第27話 そこに猫はいなかった。


「素敵なドレスが見つかってよかったわね!」

「はあ……」


 そして、あっという間に日が暮れようとしていた。

 ドレス選びに、二時間以上。アイーシャはなぜかディミトリに「当日までのお楽しみですわっ!」と店内に入ることを許さず。


 ――男子禁制の場所ではないと思うんだけど。

 一人カフェに逆戻りし、延々と待ちぼうけをしていた彼を迎えに行った時、彼がいるはずの席には別人がいた。彼はアイーシャを見るやいなや席を立ち、仰々しいお辞儀ボウアンドスクレープをしてくる。


「お待ちしておりました、アイーシャ殿下。父ジョセフに代わり、このオスカル=リーチが貴女様をお迎えに参りました」


 赤毛を稀代の音楽家らしく纏めている彼がにこやかに顔を上げるものの。アイーシャは嘆息するだけ。


「護衛は要らないって言ったのに、ジョセフったら……」


 ――まぁ、さすがにそういうわけにはいかないでしょう。

 学園の敷地内とはいえ、小国程度の敷地面積を持つシェノリア諸島。その繁華街を王女と隣国の王子が護衛もなしに散策すること自体が間違っている。本人らとしたら「休日くらい誰の目もなく息抜きを」と言いたいのだろうが――そうは問屋がおろさないだろう。


 ――現に、ずっとこのオスカルさんが着いてきてましたしね。

 本当に優秀なのだろう。尾行していた時は、今とはまるで違う地味な風貌を徹底し、常にアイーシャらの邪魔をしないよう、街のモブに徹していた。コジマさんは気が付いていたが、二人は本当に気づいていなかった様子だ。


 だけどアイーシャは、その気遣いに不満を隠そうともしない。


「そんなことより、ミーチェはどうしたの?」

「ディミトリ殿下は先にお戻りになっております。アイーシャ殿下も、そろそろお戻りを――それと、コジマ嬢・・・・

「私……ですか?」


 慣れない呼称にコジマさんが首を傾げれば、オスカルは「貴様以外いないだろう」と言わんばかりの険しい目を向けた後、再び従者の顔で頭を下げてくる。


「レティーツァ殿下――アイーシャ殿下の姉殿下が、コジマ嬢をお呼びでございます。ぜひ、ご同行を」


 それにコジマさんがアイーシャに目を向ければ。彼女は珍しく頭を抱えて「はあ」と嘆息した。

「コジマさん……わたくしからもお願いできるかしら? 姉上はちょっと面倒くさい人なの」




 レティーツァ=エーデル=シェノン第二王女。彼女はアイーシャと腹違いの姉だという。年は一つ上の十八歳。高等部三年生で、シェノリア学園の生徒会長を勤めているという。


 コジマさんはオスカルに案内された馬車に揺られながら、アイーシャから説明を受ける。御者はオスカルが務めているから、馬車の中は二人だけだ。


「姉上は俗にいう側室の子ってやつでね。まぁ、ありたいていに言えば、正妃の娘であるわたくしを目の敵にしているわけよ」


 シェノン王国に王子はいない。国王の子として生まれたのは三人の王女だけ。

 長女であるカティーナ=ミデン=シェノンは第三妃の子。彼女は学園を卒業するやいなや、女だてらに世界各地に留学し財政について勉強しているという。本人の強い意向で女王になるのではなく、政務官になりたいんだそうだ。国王も側室の子であるということから、その要望を呑んでいる。すでにシェノン国内の公爵家の次男と婚姻も結んであり、夫婦で留学しているそうだ。


「カティーナ姉上は昔からとても賢くってね。下手に王座に固執したら、母ミゼル様のように暗殺されると読んだんでしょう。現に、今も留学先で楽しく勉強しているそうだわ」


 たまにお手紙くれますの、と語るアイーシャの顔は明るい。姉妹仲が良いことが容易に伺えるものの……次の話題に、その表情は曇る。


「それで第二側室の娘であるレティーツァ姉上だけど……女王の座に固執していてねぇ。わたくしも何度命を狙われたことか」

「そんなあっさりと……」

「まぁ、わたくしには神々の雷槌トールハンマーがありましたから」


 ふふん、と鼻を鳴らすのはひとときだけ。現実は、力技だけで潜り抜けられないことの方が多いから。


「小さい頃から、そこらの刺客など返り討ちにしてきましたし。わたくしに膝を付かせたのって、それこそあなたくらいよ?」


 ――まぁ、そこんじょそこらの刺客じゃ手に負えないでしょうね。

 それこそ寝ている隙をつかれたり、毒物を用いられたりと……残念ながらこの世の中、人を殺す手段は数え切れないほどある。


「まぁ……わたくしの代わりに、多くの侍女や護衛を失ってきましたけれど」


 その困難を生き抜くために払られた犠牲の上で。

 求めるものを、コジマさんは訊く。


「それでも、女王の座にこだわるんですか?」

「あなたにしては訊くじゃない?」


 ――らしくない……。

 自分でもそう思う。

 だけど、コジマさんはアイスブルーとラベンダーのオッドアイを細めた。


「奇抜な前髪にされてしまったので」


 それでも、もう外は太陽も眠ろうとしている頃なのに。彼女の視界を何も遮ってくれるものは、なくなってしまったのだから。嫌でも、目を背けてきたものが目に入るというもの。


 それに、アイーシャは「結構似合ってるわよ」と笑ってから。まっすぐ、コジマさんに視線を向けてくる。


「なるわ。だってそれを父上も望んでいるし……それにミーチェのこともあるから」

「ディミトリ殿下?」


 コジマさんの疑問符に、アイーシャがこくりと頷いた。


「わたくしが女王になれば、生贄が嫁いできた理由とはいえ、彼も確固たる地位を手に入れるわ。女王の王配……そうなれば、誰も彼を邪険にはできないでしょう?」


 そして、彼女は一呼吸おいて。


「わたくし、彼のことが好きなの」


 コジマさんの胸がとくりと跳ねる。だけど、彼女は語り続ける。


「そりゃあ、始めは政略結婚よ。レティーツァ姉上が生贄を婿にするなんて絶対に嫌とおっしゃるから、じゃあわたくしがって……。でも、わたくしは彼の人柄に惚れたの。人懐っこくて、誰にでも優しくて……ちょっと知らない間に女を口説いていることもあるから始末に負えないけど……それでも、わたくしは彼ほどに優しい人物を他に知らないわ。聖女の才能スキルも納得の人格者になるはずよ。敗戦国の生贄で終わるなんて勿体ない……わたくしは彼にもっと広い世界で生きてもらいたいの」


 もちろん彼の見た目も好きよ、とアイーシャははにかんで。


 ――広い世界?

 それらの言葉は耳に入ったはずなのに、頭が全然理解してくれなかった。

 ただ頭に残ったのは『広い世界』という言葉。

 それは昔、あのひと・・・・にも言われたことで――


「ともあれ、よ。レティーツァ姉上からの呼び出しなんて、ろくな試しがないから。コジマさんも姉上には警戒して――」


 その時、がたんと馬車が大きく揺れる。前からは「すみません! 猫の集団が道を塞いでいて……」という戸惑いの声が飛んでくる。


 存外可愛らしいトラブルに、二人は顔を見合わせて苦笑した。


「見てまいります」

「ふふっ、お願い」


 ――猫の集団とは?


 まるで笑ってしまう理由だが、道を塞ぐほどの集まりなら追い払うのに手間取るだろう。悪戯でまたたびでも撒かれたなら、掃除の必要もあろう。


 ――ちょっと見たいわね。

 なんやかんや、可愛いものが好きなコジマさん。邪な気持ちを持ちつつも、手伝いをしようと馬車を出るも――猫の姿など、一匹も見当たらず。


 鳴き声の代わりに路地裏から聞こえるのは、男たちの喧騒。

 御者台にはオスカルが前を見据えたまま座ったまま。コジマさんでなければ聞き取れないほど小さな声で、たしかにこう呟いた。


「――助けてくれ」

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