とはコンタクトが取れていないから何してるか分からないし、黛先輩も遅れるみたいだし、現在したい部には僕と成宮先輩のみ。これは中々に気まずい。まさか騒がしいこの部室内で沈黙という気まずさが訪れるとは。


同時期に3人の女の子から嫌われ…いや嫌われてはないだろう。無いと言ってくれ。こほん、3人の女の子ががらりと僕に対する態度を変えたと言うことは、僕に問題があったのだと思う。と言っても、心当たりが無い。強いて言えばバスジャック事件だけど…皆僕のことを称賛してくれてたし。う〜ん…考えても分からない。


「成宮先輩」


「ぷーん、だ」


「あの、僕何かしちゃいましたかね。明らかに皆の僕の見る目が変わったんですけど。それもマイナス方面に」


分からないなら聞くしかない。僕の言葉を受けた成宮先輩は、ここでようやく僕と目線を合わせる。けれどやっぱりその表情は怒っていて。


「それ本気で言ってる?」


「わりかし本気です。なんか理由があるなら聞きたいです。『大志くんに冷めた対応をしようウィーク』ってイベントを開催してるからだとしても今なら笑えます」


多分怒りより安心が勝つから。僕ら、それなりに良好な関係を築けていたと思うんだけどなぁ…。


「な〜ら教えてあげようか。こ〜んなにヒントをあげてるのに気づかない大志くんも大志くんだけど!」


「ご教授願います」


「…大志くんさぁ。あの日のバスの中であたしのこと『杏先輩』って呼んだよね?」


「……あぁ、あの時」


αにナイフを叩き込まれた時だろうか。確かに僕は杏先輩と呼んだ気がする。


「で、今は?」


「はい?」


「今はあたしのことなんて呼ぶの!こーるまいねーむ!」


「な、成宮先輩ですよ?」


「……なんで!名前で!呼んでくれないのさ!」


3発デコピンをくらった。……まさかとは思うけど、この人僕が名前で呼ばないから怒ってる?そんな理由で僕は三日三晩枕を濡らすほど悩んでいたのか?


「いやっ、あの時のあれはアレです。直前に『杏』って呼ぶ黛先輩の声が聞こえたので、それに引っ張られてっていうか。『なるみや』より『あんず』の方が短いのでコンマ数秒くらい早く呼べるなって」


「別に今後も名前で呼んでくれたっていーじゃん!」


「それは先輩へのリスペクトですよ。僕より立場が上ですし、名前でお呼びするなんて不敬を働けません」


「あたしの事なんて微塵もリスペクトしてないくせに!」


「くそぅ論破されちまった!」


実際問題、成宮先輩呼びで定着してしまっているので今更変えるのは違和感がある。…あぁ、思い返してみれば成宮先輩と呼んだ時だけつーんふーんぷーんしてたなこの人。


「ともかく!君があたしを杏って呼ぶまで態度を変えるつもりはないからね!」


と言うと、またもやそっぽを向いてしまう成宮先輩。なんの拘りだ、それは。苗字呼びから名前呼びに変えるだけで何を一喜一憂してるんだろう。距離感云々の話なら敬語をやめて、がまず最初にくるだろうし、相変わらず何を考えているのか分からない。名前呼びが良いなら最初から言ってくれればいいのに。


「…分かりましたよ」


ともあれ。これで成宮先輩の不満は分かった。ただ名前で呼ぶだけで以前の関係に戻るのなら安いもんだ。


「あんっ––––」


ぎゅるん!と僕を見てくる成宮先輩。見るからに、見ずからに、明らかにキラキラとしたその視線を見て、なぜか言葉が詰まってしまう。


「あんz…」


どうしたどうした僕!?たかが呼び方を変えるだけだろう!?心の中で練習をしよう、あん…あん…あん…あっ…あんっ…なんか凄い喘いでないか僕!?


落ち着け落ち着け。女性相手だから恥じらいがあるのか僕?沙良!沙良ーっ!ほら沙良なら名前で呼べる!黛先輩は確か…柚木!よし、黛先輩もいける!あとは…あぁ僕親しい女性3人しかいねーや!


ちらり、と目線を向けると、依然目を輝かせた成宮先輩がこてんと首を傾げている。だぁくそ!もうどうにでもなれだ!


「あ…あんずぅ先輩」


「あんず、で切るの!はいもう一回」


「…あんず先輩」


「わんもあ!」


「杏先輩!」


「アンコール!」


「杏先輩!杏先輩!杏先輩!」


「はい一緒に!」


「「杏先輩っ!はいっ!杏先輩っ!ふぅ!」」


テンションがおかしくなって杏先輩の名前を連呼する僕たち。……そのおかげとは思いたくないけど、割と抵抗なく先輩を名前で呼べている。


…女性を名前呼び、かぁ。かなり関係が縮まったとみてもいいのだろうか。杏先輩も凄く嬉しそうにしてるし。


2人で杏!杏!と騒いでいると、部室の扉が開いた。


「…遅れたわ。けれど私は謝らない。謝らなければ私は悪くならないし、謝った瞬間私の負けなのだから」


「きっしょいプライド」


それなりにしたい部で過ごしてみて分かったけど、この部活、結構時間にルーズだ。全員が部活開始時間に揃うことはほとんどなく、時たま成宮先輩と黛先輩は欠席をする。彼女たちにも彼女たちの学園生活がある。そっちを優先しようということだ。僕は皆勤賞だったりするんだけど…なんで欠かさずこんな部に来てるんだ僕。サッカー部だった時もそうだったけどさ。


…まぁ、それなりに居心地がいいのは否定しない。活動内容はともかく、こうして部室に集まってくっちゃべるのは、意外と普通の学園生活っぽいというか、僕にとっての憧れだったりしたのかも?


「…あ、飲み物入れますね。何飲みます?」


「麦茶」


「杏先輩は?」


「コーラ!」


全員が揃わないと死の体験は行われない。僕自身喉が渇いてたのもそうなんだけど、一応年少者ではあるし、雑用は積極的に買って出ている。


「ちょっと待ちなさい薬師丸。あんた今なんて言った?」


「え。何飲みます?って」


「その後よ」


「その後…?杏先輩は、ですかね」


「………いつの間に名前呼びになってんのよ」


あ。黛先輩がシャーっと猫モードになっている。なんとなく薄々感じてるけど、やっぱり杏先輩関連の話になるとこのモードになるな。


「…まぁいいわ。いつも薬師丸を動かせるのも悪いし、今回は私が飲み物を注ぐわね」


そしていつも通り、普段の口調に戻る。う〜ん、やっぱりよく分からないや。


「あざます。僕はオレンジジュースで」


手際よく紙コップを3つ取り出す黛先輩。1つは麦茶を、そしてもう1つはコーラを。そして最後の1つには並々の血糊を注いで僕らの元に帰ってきた。


「はい、杏」


「ありがと!んくっんくっ…くぅ〜!炭酸が染み渡るね!」


「はい、薬師丸」


「ありがとうございます。うわぁ、トマトジュースみたいに真っ赤っかだぁ」


「ふぅ。…うん、一息ついて麦茶を飲んでると実家で過ごす夏を思い出すわね」


「待て待て待て待て黛先輩」


何よ、とも言いたげな表情で僕を見上げる黛先輩。どう考えてもおかしいだろコラ。なんで僕は血糊なんだよ。オレンジジュースでって言っただろ。


「これ。血糊ですよね?」


「えぇ」


「あぁ分かってやってたんだ。ちゃんと嫌がらせじゃん」


ポンコツだから血糊とオレンジジュース間違えちゃった〜ならまだ可愛いなぁで許せたんだけど。めちゃくちゃ悪意あったわ。


「飲みなさいよ。先輩の注いだ飲み物が飲めないって言うの?」


「これがパワハラかぁ。そりゃ飲みますよ。飲み物ならね」


「それは飲めるタイプの血糊よ」


「くそぅ言い返せなくなっちゃった。僕の負けです」


仕方なく、自分でオレンジジュースを注ぎにいく。全く、なんたってこんな事を……うん?


間違いなく黛先輩は怒っているよな?その原因が、僕が杏先輩を名前呼びしたわけで…ってなると、黛先輩が言わんとすることは…


「分かりましたよ黛先輩!」


「…何よ急に」


「つまり黛先輩はこう言いたいわけですね?私も名前で呼びなさい、と!」


「…は?」


全ての点と点が線で繋がった。黛先輩が僕に猫のような威嚇をするようになったのは、僕と杏先輩の仲がそれなりに縮まってからだ。きっと黛先輩はその事実に…劣等感を抱いてしまったのだろう!杏はこんなに薬師丸と仲良くなったのに、どうして私は…と!


なんだよ、可愛いところあるじゃないか!ようは彼女も僕と親密な関係になりたいわけだ!けれど黛先輩ってツンツンしてるし、きっと本音を言えずにああした態度を取っているわけだ!


「…薬師丸」


「なんですか黛先輩…いえ、柚木先輩!」


「その不愉快な呼び方はやめなさい。名前呼びは杏以外許していないわ」


「またまたぁ、ヘイ柚木先輩っ!かもん!」


「それ以上続けるようなら…」


「どうするんですか柚木先輩っ!」


「…あなたが私のスカートの中を覗いたことを常盤に報告するわ」


「冗談ですよ黛先輩。ね、黛先輩!いや〜めっちゃ黛先輩!」


…1つ訂正させてもらいたいんだけど、覗いたんじゃなく覗かされた、です。まぁ言っても聞かんだろうけど。


「…それと。杏の1番の理解者は私だから」


「そりゃそうでしょうよ」


何を当たり前のことを、と返すと、満足したように絵本『泣いた赤鬼』を読み出す黛先輩。…本当によく分からない、この人は。


「すみません遅刻しました」


「んぉ?おつかれ〜沙良ちゃん」


「はい、お疲れ様です」


暫しして、最後の部員である沙良がやってくる。…そういえばどうして沙良は遅れてきたんだろう?いつのまにか教室からいなくなってたけど…


「あ、大志。明日の数学の授業、もしかしたら抜き打ち小テストがあるかもって」


「え、マジ?どこ情報?」


「隣のクラスの子。今やってる章が終わったらテスト受けさせられたって。私たちのクラスも次の授業で区切りつくだろうしそろそろかなって。点数悪いと追加課題あるらしいよ」


「うわぁ…勉強しとかないとなぁ」


「教えてあげよっか?」


「救世主?」


「うん。大志の、大志だけの救世主です」


部室に来ると普段通り話してくれるんだよな、沙良。やっぱりどこか人の目を気にしていて、部室内だと他の目が無いから安心して…ってことなのかな。


「はいっ!数学のお勉強もいいけど、今は部活動の時間!早速やるよ〜、死の体験!」


コーラを一気に飲み干した杏先輩が、部活動開始を告げる。いつもの流れだ。僕の頭はしっかりと死の体験に切り替わっていて。…どんどん毒されていくなぁ、僕。


ま、何事も全力にやってみるもんだ。もしかすると新たな気づきがあるかもしれないし。乗り気ではないけど、きちんと部員として参加してあげますか。


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