第5話 コジマさんはペットの餌のついでに
◆ ◆ ◆
「では、食事の用意をしてきます」
「だから待って! 待って下さいっ‼」
捨て犬を拾ってすぐさま捨てるなど、そんな気まぐれを起こすほどコジマさんは子供ではない。れっきとした大人……というにはあと三年あるが、十七歳なりの常識はあるコジマさんである。
なので抜糸まで一週間。ディミトリにいかに遠慮しようとも、きちんと衣食住を提供する心積もりは十分あった。
――問題はそれまでここに居られるか、ですね。
アスラン家所有のこの森の敷地面積はぼちぼち広い。それこそ隣の領内にある貴族学園の生徒らが演習に来ていても気にならない程度の広さはある。もちろん演習会場として場所を提供していた旨を、コジマさんは承知だった。そうした書類のやり取りもコジマさんの『家政婦業』の一貫だったからだ。
ともあれ、それなりの広さの森について、あの
――まぁ、なるようになるでしょう。
無表情ながらも、コジマさんは楽観的な思考の持ち主だった。
なので、コジマさんはさっそく調理に取り掛かる。当の子犬……もとい、ディミトリという隣国の王子は脇を押さえながらベッドから下りてきてしまっていた。あまり動かないに越したことはないが……顔色もいいし、きっと傷の治りも早いだろう
――なら、なるべく栄養価の高いものにしましょう。
「好き嫌いはございませんね?」
肉はディミトリが寝ている間に野鳥を撃ち落としておいた。血抜き済み。アスラン家から分けてもらっていた米も水に晒してあるし、野草の備蓄も十分だ。
コジマさんの質問に、ディミトリは「それはないけど……」と言いながらも、未だ「でも本当にお気遣いなく」と遠慮をしている。そこまで気遣われてしまうと……さすがにコジマさんも居心地の悪い。だって今までは“やってもらって当然”“むしろ言われる前にやって当然”の奴らの無茶な要望に応えるのが“当然”の生活だったのだ。
なので顔には出さないが――ちょっと言ってみる。
「……ペットの餌のついでですので」
「ペット?」
ディミトリが疑問符をあげたので、コジマさんは「イヌっ」と呼ぶ。
すると、それは「わふっ」と台所の窓から現れた。
ディミトリを下敷きにしたあの『犬』である。本来のこの小屋の持ち主は、もふもふの手から伸びた爪と顎の端っこを窓の塀にかけ、「ハッハッ」と嬉しそうに舌を出していた。当然、その窓からは顔の全部が入り切らない。
それにディミトリがとっさに飛び退くも――傷口が痛んだのだろう。顔をしかめている彼に、コジマさんは淡々と謝罪した。
「驚かせてしまい、申し訳ございません。あれが私が飼っているペットの『イヌ』でございます。私の言うことは聞きますので、ぜひご安心いただければと」
「あ、あの……犬……ですか?」
その質問に、コジマさんは無表情のまま小首を傾げた。
「やっぱり名前、変ですか……?」
以前、キールにも指摘されたことがあるのだ。犬に『イヌ』と名付けるのはおかしくない? と。それでヴァタルと徹夜で名前を考えたのだが、結果として当時四歳のキールに『イヌが一番まともだとおもう』と憐れむような目で言われたので――あの時の子犬は『イヌ』と呼ぶことになった。
どうもその時のキールの眼差しが忘れられないコジマさんは、事あるごとに自分のネーミングセンスを訝しんでいたのだが……今日も今日とて、お客人に不審がられてしまった。
だけど、ディミトリは犬とコジマさんを交互に見比べてから苦笑した。
「いや……とても、素敵だと……思います」
「声が震えておりますよ?」
「ふふ……ごめん。でも……あははっ」
――そんな変なこと言ったかしら?
なぜか、ディミトリが笑いだしてしまって。笑うとますます傷が痛むのだろう。「あはは、痛い」と腹を抱える彼を、さすがにベッドに戻そうとコジマさんが動きかけた時――ディミトリは言った。
「あ~、本当にごめんなさい。なんか、コジマさんが可愛いなって思って」
――は?
コジマさんは無表情のまま固まる。
コジマさんが可愛い――それは何の隠喩なのだろう。少なくてとも、十七年間生きてきて初めて聞いた……いや、初めてではない。幼い頃は兄からいつも言われていた気がするし、
「……コジマさん?」
――あぁ、そうだ。この方は王族だった。
社交界というものには、数えるほどしか出席したことがない。だけど、その界隈には『社交辞令』というものが存在するという。ならば、きっと王子殿下なりの『社交辞令』だったのだろう。『イヌ』の名前がおかしいことを誤魔化すための配慮だ。ここで戸惑ってしまえば、それこそ彼の気遣いを台無しにしてしまう。
そう考えたコジマさんは、さらに表情を無にした。
――何の話をしていたんでしたっけ?
頭の中は真っ白だったが、とりあえずここは台所。料理をする所だ。
「危ないので離れて居てくださいね」
言うのが早いか、コジマさんは鍋をドンッと用意する。用意してあった水を入れて、コンロに火をかける。そして血を抜いただけでほとんど原型である鳥を上に放り投げた。そして――目に止まらぬ早さで一閃。
「え?」
ディミトリが唖然とした時には、すでに一口大に切り分けられた鶏肉が鍋の中に落ち、作業台の小鉢の中に残っていた血が分けられている。コジマさんはどこからともなく取り出した細長い刀剣を鞘に納めていた。
「またつまらないものを斬ってしまいました……」
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