第20話 最強お姫様VS最強家政婦

 巨大な雷槌が迫る中、コジマさんは歌うように唱える。


「おいしくな~れ。ま~ぜまぜ」


 いや――誰もがあまりの抑揚のなさに、歌だとは思わないだろう。その呪詛のような言葉とともに、コジマさんは天に……迫りくる《神々の雷槌トールハンマー》に向けて、泡立て器を振り回す。ぐるぐると。ぐるぐると。それは、まるで生クリームを泡立てるように。


 呑気な歌とは裏腹に、手首のスナップを効かせた泡立て器の動きは、早すぎて誰の目にも捉えることができなかった。ただ、ブュンブュンとした異様な風を切る音だけがたちまち大きくうねりをあげて。

 泡立て器が生み出したのは、巨大な竜巻。黄金に輝く雷槌はまるで生クリームに混ぜられる蜂蜜のように、細く伸ばされ渦の中に吸い込まれていく。


「なっ⁉」


 アイーシャが変哲な光景に言葉を詰まらせても、コジマさんの単調な動きは変わらなかった。ただ、空に向かって泡立て器を振り回すだけ。泡立て器が生み出した竜巻の余波を受けて阿鼻叫喚の悲鳴をあげていた。吹き飛ばされないように、各々が肩身を寄せ合っている。


 その時――コジマさんの動きが変わった。まるでオーケストラに最後の締めを告げる指揮者のように、泡立て器を大きく振り上げて。


「で~きあっが~り」


 振り下ろせば、砂塵を巻き上げ、稲光を混ぜ込んだ竜巻がバシュンッと弾ける。その突風に、とうとう観客の何人かが吹き飛ばされていた。最後まで空で雷槌を握っていた王女アイーシャは、地面に大きく打ち付けられて。


 砂塵が徐々に収まっていく中、ボロボロの王女が膝をついていた。なんとか立ち上がろうとするも、手足に力が入らないらしい。大きな赤い目からぽろぽろと涙を零す巻き髪が崩れた彼女に――コジマさんは無表情のまま、泡立て器を突きつけた。


「すみません、アイーシャ殿下。私、実はこう見えて負けず嫌いなんです」

「勝者――コジマさんっ‼」


 その光景に、なんとかグラウンドの隅で踏みとどまる続けていたディミトリが声をあげる。その勝者宣言に、観客の誰もが歓声をあげなかった――あげる余裕がなかったと言ってもいい。ようやく去った災害に、全員が安堵の息を吐くのに精一杯だったからだ。


 ただ一人……スタスタと主人ディミトリの元に戻る、家政婦を除いて。


「お時間をとらせてしまい、大変申し訳ございませんでした」

「また……ううん、可愛い歌声だったね」

「なっ……何を仰っしゃりますか……」


 突如、なぜか褒められて。コジマさんはとっさに視線を逸らす。


 ――決闘後の労いの言葉がそれですか?

 別に『お疲れ様』などという言葉を望んでいたわけでもないけれど。


 コジマさんはいつもよりも口早に話す。


「金属製品は管理が大変なんです。これも『おいしくな~れ』と唱えながら使わないと、錆びやすくて。その点、特に呪文の必要のない菜箸のサエコさんは優秀です」

「そうなんだ。ちなみに、その泡立て器は何ていう名前なの?」

「アワダテリーナと申します」

「ふふ、可愛いね」

「はい……私もこの名前は気に入っております」


 両手で泡立て器を持ちながら小さく肩を竦めてコジマさんに、ディミトリが頬を緩めて何かを告げようとした時だった。


「うわああああああんっ、どうして⁉ どーーしてですのおおおおお⁉」


 子供のような盛大な泣き声が、静かだった会場に響き渡った。

 無論、それは敗者であるアイーシャ=デゼル=シェノン第三王女である。わんわんと泣きじゃくる彼女を一瞥して、コジマさんはディミトリを見やった。あれどうしましょう……そう伺うつもりが以心伝心、ディミトリは「コジマさんはちょっと待っててね」とアイーシャに歩み寄っていく。


 なので、コジマさんはそれをただ見ているだけ。


「アイーシャ。大丈夫? 怪我はない?」

「ミ、ミーチェ……わたくし、わたくし……」


 鼻を啜っているアイーシャのそばに、ディミトリが屈む。あちこちドレスは汚れており、アイーシャ自身も多少の擦り傷のような怪我はあれど……特に大きな外傷は見受けられない。あんな災害レベルの竜巻を食らったにも関わらず。


「大丈夫そうだね」


 苦笑しながら立ち上がったディミトリは彼女に手を差し出す。両手でディミトリの手を掴んだアイーシャを引き上げて、彼はにっこりと笑った。


「それじゃあ、もうコジマさんには絡まないであげてね」 


 踵を返そうとしたディミトリに、アイーシャは慌てて縋る。


「待って、待ってちょうだい! あなたはわたくしのことを捨てるというの⁉」

「……どうしてそうなるかな。俺は敗戦国からの生贄だよ? シェノン王国が決めた婚約を、俺が反故できるわけがないだろう? アイーシャが嫌がるならともかくさ」


 と、肩を竦めるディミトリの腕をアイーシャは離さない。


「でも、ディミトリはあのメイドのことを――」

「だから、コジマさんは命の恩人だって何度も話したじゃないか。彼女が学園に慣れるまでフォローすることの何が問題なの?」

「で、でもでも! あの人と話す時のミーチェは――」

「アイーシャ」


 いつもよりも低い声音で。婚約者の名を呼んだディミトリは、彼女の唇の指を当てる。それ以上言うな、とエメラルドグリーンの瞳で見据えながら。


 だけど指を話したディミトリは、いつも通り柔和に、そして悲しげに笑った。


「俺のことを好いてくれてありがとう。でも安心しなよ。俺はシェノン王国が命じる通り、今もこれからもきみの所有物なんだから。だけど人としてさ、最低限の尊厳は守らせて? 俺はただ、恩人に恩を返したいだけなんだ」


 じゃあまた明日ね、とディミトリは今度こそ踵を返して。しかし半分まで進んだ時「あ、そうだ」と振り返る。


「コジマさん、メイドじゃなくて家政婦なんだって。本人なりのこだわりがあるようだから、間違わないであげてね」


 そう言い残して。「ただいま」と戻ってきたディミトリに、コジマさんが言えることは――


「“本人なりのこだわり”とか、少々悪意を感じるのは気のせいですか?」

「えっ、なんか俺ダメだった⁉」


 ――婚約者にあの態度は、色々と誤解を招くのでは?

 ディミトリは『恩人』と呼んでくれるが、自分は所詮、未亡人で――


「私はただの家政婦ですから」


 胸の奥のざわつきを誤魔化すため。

 コジマさんは服の下に隠し持つ写真に触れながら、全てを彼の言い回しのせいにする。

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