4章 その家政婦、最強。

第36話 最強家政婦コジマさん


 心さえ通じ合っていれば、実際の距離なんて。

 普通は川を二時間下ってさらに離れた場所からの口笛なんて、聞こえるはずもない。だけど、そこはコジマさん。どういうわけか彼女自身わかっていないが、以前実験した時に広いアスラン領の端から端に呼んだ時も、『彼』は四半刻かからずやってきた。


 ――使えるものは使っていかないと。


 アイーシャと別れたのは、一時間以上前。あの後すぐに誘拐されたのなら、早馬など駆使されれば、すでに十キロ移動されたと想定できよう。アイーシャの邸宅はシェノリア諸島の中央部に位置しているから、端の離島まで運ばれていてもおかしくない。


 ――人間の足で探すには厳しいわ。


 いくら『彼』でも、秒で来ることはできないはず。その時間を無駄にしないためにも、まずコジマさんはアイーシャの邸宅に忍び込むことにした。彼女の友人として使用人らに行方を聞いてみるも、


「……すみません、少々忙しいので」


 と、すぐさま目を逸らされ、足早に去られるのみ。


 ――衛兵など呼ばれないだけマシね。


 そう前向きに解釈しなければ、顔は上げられない。彼女の部屋に(使用人らの目を掻い潜って鍵を開けて忍び込むなど造作もない)、自分の写真入れがなかったことがわかったから、それだけでも収穫だ。


 ならば――探せる。


「わふんっ!」


 コジマさんがアイーシャの部屋のバルコニーを出れば、遠くからドシドシわんわんと走ってくる白い犬の姿。コジマさんはタイミングよく飛び降りて、彼の背中に跨る。


「ごめんなさい、あなたをここに呼ぶつもりはなかったのだけど」

「わふんっ」

「急いでいるの。ヴァタル様の匂い、追える?」

「わっふんっ‼」


 そしてあちこちクンクン鼻を動かしてから、「わふ~んっ」と犬は走り出す。

 あの写真入れは、元婚約者の遺品で作ったのだ。ほとんどのものがあの火事で燃えてしまったが……ディミトリに彼の服を貸したのが幸いした。大きいズボンを止めるためのベルトの革とズボンの布地をうまく使って、写真入れを作製したのだ。


 たとえ諸島の隅に移動されてようとも、『イヌ』の足ならひとっ飛びだ。実際、湖の端からこの孤島まで、橋を使わず跳んできたのだから。


 ――私の執着が、ここで役立つなんて。


 そんな皮肉に苦笑しながら、必死に懐かしい匂いを追う『イヌ』の背中に乗っていると。その首元で見つける。ヴァタルのベルトと同じ革で作った彼の首輪に、紙が挟まっているようだ。


「あら、これは……」


 失礼するわ、と声をかけながら、コジマさんはそれを抜く。紙――手紙で包まれていたのは、黄色い皮のバナーナ。小首を傾げながら、手紙を開いた。


  コジマさんは僕らの最強家政婦だ!


 懐かしい文字。別れてから、一月も経っていないだろうに……八歳のわりに大人びだ文字は、きっと自分が教えたからか。だけど、その八歳児らしい文面に、コジマさんは濡れた目尻を拭う。そして小さく笑ってから、彼女はバナーナの皮を剥いた。


「ありがとうございます、キール様」


 もぐもぐと。爆速で風を切る大犬の上で、悠然とバナーナを平らげるコジマさん。普通なら、多少体術に心得がある者だろうと、しがみついているのがやっとだろう。だけど、彼女は最強だから。物を食べる時は姿勢良く、背筋を伸ばして食べる。なんやかんや令嬢でもあるので、マナーが身についているのだ。


 当然食べ終わった後の皮も、ポイ捨てなどしない。どこからともなく取り出した防臭効果の強いゴミ袋『フクコさん』にきちんとしまい、あとで処理するようまたどこかへとしまう。


 細かいことを気にしてはならない。だって、彼女自身も気にしていないのだから。

 ただ自分にできることを、全力でしているだけのこと。

 生まれ持った能力が高かろうと、環境が特殊だろうと、それを利用しないのは、本当に努力を続けるひとに対して、余計に失礼なのだから。


 ――私も、カッコよく友人を救出してまいりましょう。


 心の中で、彼女は綺麗だろう銀髪を短く刈りあげている凛々しい少年や、頼りない大人の中で懸命に出ていった家政婦を気遣う健気な少年の顔を思い浮かべて。


「アスラン家の元家政婦として、恥ずかしくない仕事をしましょうか」

「わふんっ」


 風に煽られ、丸いおでこを堂々晒しながら。

 色違いの双眸で、コジマさんは懸命に前を向く。

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