第26話 コジマさんの新しい世界


 ◇


 それは、社交界に全くの興味のない彼女にとって、他と同じパーティだった。

 ただいつもと違う点といえば、隣に婚約者がいるということ。


『君はこういう場所が…………あまり好きではなさそうだな』


 特に何を言ったわけではないが、ただ無言で見上げただけで察してくれた彼は、困ったような顔をで肩を竦めた。


『残念ながら、俺も苦手なんだ』


 まだ社交界デビューデビュタントを済ませたばかりだったコジマさんだが、すでに五件のパーティに参加させられていた。本人の意思に関わらず、お家が結構有名だったため、紹介状だけはひっきりなしに届くのである。特に兄弟の中でも唯一の女児であった彼女には、デビュタント前から一際多くの参加申し込みが届いていた。


 それが嫌だったのも相まって、この婚約者コジマさんにとっても悪くない話だったのだが――どうしても断れない誘いというのもあるのである。


 これがその一つ、王族の姫の社交界デビューデビュタントだった。王族からの呼び出しに断れる辺境伯家などいるわけもなく。ちょうど婚約の報告もまだだったからと、コジマさんの挨拶を兼ねることになったのである。……実際に挨拶するかはさておいて。


『それじゃあ、俺と一緒に隅っこでいいか?』


 どんなに賑やかな場所であろうとも、人気のない場所を探すのは即ち、戦場で敵の死角を探すのと同義……というわけではないが、技術の応用は効くわけで。挨拶をよそに、二人はらくらくと陰になっていたバルコニーに出る。


 姫のお祝いに相応しい、星の綺麗な夜だった。遠目で見ただけだが、年相応に愛らしい姫様だった。幻氷の令嬢ミラージュ・レディなんて二つ名を持つ彼女とは違って、とても――


 それなのに、一息吐いた大柄の婚約者はふと振り返って、ジッとコジマさんの顔を見てくる。


『……なんですか?』


 コジマさんが尋ねれば、彼は『いや……』と頭を掻いた。


『君はそんな顔をしていたんだね……』

『……愛想が足りず申し訳ございません』

『違う、違うから‼』


 慌てて否定してきた婚約者は、視線を逸しながら言った。


『今日はお化粧、してるから。アイスブルーの瞳が、まるでアイスキャンディみたいだなって』


 ――これは、どういう意味なのだろう?

 たしかに普段は化粧をしていない自分が、今日はパーティだからと無理やり化粧をさせられた。でも、だからといって瞳の色なんていつでも変わらないし、褒めるにしろ、例えるなら『宝石』とか、もっとあると思うところ。


 それでも、未だモジモジとしている無骨な戦士獅子剣王ライオンハートが、着飾った自分に気を利かせてくれているようだから。


『ヴァタル様のラベンダーの瞳も美味しそうですね。今度そちらの色のアイスを作ってみましょうか?』

『で、できるのか⁉』

『えぇ。でもとりあえず氷を調達しないと……まずは、北部の氷山地帯まで飛んでいくための飛竜調達からですね』

『無論、俺も手伝おう。飛竜を倒したことはないのだが、弱点はなんだ?』

『弱点など気にしなくても、脳天を割れない程度に叩けば何も……』


 ――私たちはパーティ会場で何を話しているのだろう。

 そう我に返ったのは、同時だった。ぷっと吹き出したが、最後。震え出す腹筋を止めるのは至難の業。そうして二人で声をあげて笑っていると、『ようやく主役に挨拶もしない不届き者を見つけましたわよ!』と本日の主役に見つかってしまい――二人は一緒に『すみませんでした』と頭を下げたのであった。


 ◇


「そういや、二人は昔から面識があるの?」


 その後、喉が乾いたというアイーシャの要望で(そりゃあ、ずっとあれだけ騒いでいたらそうだろう)カフェに入った三人。


 ディミトリはアイスコーヒーを飲みながら首を傾げる。それに、答えたのはピンクの冷たいハーブティを飲んでいたアイーシャだ。


「えぇ、一度だけ……わたくしの社交界デビューデビュタントの時ですわ」


 彼女は語る。自分の誕生日を祝うため、病気がちの当主に代わり嫡男のヴァタル=アスランがお祝いに来たという。その時に最近婚約をしたという、少し前に社交界デビューデビュタントを済ましたばかりの少女を紹介された、と。それが、まだ『幻氷の令嬢ミラージュ・レディ』と呼ばれていた頃のコジマさんだ。


「ねぇ、やっぱりあの時はオッドアイじゃなかったと思うのだけど……どうしたの?」

「……あまり言いたくありません。引かれると思いますので」

「引かないわよ、わたくしたちは友達ですもの」


 ――それはあなたが一方的に決めたことでしょう?


 そんな意地悪を言ってやりたくなるものの――そんなこと言ってしまえば、このお姫様の心を、本気で傷つけてしまうような気がするから。


 ――嫌では……なかったのよね。

 自分が本当に少しだけ小細工したタコさんウインナーに、あんなに喜んでくれて。今日だって、自分のためにあーでもないこーでもないと奮闘してくれている、お姫様……いや、一人の女の子に。


 もう、自分の表情かおを隠してくれる前髪はない。

 コジマさんは意を決して、口を動かす。


「ヴァタル様のご遺体と……片目を交換いたしました」


 その、言葉に。

 アイーシャは即座に店員らに「人払いを」と命じる。

 客と店員、全員が捌けてから――一番に口を開いたのは、ディミトリだった。


「それ……親族の人は知ってるの?」


 辛うじて絞り出しただろうディミトリの質問に、コジマさんは頷く。


「……はい。すぐにバレました……が、元より禁術に値する技法でしたので。戻すために再び目を抉るのも私の命が危ない、と……」

「浅はかですわね」


 言葉の一つ一つが重い、そんなコジマさんを、アイーシャは嘆息一つで一蹴する。


「それ、相手の才能スキルを継承するのを主目的とした禁術だったかしら……愚かですわ。たしかあれ、才能スキルは継承できても、視力は失うんじゃなくて?」

「はい。どのみち片目のみなので、才能スキル継承どころか……交換した方の視力もありません」

「ミーチェ。あなたの才能スキルでどうにかすることはできなくて? 片目が見えないのは不便だわ」

「え?」


 ――どうして……?

 話の展開がわからない。

 これは、間違いなく「気持ち悪い」と軽蔑されるべき話なのに。


 だって、実際にアスラン家の義母レベッカ次男坊ザナールにそう言われたのだ。幼い三男坊キールは、よくわかってなかったようだけど。


 それなのに、ディミトリは真面目な顔で腕を組む。


「そうだなぁ……すぐだったらどうとでもなったと思うんだけど、もう二年も前の話だよね? そんなに時間が経っちゃうと……元婚約者さんの才能スキル継承はまず無理だろうな。視力の回復だけなら……うーん、でもやってみないとわからないや」

「じゃあ、やってみなさいよ」

「そーだね」


 あっさりとしたアイーシャの提案に、ディミトリもあっさりと頷いて。


 ――待って?

 ――待って待って待って?


 コジマさんは困惑する。どうしてこんな流れになった? 自分の視力? そんなもの、今更だ。片眼の生活はもう慣れた。完璧な家政婦業は見てきたでしょ? 何も支障はなかったでしょ? だって頑張ったもの。それを不便だと嘆いたら――まるで最愛のひとヴァタル様の存在が足枷になっているみたいだから。ただ、自分は己の最期まで、彼に添い遂げようとしただけ。彼と、ひとつになりたかっただけ。


 だけど、椅子を立ったディミトリは止まらないから。


「それじゃあ、まぶたにキスさせてもらうね」


 押しのけようにも――コジマさんの手に力が入らなかった。

 ただ反射的に目を閉じようとする前に見えたのは――頬杖ついたアイーシャの複雑そうにむくれた顔。きっと、大好きな婚約者が他の女にキスしている光景は、自分が言い出しこととはいえ嫌なのだろう。それでも、彼女は不満を口にせず。


 ディミトリの唇が、コジマさんのまぶたに触れる。

 目を閉じているのに――とても眩しかった。本当に、泣きたくなるくらい。エメラルドグリーンの光はただただ温かくて。


 その光が収まって、固い指先がまぶたを優しく撫でてくる。


「どう……かな?」


 コジマさんが目を開けると、世界がとても明るかった。

 空は青く、木には鳥が二羽止まっている。番だろうか。アイーシャの飲みかけのハーブティの色はまさに彼女の好きそうなローズ色。調査した中で彼女が好きだと、友人らが口を揃えて言っていた。


 それらは、今まで片目でもきちんと見えていたはずなのに。


「見えます……」


 両目で見る世界は、なんて色鮮やかなんだろう。

 目の前で微笑む同い年の少年は、なんて優しい顔をしているのだろう。


 まるで奇跡だ。

 ずっと自分はひとりで、彼とだけ一緒にいるつもりだったのに。


「とても……よく見えます……」

「うん。よかったね」


 ――こんな感情……もう私が抱くことはないと思っていたのに。


 顔を手で覆って、溢れ出そうな感情を押し殺していると。指の隙間から、アイーシャがふてくされたような素振りをしながらも小さく苦笑していて。

そんな彼女が「さて」と立ち上がる。


「さぁ、次のお店に行くわよ! むしろ次がメインなんだから!」

「え、あの……どこへ?」


 アイーシャは容赦なくコジマさんの手を引いて。整髪店でも思ったが、このお姫様は握力が強い。年相応の満面の笑みは、とても愛らしいくせに。


「ドレスを仕立てなくちゃ。どうせあなた、来週のダンスパーティーのドレス、用意してないんでしょう?」


 後ろでは、今度はディミトリが店員らに「お騒がせしました」と頭を下げていて。謝罪するのは家政婦……使用人である自分の役目のはずなのに。これじゃあ、家政婦失格だ。


 それでも――彼らに連れ出された世界は、とても眩しい。

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