第2話 コジマさん、捨て犬を見つける。
家政婦とは、家事仕事を代行する女性使用人のことである。
メイドとの違いは、その屋敷に住むか住まないか。アスラン家は辺境伯という爵位を貰っている以上、広い(広すぎるくらいの)屋敷を所有している。総部屋数、五十六室。本来政略結婚予定であったコジマさんも、当然アスラン家の屋敷で部屋を貰っていたのだが――当主がザナールに代わった時、言われたのだ。
『このオレと同じ屋根の下に住みたいのか、この破廉恥女め‼』
その時はすでに他の使用人らも全員クビにされていたので(少しでも失敗した者を見つければ即座に『クビだ、クビクビッ‼』と気持ちよさそうに言い渡していた)、屋敷に住んでいた人数は新当主ザナール、愛人コニー、三男キール、義母レベッカ、とコジマさんのみ。重ねてになるが、この屋敷には五十六もの部屋がある。
馬鹿である。だけど、新たな婚約者兼嫁ぎ先当主の命令である。コジマさんは別の家に住むことになった。
そんな馬鹿を生んだコジマさんにとっての姑予定だった義母レベッカ=アスラン。彼女は可愛げがないのに義父に気に入られていたコジマさんのことを初めからよく思っておらず、その馬鹿な提案に同意した。そもそもコジマさんに『嫁ならまず婚家に尽くすのが道理でしょう?』と、当主がザナールになる前から無理やり家政婦業を押し付けていたのが、この姑である。今日は遠方の親戚との懇親会に誘われたとのことで屋敷を空けていたことが、後の不幸に繋がるのだが――まぁ、これもコジマさんに関係のない話。
――今となっては、怪我の功名でしたね。
屋敷を出て、スタスタと。
まっすぐ向かうのはコジマさんの住処であった『家政婦小屋』だ。ザナールらからそう揶揄されていたが、元はヴァタルとの隠れ家だった。小さな小屋だ。
◇ ◇ ◇
『犬だな……』
『犬ですね……』
ある日、コジマさんはヴァタルと一緒に子犬を拾った。野良で両親からはぐれてしまったのか、それとも捨てられたのか――どちらかはわからない。花畑まで散歩した帰り、雨に降られて。走って屋敷まで戻ろうとしていた時に、木陰に震えていた灰色の汚れた小動物を見つけたのである。
当時十三歳の令嬢らしく着飾っていたコジマさんと、二十五歳の騎士あがりの青年ヴァタルは、その弱々しい生物を前に足を止めた。
ヴァタルは戦場で身丈以上の大剣を振り回し、『
同時にコジマさんも……今ほどじゃないにしろ、無表情な令嬢で。たまに出る社交界でどんな嫌がらせを受けても、うんともすんとも言わない『
そんな二人は……瞬殺された。
くぅ~んと喉を震わせた子犬を、ヴァタルは目にも留まらぬ速さで服の下に入れた。コジマさんもその上から自分のストールを掛けて――言葉を交わすこともなく以心伝心した二人は、自身らがずぶ濡れになりながらも屋敷へ駆け戻った。
二人とも、動物が大好きだったのだ。
だけど屋敷に戻れば――義母レベッカが過度の動物嫌いで。
『この屋敷で飼うなんて言語道断ですっ!』
と、叱られた。当時四歳キールの病状に動物の毛が厳禁だったこともあり、義父からもやんわり『返しておいで』と言われてしまった。
結果、コジマさんとヴァタルは森の中に二人で『犬小屋』を作り、そこで隠れ飼うことにしたのである。その『犬小屋』が人が住めるサイズになったのは……二人が世間知らずだったせいか、はたまた
雨が止まぬ中、戦士と令嬢は渾身の『犬小屋』を寝ずに一晩で作り上げ――朝日が濡れた草葉を鮮やかに照らした頃、二人は同時にくしゃみをしていた。
◇ ◇ ◇
小さく思い出し笑いを浮かべるコジマさんを見る者は、誰もいない。
彼女は変わらぬ足取りで、スタスタとそんな思い出の詰まった小屋へと戻る。
――だけど……やはりあの小屋も出ていかなきゃいけないのかしら。
かつて義母レベッカに『一度嫁いだ以上、実家はないものと思いなさい!』と言われたため、この屋敷に来て四年。実家には一度も連絡を取っていない。両親や兄とも二年前の結婚式で一度会ったきりだ。今更、頼ってよいものか……。
――やめておきましょう。
コジマさんは、そう判断する。下手に今までのことを話して、アスラン家の領土を全て燃やされたらたまったもんじゃない。辺境だから少ないとはいえ、領民が可哀想だ。
あの馬鹿な次男坊や姑には興味ないが……この地はヴァタルの生まれ育った場所――彼の代わりに、大切にしてあげたい。置いてきてしまったキールのことが気がかりだが、彼なら雨風さえ凌げる場所があれば、なんとかなるだろうと踏んでいた。それだけの教育を施してきたつもりである。
だからこそ、安易な実家への連絡は悪手だろう。本当にコジマさんの一族なら、やりかねないのだ。
ならば、やはりいつ追い出されるかわからない小屋の荷物を纏めつつ、行く先を検討せねば……などと逡巡していた時だ。
コジマさんはある光景に遭遇する。行き倒れた少年のまわりに、
世の人間は皆、特別な
ひと目見て分かる特徴として、操られた者の目が赤くなるというものがあり――少年のまわりをウロウロとする狼の瞳は皆、赤い光を携えている。
「くそ……こんなところで……」
行き倒れていたと思った少年が、小さく呻いて立ち上がろうとしていた。
年の頃は、コジマさんと同じ十七歳くらいか。汚れた灰色の短髪。それに対して、わずかに開いた眼はハッとするほど鮮やかなエメラルドグリーン。男性のわりに華奢だという印象をコジマさんは受ける。それと同時に、彼女は既視感を覚えた。
――捨て犬……‼
かつて最愛の婚約者と一緒に拾った子犬が、狼に襲われているような……。
「やられて……たまるかよ……」
少年は立ち上がったものの―― その頼りない足取りが、狼を睨むエメラルドグリーンの大きな瞳が、震える剣先が――その弱々しい全てが、ますますいつかの子犬を彷彿させて。
気が付けば、コジマさんは彼の前に立っていた。
「えっ、あなたは……」
瞬歩で現れたコジマさんに、少年は驚いたのだろう。だけどすぐに我に返った彼は「危ない、早く逃げろ!」とコジマさんの腕を掴んで。だけどそんな少年に、コジマさんは淡々と述べた。
「すぐに“掃除”しますので――少々お待ちを」
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