第11話 コジマさん、旅立つ。

「そういえば、あの小屋を燃やした人は……」

「あー。現アスラン家のご当主、ザナール=アスラン閣下ですね。一応、この間まで私の婚約者だった人でもあります」

「……なんか、ドロドロ?」


 ティータイムを終えた二人(と一匹)は、川辺を散策していた。食後の散歩……ではなく、丸太を物色しながら。


「修羅場というには物足りないかと。ただ単に、あの方が馬鹿なだけですよ」

「元婚約者に容赦ない物言いだね」


 ここら一帯は、先程イヌが木をなぎ倒してくれた場所である。家が無くなってしまった手前、いつまでもここに居る道理もなくなってしまった。


 なので、思い出の地ともお別れだ。


「ま、お互い微塵も愛はありませんでしたので」


 目的の“良い感じ”の木材はなかなか見つからないものの、投げるにはちょうど良い感じの小振りな丸太をコジマさんは「ほらっ」とぶん投げる。ビュィィンッと風を斬る丸太を、イヌは嬉しそうに「わふ~んっ」とドシドシわんわん追いかけて。


 もふもふずっしりなお尻を苦笑して見送ったディミトリは、コジマさんに訊く。


「そもそも、どうしてアスラン家と婚約を結んでいたの?」


 話したくなかったら別にいいからね、と言いながら木材を漁るディミトリに、コジマさんは「構いませんよ」と愛包丁『トウフ・ギリ・ゴエモン』で太い丸太を一閃する。


「両親が旧友だった縁からですね。ですが、アスラン家は代々辺境伯として国境を守る要でもありましたから。うちと縁続きとなって、武力強化を図りたかったようです。それに父が協力しようとした形になります」

「へぇ。コジマさんの生家って、騎士家系なんだ?」

「まぁ、そんなとこですね」


 なるほどね、とディミトリが「これは?」と差し出した木材を、コジマさんが綺麗な板の形に斬っていく。だけど、ディミトリの手が止まった。


「あれ? じゃあ、コジマさんを追い出したら、アスラン家ってヤバいんじゃないの?」

「だから馬鹿なんですよ」


 今は戦争も終わって間もなく、大きな諍いがないから良いものの――和平がいつ崩れるかもわからない。その時に、せっかくの武力強化のための縁談を台無しにして、辺境を守る伯爵がどう対応するのか……まぁ、追い出されたコジマさんには知ったこっちゃない話。


「まぁ、平和であれば武力なんて要らないですから。領民も少ない割に国からの援助は多く貰えているので、大事な領土と資源の源である森林を燃やさなければなんとかなるんじゃないですかね?」

「…………」


 コジマさんの嫌味に気が付いたディミトリは三回まばたきしてから。

 呆れたように苦笑を返した。


「あのままコジマさんが消火しなかったら、どうなったんだろうね?」

「いち家政婦には関係ない話でございます」

「……ま、そうだね」


 ――だけど。

 少し赤みを帯びだした空を背に、丸太を咥えて戻ってくるイヌ。


 ――ちょうど良かったのかもしれませんね。

 とことん居場所を追われたことが、未練がましい自分の背中を押してくれたのかも。


 ドシドシと嬉しそうな思い出をももふもふ撫で回してから、彼女は視線を落とす。


「そろそろ急ぎましょうか。少し離れていてください」


 言うのが早いか――コジマさんは作った木材を目にも留まらぬ早さで紐で縛っていく。そしてあっという間に出来上がったのはイカダだ。採寸もろくにしなかったはずなのに、それは小さいながらもまるで名匠が仕立てたかのように先端まで美しい。船首にはいつの間に作ったのか、犬を形どった木像まで付けられていた。


 コジマさんは両手をパンパンと払い、相変わらずの無表情で言う。


「さて、準備は宜しいですか? 確認ですが、目的地のシェノリア学園までは川を下れば一刻……日を暮れる頃には着くでしょう。途中で休憩はとれないので、お手洗い等は今のうちに済ませておいてください」

「うん、大丈夫」


 それに、ディミトリは苦笑して。ゆっくりとまばたきした後、その声は少しだけ震えていた。


「ねぇ、コジマさんはその後どうするの? 行ける所ある?」

「特に考えていませんが……」


 顎に手を置いた彼女に、ディミトリは喉仏を大きく動かす。そして一呼吸した後、そのエメラルドグリーンの瞳は「あのさ!」と真っ直ぐコジマさんを見つめた。


「もし良ければ、俺と一緒に来ないかな⁉ 生贄の身分とはいえ、きみ一人の面倒くらい見れるから――」

「あ、大丈夫です」


 彼の決死の申し出を、コジマさんはあっさりと遠慮した。


「私のことはお気になさらず。たしかに住む家は無くしてしまいましたが……野山で一節くらい過ごしたこともありますので。適当に放蕩しながら、次の奉公先でも探したいと思います」


 これでも家政婦業には自信がありますので、と若干目を輝かせるコジマさん。なんやかんや、家政婦業が嫌いじゃなかったのも事実である。


 それには、ディミトリも「だよねぇ」と苦笑するしかなくて。

 コジマさんは気づかぬふりをしたまま、彼に背を向ける。「わふんっ」と静かに待っていた『犬』の顔を、コジマさんは再びわしゃわしゃ撫でる。


「それじゃあ、しばらくのお別れです」

「わふんっ」

「あとのこと、宜しくお願いしますね」

「わふんっ‼」


 そして、コジマさんは用意していた風呂敷をイヌに咥えさせる。

 その金色の瞳は、いつも以上にキラキラしていた。どこに身を置くかもわからない身。本当なら連れていきたいものの、さすがにこの巨体を連れ歩くわけにはいかないだろう。彼が快適に暮らすためには、どうしても広い場所が必要になってしまうから。アスラン家のこの森は彼の餌も多く、彼には最適な住環境だ。


 本当は同じような小屋など、今や一人でも半刻あれば作れる。

 だけど、コジマさんはずっとこの場所には居られない。捨てられた未亡人がいつまでも留まっていたら、またいつ馬鹿な当主が阿呆なことをしでかすかわからないのだから。


 ――さようなら。

 コジマさんは最後にぎゅーっとそのもふもふを抱きしめてから、無表情でディミトリを見やる。


「それじゃあ、行きましょうか」

「……うん」


 そして、コジマさんはイカダをずるずると川へと下ろす。そしてディミトリが乗ったのを確認するや、コジマさんもひょいっとその上に。そしてオール代わりの『トウフ・ギリ・ゴエモン』で岸を押した。


「今までありがとうございました! どうか、坊っちゃんのことをお願いしますねっ‼」

「わふーっんっ‼」


 そのイヌは彼女らのことが見えなくなるまで、ずっと二人を見送っていた。

 川の流れは止まらない。一度流れに乗ったイカダは、どんどん悲しげに遠吠えをあげる『イヌ』から離れていく。


 コジマさんはしばらくの間、ずっと後ろを眺めていた。そして「さて」と振り返ったタイミングで、ディミトリは声をかける。


「ねぇ、コジマさん。念の為に訊いておくんだけど」

「はい、なんでしょう?」


 首を傾げた彼女に、ディミトリは笑顔で尋ねる。


「イカダの操縦、任せて大丈夫なんだよね? 川を下ってシェノリアまで来たことあるの?」


 その質問に、コジマさんは「あぁ」と顎に手を当ててから、相変わらずの無表情できっぱりと言いのけた。


「そういえば初めてですね」

「え?」

「まぁ、なんとかなると思います」

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