第29話 聖なる王子の半生


 ◆ ◆ ◆


 ディミトリの人生は、ずっと檻の中で待っているだけのものだった。


 バギール公国の第四王子。彼は男児ながらにして『聖女』の才能スキルを《聖なる口吻セイント・キス》を所持していた。その名の通り、口吻した対象に祈り通りの加護を授けるというもの。千年前に同才能スキルを所持していた大聖女は、まさに神の化身と称されていたという。


 彼女が『死ぬな』と命じれば、身体にどれだけの穴を開けられようとも死ぬことが出来ず。『老いるな』と命じれば顔にシワひとつ作ることなく、永遠に歴史を目に焼き付ける。そんな人智を超えた奇跡に、聖地の民草は希望を見出し、また敵地に絶望を撒き散らしてきたというのが、多くの世界史書に綴られているエピソードだ。


 ここまでにないにしろ、同じ《聖なる口吻セイント・キス》の才能スキルを持つ者は聖女として、代々歴史的、政治的に大きな影響を及ぼしてきたのだが――ここ数十年、バギール公国のみならず、近隣諸国に『聖女』の才能スキルが開花されたという報告はなかった。


 そのため、彼の才能スキル開花に国中が歓喜して――蝶よ花よと、その王子は宮殿内に軟禁されることとなった。なぜなら、彼に大事があれば国の大きな損失となるから。奇跡はその時が来るまで、大切に宝箱の中にしまっておくに限る。


 そのため、奇跡の御子こそ、第四王子であるディミトリ=スヴェン=バギールは宮殿内に軟禁されるように保護されていた。外に出る時は年に一度、王家の全員が民草の前に顔を出す大聖祭の時だけ。

 バギール公国は近隣諸国の中でも比較的宗教的思想が強い国。そのため歴史の中の救世主『聖女』を大切にしており――そのイメージを守るため、ディミトリは女の格好をさせられる始末。


 ――ぼくは……いや、俺は男なのに……!


 たとえどんなに本人の意に反した格好であろうとも、元からの愛らしい風貌から女装と疑われることもなく。


 だけど、それはただ女々しいからだけではないことに、自分も気がついていた。

 ディミトリはただ、呼ばれるのを待つだけだから。

 たとえ流行病に民草が苦しんでいることに、心配していようとも。内紛や戦争が起こり、巻き込まれた人たちの身を案じていようとも。


 ディミトリは狭い世界で、ただ報告を受けるのを待っているだけ。自分の意思で何かをしたくても、ただ乞われるのを待っているだけ。


 だから、いくらお祭りで『聖女様』と歓喜の声をあげられようとも――彼は一度も上手く笑えたことはなかった。




 ようやく外で男の格好をできるようになったのは、婚約が決まった十五歳の時だった。


『ディミトリ、おまえはシェノン王国に嫁ぐことになった』

『え?』


 これでも王族だ。好きな人と結婚……なんて恋物語の主人公になれるとは思ってもいなかったし、興味もなかったけれど。それでも、まさか――


『おまえは賠償金の代わりに、第三王女の婿になることになった。あやつらめ、端からおまえが狙いだったとは。とてもじゃない額を要求しやがって……良いか、絶対に王国の人には逆らうんじゃないぞ――おまえはいわば人質なんだから』


 ――人質、か……。

 祖国と隣国が激しい戦争をしていることは知っていた。だけど、宮殿から一歩も出れないディミトリにとっては、どこか他人事のようで。世俗に汚れないために、外からの情報も極力遮断されていたから……なんて、無知の言い訳にしかならないのだろうけど。


 ただ、どこかで溢れ聞いたのは、相手のシェノン王国では嫡男に恵まれず、御子は娘が三人という。もしも三人兄弟だった場合は、このように上手く話が纏まらなかった可能性が高かったそうだ。


『あぁ、おまえが男で本当に良かった』


 ――大切だった『聖女』をこんな簡単に手放すんだね。

 思想より、金。その現金さが早い終戦をもたらし、人の命に繋がるのなら、それは王族として悪い選択肢ではないのだろうけど。


 だけど男として初めて外に出た時、空は晴れ晴れと広くて。

 嫌味なまでに綺麗な空の青さに、ディミトリはなぜか泣きたくなった。




 それから、生贄とした生活が始まったけど――それは神殿内に居たより、とても心地よい生活だった。


『あなた。わたくしの婚約者なら、いつまでもそんな陰鬱とした顔は許さなくてよ』


 自己紹介の後にいきなりそう言い放った婚約者アイーシャ=デゼル=シェノン第三王女の厚意で、学園内でディミトリのある程度の自由が保証された。


 たとえ生贄でも、シェノン王族に名を連ねるのだから、と。勉学や武芸に秀でることを強要されたのだが――学園内で他の者と共に講義を聞き、訓練を重ねる。たとえ周りからの目は厳しいものだとしても、そんな新しい生活は綺麗事だけに囲まれた檻の中の生活より、何倍も眩しくて。早起きしては訓練に勤しみ、夜遅くまで勉学に励む。そんな努力の毎日は彼にとってとても楽しいものだった。 


 だけどその間に、もちろん『公務』も求められる。


『この使者は我らシェノンの民のために、一晩で峠を越えなければならない――わかるな?』

『はい……』


 ディミトリは絨毯の上に跪き、その『使者』が差し出した靴に接吻する。


 ――一晩で峠を越え、無事に帰って来れますように。

 その祈りのおかげで、その密書は無事に翌日、目的地まで届けられたという。それに、多くの人が大喜びだ。当然だろう。これからはどんな『奇跡』も思いのままなのだから。


 そんな『公務』は、それこそ毎日続く。次第に、授業の時間もそっちのけになって――



 

 そんなある日の報告会の片隅で。

 ディミトリがその日も暗い顔をしていたら、『気に食わないですわっ』という甲高い声が響いた。


『わたくしの婚約者の奇跡を、そんなくだらないことで使わないで貰えます? これからはわたくしの許可を取ってからにしてちょうだいっ』


 如何に第三王女とて、そんなわがままは許されない――と重鎮らは抗議したらしいが、そこは国王一番の愛娘。仮にも自分の伴侶が軽々しく他の者に口吻するのは耐えられないと泣きついたことで、ディミトリの『公務』の回数は予定より激減することに。


 それに感謝を述べたところ、アイーシャは言った。


『わたくしが嫌だから嫌と言っただけよ。あなたに感謝される筋合いはないわ』


 それでも……


貴族の義務ノブレス・オブリージュを知らないとは言わせない。持つべき者こそ与える――わたくしはそれをしているに過ぎないの。だから……あなたがわたくしの伴侶として相応しくなるまで、黙ってわたくしに守られてなさい』


 ――持つべき者こそ……。

 その高貴なる考えに、ディミトリは驚き、感動して、そして愕然とする。


 ――俺は、何も持ってないんだ……。


 教本の中だけとしか思ってなかった矜持だ。それを堂々と口にする王女は、とても気高くて。カッコよくて。それに比べて、自分はなんて情けないことか。


『でも、それじゃあ納得してくれないというのなら……一つお願いしてもいいかしら?』


 それでも、途端頬を赤らめる彼女は、間違いなく同い年の少女のものだった。


『これからは婚約者らしく“ミーチェ”と愛称で呼んでも宜しくて?』


 そんな年頃の可愛らしいギャップに――ディミトリは余計、己が惨めに思えて。




 しかし『公務』が減った一方で――低俗な嫌がらせが増えていった。

 せっかく戦争に勝ったのに、得たのはほんのわずかな賠償金だけ。一番欲しかった『奇跡』は使えない――これならば、戦争で稼いでいた方が景気が良かった、と。


 再び戦争を起こすために、どうするか――その答えは簡単だった。

 和平の象徴として嫁いできた生贄王子を殺してしまえばいい。




 ――あぁ、男らしくなりたい。


 男らしくありたいのに。常に命を狙われ、誰かに守られる。

 守られるのではなく、守りたいのに。

 自分から進んで、誰かを守れるような男になりたい。


 ――同い年の王女があんなにカッコいいのに、俺は……。


 そんな折、また自分は守られてしまった。今度はメイド服を着た、無表情な女の子だ。




 彼女は自分と同い年だという。無表情で、だけど何でも出来て。

 でも愛刀を包丁と言い張ったり。その名前が『トウフ・ギリ・ゴエモン』だったり。真面目な顔で自分のシャツにうさぎのアップリケをつけようとしてきたり。挙げ句に、メイドは破廉恥だから自分は家政婦だと言い張ってきたり。


 淡々とずれたことばかり言う女の子が、とても面白くて。

 彼女には『久しぶり』と言ったけど、実はこんなに笑ったのは、生まれて初めてで。


 ――少しだけ、本当に少しだけ。

 人生の息抜きのような気持ちで、彼女と過ごした四日間。


 ずっと無表情だった彼女の顔が動いた時は、小屋が炎に包まれた時だった。


 ――己の不遇な境遇を話した時も、眉ひとつ動かさなかったのに。


 そして助け出した写真を抱えて、うずくまってしまって。


 家が燃えたことでもなく。自分の命が助かったことでもなく。

 たった一枚の写真が無事だったことに安堵して、彼女は子供のように丸まって泣いていた。その細く、薄い背中を撫でようとして――ディミトリの手は止まる。


 ――俺に、そんな価値なんてあるのか?

 ――俺が、彼女にしてあげられることって?


 だけど、どうしても願ってしまうから。

 彼女を笑わせてあげたい。

 彼女を幸せにしてあげたい。

 彼女を俺が守ってあげたい。


『まいったな……』


 こんなにも弱く、挙げ句に婚約者までいる自分では、泣きじゃくる彼女に声をかける権利すらなくて――

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