第6話 コジマさんは根に持つタイプである。

「え?」


 コジマさんが一瞬で鶏肉を斬り裂いた光景に、ディミトリが疑問符をあげた次の瞬間には、再びコジマさんが野菜を次々と上に投げていて。鍋の中に落ちた時には、ぽちゃぽちゃと全て一口大。銀色の線が狭いキッチンを縦横無尽に駆け巡ったのは、一分にも満たない時間だろう。


「すみません。いつもより手間取ってしまいました」


 気の乱れは腕の乱れ――精進せねば。

 亡き祖母に侘びを入れつつ、コジマさんは再び「またつまらないものを斬ってしまいました」と剣を鞘に納める。


 コジマさんが再びどこからともなく取り出したお玉で灰汁あくを掬いだした時、ようやくディミトリが口を開いた。


「それ……コジマさんの才能スキルですか?」

「あ、そうですね。好きな家事道具を取り出せる才能スキルを所持しております」

「さっきの……東方のカタナって剣ですよね?」

「いえ、包丁ですよ」


 コジマさんは即座に否定するが、あれは紛れもなく『カタナ』と呼ばれる長剣の一種である。祖母からの大切な形見だ。それはコジマさんもわかっているも、『包丁』としておかないとさすがに料理に使えないので、包丁と言い張っている。昔『台所で武器を振るな』と馬鹿当主ザナールに叱られたことがあるのだ。


 ――だけど、これよりよく斬れる『包丁』なんてそうそうありませんからね。


 灰汁を取り除き終え、米を入れる。そんなコジマさんに、気を持ち直したディミトリが言った。


「さすがメイドさん――」

「家政婦です」


 コジマさんはメイドではない。住居を別に持つ家政婦である。


 ――メイドなんて破廉恥な。


 コジマさんは結構根に持つタイプである。馬鹿当主兼元婚約者ザナール=アスランにああまで言われたのだ。絶対にメイドにだけはなってたまるか。似非家政婦の自分とは違い、世の本物のメイドさん達には尊敬の念しか抱かないが、それとこれとは別問題。


 それこそ無駄な持論を元に、コジマさんなりの家政婦へのプライドを先程より早く誇示すると、ディミトリが一瞬黙る。


「お疲れだと思うので、ベッドで――」


 休んでいてください、とコジマさんが言おうとした時、今度はディミトリが言葉を遮ってきた。


「あのイヌさんは……放し飼いなんですか?」


 イヌさんとは、もちろん今も窓の外で「はふはふ」している犬のことだろう。


 ――そういえば餌の大義名分がありましたね。


 と、思い出したコジマさんは、窓に向かって手近の未処理の鳥を投げる。すると、犬は嬉しそうに「わふ~んっ」とわんわんドシドシ走っていった。


 コジマさんはいつも通り淡々と述べる。


「本当はこの小屋も彼の犬小屋だったんです。だけど、どうも大きくなりすぎてしまって。今はそのお下がりを、こうして私が使わせていただいております」

「あれは……本当に犬、なんですか? ドラゴンではなく?」


 ドラゴンとは、飛竜と呼ばれる空を飛ぶ巨大な獣の呼称ではない。元は神の使いとも謂われ、人が決して届かぬ叡智や技能を所持する未知なる生物の総称を『ドラゴン』と呼ぶ。

 なので、巨大なもふもふ犬も一般的には存在が知られてない以上、ドラゴンの一種なのではというディミトリの思考はおかしくないのだが――コジマさんはそれを否定した。


「始めは普通にこのくらいだったんですよ。私はただ、栄養バランスの良い食事と適度な運動を心がけていたら、だんだん大きくなっただけでして……」


 このくらい、とコジマさんが手で示したのは幼児が戯れるようなボールサイズ。

 それと、窓の外で美味しそうに鳥を歯で食いちぎる大犬を見比べた銀髪の王子は「ははは」と嬉しそうな笑みを浮かべた。


「ふふ、本当におかしいな。どこから突っ込めばいいのかわからないや」

「あの……私は全部本当のことしか話していないのですが」


 対して、ちょっと機嫌の悪いコジマさん。


 ――こっちは真面目に話しているのに。


 だって、こっちは真摯に質問に応えているだけなのに、毎度嘲笑われてしまうのだ。怒鳴られたり嫌味を言われたりすることは慣れているとはいえ、腹立たないわけではない。当然、笑われて嬉しいはずもない。


 だから無表情の奥でムッとしながらも、改めて「すぐにできますので、ベッドでお待ちを」と言えば、ディミトリはゆっくりと首を振る。


「できるまでコジマさんの話を聞かせてもらってもいいですか? こんなに楽しい話相手は……久々でして。さっきの包丁はどこで手に入れたんですか?」


 ――あぁ、なるほど。素性調査ですか。


 ようやく合点がいった。先程から質問が多すぎると思いきや、ゆっくりとこちらの素性を探ろうとしていたのだ。たしかに、本当に王族ならば自分を面倒みようとする相手を警戒しないはずもない。笑顔の裏で腹黒く計算するなど、王族なら当然の嗜みだろう。


 ――私も、本当に王族と信じているわけじゃありませんしね。


 だけど、コジマさんからすればその真偽はどうでもよかった。

 拾ってしまったものは、最後まできちんと面倒みよう。

 それが――あるのかどうかもわからないあの世から自分を見てくれている、最愛のひとヴァタルへの矜持。あのひとの婚約者として、恥ずかしくない自分であれるよう――ただ、それだけなのだから。


「ただよく斬れる分、面倒な『癖』もありまして……『またつまらないものを』と言わないと、切れ味が落ちてしまうんです。祖母は妖刀なんて呼んでましたが……ちょっと毎度恥ずかしかったりします」


 なので愛想はなくとも、客人をもてなすよう世間話・・・に付き合うと、ディミトリは柱に寄りかかりながら口元を押さえてまた訊いてきた。


「ちなみに……名前も付いてたりするんですか?」

「はい。『トウフ・ギリ・ゴエモン』という刀銘でございます」

「ふふ……めちゃくちゃ、カッコいいですね……」


 さすが東方……と笑うディミトリに、コジマさんは隠れて嘆息する。


 ――だけど、やっぱり嘲笑われるのは気分が悪いわ。


 相手に真摯であれと、本当に本当のことしか話していないコジマさん。

 だけど、それを冗談だと思われてしまうのなら、やはり王族の相手など力不足なのだろう。世間話とかこつけず、相手の必要とする情報を提供してしまおう。


「私など大したことなど話せません。このアスラン家の家政婦をしていただけの者です。強いて言えば……現当主ザナール=アスランの婚約者でもありました」

「え?」

「昨日、婚約破棄を申し付けられましたので」


 隣国の生贄王子が、どのくらい自国の貴族について承知かは知らないが。

 脇腹を押さえながら涙を拭っていた銀髪の少年が、はたとまばたきを止める。


「あの……でもアスラン家の婚約者って――」


 ――あら、博識ね。


 こんな辺境の貴族……と言っても、シェバ大戦における最後の戦いの地について知識があるのが当然か。当時は自分と同じ十五歳前後の子供とはいえ……敵国の王族であったのだから。


 コジマさんは伏せていた写真立てを持ってきては、ディミトリに見せる。

 それは、花嫁衣装の少女と礼服の武人が二人して固い顔をしている白黒写真だ。絵画ではなく写真という文化は生まれたばかりで、まだ王族くらいしか体験したことがない希少で高価な代物。だけど……浮かれた前当主がそれはもう奮発して撮らせた一枚だった。


「前当主が亡くなるまでは、長兄ヴァタル閣下の婚約者でした。ですが、先のアスラン峠の戦いでお二人が亡くなりましたので。その際、私は次男のザナール様と婚約を結び直したのですが……私などでは力不足だったのでしょう。業を煮やしたザナール閣下に、見切りを付けられてしまいました」


 ほんの昨日のことを語れば、涙ぐむほど笑っていた王子は急にシュンと肩を下げる。


「え、あ……ごめんなさい」

「王族の方が身の回りの者の調査をするのは当然のことですので。気にしておりません」


 ――本当にあの頃の子犬みたいだわ。


 今ではあんなに育ってしまったけど……ヴァタルと拾った時は、本当に可愛かったのだ。粗相をして叱れば、彼と同じようにシュンとして。その可愛さに叱るに叱れなくなって。ヴァタルと真剣に『イヌの愛らしさに打ち勝つ方法』を激論したのは、懐かしい話。


 結局、当時は『不可能だ!』という結論に至ったのだが……『獅子剣王ライオンハート』と称されたヴァタルほどの戦士でも無理だったのだ。自分なんて――すぐ甘く出てしまうに決まっているではないか。


 コジマさんは手近のテーブルに再び写真立てを伏せる。


「このように、私などでは力不足なこと重々承知しておりますが……責任持って、あなた様のことは学園まで送り届けよう思っております。頼りない十七歳・・・の家政婦ではありますが、どうぞ使っていただければこの上ない幸せです」


 コジマさんは無意識だったのだが――強調してしまった言葉に、ディミトリ再び吹き出す。


「ごめんなさい。年齢のこと、結構気にしてる……?」

「そんなことより、私にはどうぞタメ口で。なんせ同い年ですし」

「気にしてるよねぇ⁉」


 重ねてになるが、コジマさんは結構根に持つタイプである。

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