第3話 コジマさん、可愛いアップリケを作る。

 言うのが早いか――コジマさんが腕を振るうと、周囲の風がヴィンッと呻いた。刹那、六匹の魔狼フェンリルは吹き飛ばされている。コジマさんの手には、いつの間にか一本の竹ぼうきが握られていた。絵本の魔女が空を飛ぶ時に跨っているような――外で落ち葉を掃除する時などに使うあれである。


「え?」


 疑問符をあげたのは、もちろん少年。

 だけど、魔狼フェンリルも根気強く立ち上がる。各々体勢を立て直し、牙を向けてコジマさんに飛びかかるも――


「せめて苦しまないようにしてあげます」


 と、コジマさんは一撃一殺。実際に殺してはいないのだが――そう見えるほど、ブォカッ、ヴァカッ、とほうきで的確に叩きのめしていって。あっという間に狼の鎮圧――ならず、“掃除”は完了した。

 昏倒する狼らを一瞥して、コジマさんはふぅと息を吐く。


「久々に運動しましたね。さて、大丈夫――」


 ですか、と、少年の無事を確認しようとした時だった。木々が再びガサガサと揺れたことに、下ろしかけていた剣を再び構え、警戒をあらわにする少年。だけど、コジマさんはその剣をそっと下げさせようとする。


「大丈夫ですよ、ただの子犬なので」

「え、子犬?」


 横目を向けてきたつぶらな瞳は、本当に色鮮やかで。顔には出さずコジマさんが可愛らしいと思っていると、それは現れる。


「えぇ、私の飼っている子犬……もう子供じゃないかもしれませんね。でも犬です。少々人懐っこいので注意を――」


 その体長、十五メートル。真っ白な体毛の中に、金色の瞳が夕暮れの森の中できらめいていた。黒々とした鼻の下の口元には、ひと噛みで人間など簡単に釘刺しできるだろう鋭い犬歯が覗いている。そんな大きな『子犬』が、コジマさんの注意の途中できゅ~んっと少年に飛びついてきて。


「あら……言うのが遅かったようですね」


 ただでさえ傷を負っていった少年は、大狼の下で伸びてしまっていた。




 そして、コジマさんは行き倒れ(させてしまった)少年を拾った。

 自らの『家政婦小屋』に少年を連れ帰ると、自分のベッドに彼を寝かせる。

 ここまでは躾の一貫として『子犬』に運ばせたのだが、彼は成長しすぎたため、せっかくの小屋に入れなくなってしまった。なので、入り口からベッドまで横抱きで運んだのはコジマさん自身である。とても軽かった。


 助けた……つもりだったのだが、再び気絶してしまったのなら仕方ない。ペットの不始末の責任を取るのも、飼い主の務めである。


 ――さて、どうしましょう?


 今も少年は、苦しそうにうなされていた。

 とりあえず、身を綺麗にしてあげようと血で汚れた服を脱がす。白い肌だが、意外にも鍛えられているようだ。それでも細身なのは、まぁ生まれ持った体質といえよう。腕や足には細かな裂傷がいくつもある。だが、脇腹の怪我が一番ひどそうだ。おそらくあの魔狼フェンリルに噛まれでもしたのだろう。


「なるほど」


 コジマさんは無表情のまま、テキパキと怪我の治療を始める。




「う、うぅ……」

「起きましたね。手足の痺れは? 身体の動かないところはありませんか?」

「え?」


 一晩経って、朝日はとっくに昇っていた。慌てて起き上がろうとする少年の肩をそっと押し戻し、コジマさんは質問をする。それに少年は目をパチクリさせてから、ゆっくりと手足を動かした。


「痺れているところは……特にないです。ただ、脇腹が少しひきつるような……」

「それは患部を縫ったから仕方ありません。抜糸するまで一週間ほど我慢してください」

「抜糸っ⁉」


 少年は慌てて布団を捲って――改めて上半身が裸だったことに気付いたようだ。ズボンも破れていたので取り替えさせてもらった。無表情のコジマさんと包帯の巻かれている自身の身体を見比べてから、彼は気恥ずかしそうに視線を逸らした。


「あの……あなたが治療をしてくれたんですか……?」

「はい。僭越ながら、医学の心得はございましたので、私が裂傷のひどい箇所を縫わせていただきました」

「お医者さんだったんですね」

「いえ、ただのしがない家政婦です」


 コジマさんの即座の訂正に、愛想笑いを浮かべ直した少年の表情がこわばる。


「家政婦……さん……?」

「はい、家政婦です」

「でも、医学の心得……」

「洋服を縫うのも、身体を縫うのも大した差はありませんので」


 そう言いながら、コジマさんは問題なく話す少年の無事に安堵し、再び自分の作業に戻った。少年の破れた服を直していたのだ。その前に作業台の上に置いてあった写真立てを伏せてから――彼女は目にも止まらぬ早さで背中のスリットを縫い合わせていく。

 そんなコジマさんに、少年は慌てて声を発した。


「待ってください! その部分は縫わなくて大丈夫です⁉」

「え? ですが、このままだと背中が見えて――」

「そういうお洒落なんです‼」

「なる……ほど……?」


 シャツだけでなく、すでに修繕済みの彼のブーツも、男性用のはずなのにヒールが付いている。中性的なお顔立ちだが……治療の際拝見した身体は、細身ながらも間違いなく男性のもの。口調は丁寧なものの、特別女性的嗜好を好む方にも見えないが……。


 ――都会のお洒落は難しいわ。


 ずっと辺境暮らしのコジマさんは無表情のまま小首を傾げて。だけどおそるおそる、少年に用意していた『それ』を見せてみせる。


「では、オプションとしてこちらのうさぎのアップリケなど付けてみたら如何でしょう? 僭越ながら私が作製いたしました。自画自賛になりますがとても上手に出来たかと――」

「ごめんなさいお心遣いは大変ありがたいのですが、ぜひ・そのままで・お願いしますっ‼」


 その力強い拒絶に、コジマさんは少しだけ眉間を寄せて。


 ――こんなに可愛くできたのに……。


 にっこり笑ったうさぎさんのアップリケを引き出しにしまう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る