捨てられた未亡令嬢ですが最強家政婦でもあるので、隣国の聖王子と幸せになりました。

ゆいレギナ

1章 婚約破棄された家政婦は泣かない。

第1話 コジマさん、婚約破棄&クビになる。

 清潔感あふれる屋敷のロビーに、花瓶が転がっている。その一部分の絨毯が色を変え、落ちた切り花を若き当主ザナールが大きく踏みつけた。


「この未亡人がっ‼ 愛しのコニーのドレスが濡れてしまったではないか‼」

「……申し訳ございません」


 叱咤を受けているコジマさんは悪くないのに謝る。だって、勝手にロビーの花瓶にぶつかり濡れたのは愛しのコニーとやらの自業自得、もしくはエスコート下手な当主ザナールのせいだ。だけど、夕食の準備を始めようと厨房にいたコジマさんが大声で呼ばれ「貴様のせいだ」と言われてしまったのなら仕方のない。理不尽だが、コジマさんからしたら今更なのだ。


 そもそも、アスラン辺境伯家で家政婦のように働くコジマさんは未亡人と言われている――が、厳密にいえば未亡人ではない。


 未亡人とは、夫に先立たれた女性のことである。


 しかしコジマさん、現当主であるこのザナール=アスランの兄、ヴァタル=アスランと二年前に非公式な結婚式は挙げた。それは病で先行きが長くなかった前当主である義父の希望。優秀な長男はもとより、コジマさんのことも実の娘のように可愛がってくれていたのだ。

 だが、まだコジマさんが十五歳の未成年だったため、書面での調印提出は万が一に備えて見送っていたのだ。その結婚式直後に義父が亡くなり、ヴァタルも戦死したため、コジマさんの籍は綺麗なまま。当時十五歳の令嬢からすれば、万が一が功を奏したともいえるのだろう。

 だけど父と兄を同時期に亡くして、おこぼれ的に当主になった次男坊のザナールからすれば、結婚式で他の男と誓いのキスをした以上、未亡人となるらしい。


 そう――この次男坊。その未亡人が現在の自分の正式な婚約者であるにも関わらず、今も屋敷の中で堂々愛人を侍らせるほどに馬鹿だった。どうしようもないほど馬鹿だと、コジマさんもわかっていながら……心底どーでもいいので、今日も無表情に頭を下げる。

 だって亡き長男ヴァタルとも政略的婚約だったとはいえ、コジマさんはヴァタルを愛していたのだ。


 ――彼の代わりは、どこにもいない。


 ならば、そのまま未婚だったことを良いことに婚約相手が次男に移ったとはいえ――この馬鹿を愛せと言われたところで無理である。


 最愛の相手を失くし、コジマさんは失意のまま――今日も今日とて、言われた通りに『家政婦の仕事』をこなすのみ。

 そんな態度がまた、ザナールからすれば面白くないのだろう。嫌悪を容赦なくコジマさんに叩きつけ、代わりの愛人候補の頬に唇を寄せる。


「あーあー、可哀想なコニー。この愚かな家政婦をどうしてくれようか?」

「あら~ザナール様。この程度で家政婦をクビにするなんて可哀想ですわぁ。身寄りもないようですし、すぐに行き倒れてしまうかも~」


 ちなみにこのコニーと呼ばれている愛人、コジマさんがこの屋敷にいる経緯を知らないらしい。ザナールが夜のお店で捕まえてきた女のようだが、本当にコジマさんのことを家政婦と思ってる様子。もちろん、そんな無知な奢りもコジマさんからすれば知ったこっちゃない。

 なので、コジマさんもわざわざ訂正する筋合いもないのだが……それはザナールも同じらしい。


「おーおー、さすがコニーは優しいなぁ! だけど、こんな優しいコニーの目にこんな野暮でつまらない女をいつまでも入れさせるなど、このオレが我慢ならない‼」


 コジマさんにはこの先の展開が見えた。だけど、コジマさんは粛々と黒い三編みを垂らしたまま、当主様の啓示を待つ。


 ちなみにこの「野暮」と見た目を揶揄されたこと、それに関してはコジマさんも同意だった。前髪も長く、分厚い眼鏡をかけ、サイズも合っていないボロボロのメイド服を着ていれば、どんな美少女とて野暮ったくもなるだろう。だけどコジマさんからすれば、『その恨みがましい目を見せるな!』『辛気臭い面を晒すな』というザナールの命令に従っているだけ。いくら侮蔑されたところで、なんとも思わない。一人ずっと喚いているザナールが滑稽だなぁ、てだけである。


 だけど、それに我慢ならない少年がただ一人、この屋敷にはいたらしい。


「待って兄さん! コジマさんには他に行く所が――」

「うるさいキール! 子供が口出しするなっ‼」


 まるでコジマさんを守るように――小さい身体でザナールとコジマさんの間に割って入ったのは、このアスラン家の三男坊キール=アスラン。長男が享年二十七歳。次男の歳が離れて現在二十歳。三男坊はさらに年の離れた八歳児だ。

 年の離れた子として父や兄からは可愛がられていたが……父が妾に孕ませた子として、正妻レベッカからは大層嫌われている。キールの実母は彼を生んですぐに死んでしまった手前、幼い頃から病弱で他に行く所もなく、ここ二年間はコジマさんが仕事の合間に面倒を看ていた子供だった。父親や長男に似たのだろう、次男と違いとても優秀で優しい子だったので――これから下される命令にあたり、コジマさんのただ一つの心残りである。


 それでも――と、年の離れた兄に食らいつこうとする少年の艷やかな煉瓦色の頭に、コジマさんはそっと手を乗せ。ゆっくりと首を横に振る。眼鏡の奥の片目、前髪の隙間から覗いたラベンダーの瞳が柔和に細まった。


「コジマさん……」


 その見上げてくるつぶらな同色の瞳が、可愛いこと可愛いこと……。

 キールが追い出されずに済んでいるのはザナールの一存によるものである。半分とて血を分けている以上、病弱な弟に非道にはなれないのだろう。だけど、ザナールは馬鹿だ。いつ考えを翻すかわからない。馬鹿とはいえ現当主。八歳にして楯突くのは些か早かろう。


 彼を守るためにも、コジマさんは当主の前で膝をつく。


「愚かな私に、どうか厳粛たる沙汰を」


 頭を垂れたコジマさんに、ザナールは嫌らしく口角を上げて――堂々と指を突きつけた。


「貴様に婚約破棄を言い渡す! ただちにこの屋敷から出ていけ‼ もちろん、家政婦としてもクビだ、クビクビッ‼ その辛気臭い面を二度と見せるなっ‼」

「承知いたしました」


 ザナールが一人高笑いをあげる中、コジマさんは立ち上がる。「今までお世話になりました」と頭を下げてから、コジマさんは淡々と玄関へと踵を返した。


 少年キールは必死に涙を堪え、コジマさんの背中を見送っていた。

 当主ザナールは最後まで動じないコジマさんに冷や汗を浮かべながらも、笑い続けた。

 愛人コニーは「婚約破棄……?」と小首を傾げていた。


 彼らを置いて、コジマさんはとても静かな足取りで、アスラン家を堂々後にする。バタンッ――と、扉の閉まる音が屋敷に響いた。




 ちなみに、このアスラン家。使用人として働く者はコジマさんただ一人なのだが――そんなことは当然、追い出された彼女には知ったこっちゃない話である。

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