第28話 コジマさんは口下手だけど


 繁華街も外れの――俗にいう裏町。道はきちんと舗装されているものの、路地の奥には酒場のような店構えがチラホラ見受けられる。学生のための街であるはずなのに。


 その奥からの喧騒に横目を向けつつ、コジマさんは短く御者台から動こうとしないオスカルに訊く。


「アイーシャ殿下の身の保証は?」

「僕の、命に懸けて……」

「わかりました」


 絞り出したような悲痛な声音に、駆け出したコジマさんは振り返らなかった。

 路地裏に飛び込めば、喧騒はすぐに発見できた。さらに角を曲がった先の店先で、入るか入らないか揉めている少年とごろつき風の男が三人。二人に羽交い締めにされている少年は、それでも尚足をばたつかせて一人の鳩尾を蹴り飛ばしていた。


「やめろ! 自分じゃ言いたくないけど……俺に何かあれば国際問題だ! 和平なんてあっという間に崩れるぞ⁉」

「それが狙いなんだから問題ねぇだろ、生贄さ――」


 ごろつきが嫌味ったらしく少年――ディミトリに顔を近づけるより早く。

 ばこーーーーんっ、と。


 ごろつきの頭にコジマさんが振り下ろしたフライパンの底が直撃していた。もちろん、泡を拭いて倒れるごろつき①。②と③は突然現れた前髪の短い令嬢に目を丸くするが、すぐさまばこーーんっとフライパンに撃沈される。


「ご無事ですか、殿下」


 フライパンを肩で担いだ令嬢こと、コジマさんは当然息の一つも切らしていない。

 代わりに路地裏に響いたのは、我に返ったディミトリの笑い声だった。顔が火照っており、笑い方もいつもより緩い。


「ふふ……あははっ。そのフライパン見たことある気がする。料理の時に使ってたやつ?」

「そうです。名前はフライパンナちゃん。深めのフォルムが万能です」

「女の子なんだね?」

「包丁以外みんな女性ですね」

「ゴエモン、ハーレムじゃん」


 そんな軽口を吐きながらも、ディミトリの表情は途端暗くなり。

 笑っているのに、とても悲しげだった。その目が涙ぐむほど。


「はは……ごめんね。また助けられちゃった。なんか俺、立てなくて。ほんと情けない――」

「あなたは立派です」


 ――何か盛られてるようね。

 酒か、最悪『心を殺す』類の薬か。自分で立てないという申告と情緒不安定な様子からそう判断しつつ――そんな彼が吐いた弱音を、コジマさんは即座に否定する。


「実技の授業でも、いつも優判定ですよね。対戦授業でも、たいてい白星を修めているじゃないですか」

「そんなの……コジマさんやアイーシャだってそうでしょ」

「毎朝早起きして、剣の稽古をしてますよね。私よりも早起きする人、初めて見ました」


 コジマさんは毎朝五時起きているものの、その時はいつも庭ですでに剣の素振りをしている。その光景を学園に来てから……あの小屋にいた時から、彼女は見てきた。


 だけど、彼は肩を落として否定するのだ。


「そんなの……誰だってやろうと思えばできるよ」

「できませんよ」


 無表情だからこそ。淡々と抑揚なく話すからこそ。

 短い前髪の下で、色違いの瞳が真面目に彼を見下ろしているからこそ。

 ときに、伝わることもある。


「あなたが、何を求めているかは存じませんが……努力は誰にでもできるものじゃありません。ときに、報われないことだってあるかもしれない。全てが徒労に終わることもあるかもしれない。だけど……あなたは立派です。私は、あなたのことを尊敬してやみません」


 ――こんな時ばかりは、自分の口下手を呪いたくなるわね。


 そんなコジマさんのまっすぐな本心がどれだけ彼の胸に響いたか、彼女だけが知る由がなかったとしても。ディミトリの緩めた頬に、コジマさん自身も内心胸を撫で下ろす。


「はは……コジマさんに敵うことなんて、何もないんだけどなぁ……」


 そして、彼もまっすぐにコジマさんを見上げた。


「ねぇ、コジマさん」


 その綺麗な双眸は、ゆるく弧を描いていて。


「俺ね、男らしくなりたいんだ……守られるだけじゃない。男らしく、大切な人を守れるように」


 少しだけ声を震わせながら、だけど端的な言葉で訊いてくる。


「こんな俺でも……なれるかな?」

「なれますよ」

「ふふ……じゃあ、いつかちゃんと――」


 けれど、だんだんと言葉尻が細くなり。彼は遊び疲れた子供のように、ぱったりと目を閉じる。そっと屈んだコジマさんが口元に手を当てると、たしかにしっとりとした息遣いがその手を濡らした。そのまま首元に触れて脈を測れば、少し早いくらい。体温は少し熱いが……それはやはり、酒に溺れた様に似ている。口から吐かれた息の独特な匂いは、コジマさんの知るものだ。


 ――おそらく酒で大丈夫そうね。

 未成年である彼が自ら酒を煽ったとは考えにくい。無理やり飲まされ、怪しげな店に連れ込まれ――その後どんな目に遭わされる予定だったのか。想像してから、安堵の息を吐く。この程度で済んでよかった。


 そう、眠ってしまった彼をギュッと抱きしめると。酒場らしき店の扉がバンッと開かれる。飛び出してくるのは、先程のごろつきと似たような風貌の輩がざっと十数名。


「よぉ、お嬢ちゃん。その坊っちゃん、ちょっくら貸してくれねぇか?」

「お断りします」


 コジマさんはディミトリをそっと下ろし、ずっしりとしたフライパンを片手でくるりと回す。そして細い息を漏らす主人を見下ろして一言。


「帰りに横抱きでお運びしたら怒られるでしょうか」

「帰りの心配なんかしてんじゃねええええ‼」


 路地裏に、ばこばことした幾激の打音が響き渡る。




 乱闘しながらも、この程度。他の考え事をしている余裕はあるコジマさん。


『――コジマさんのことも、俺が守ってあげるから』


 そんな眠る直前に紡がれた言葉に、コジマさんは小さく微笑んで。


「はい……期待してます」


 ――そのためにも、早く帰らないと。

 そんな家政婦は主人のため、容赦なくフライパンを振り下ろす。

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