第10話 青すぎる空の下で
小屋が業火に焼かれようとも、関係ない。
あの人を助けなくては。
「ヴァタル様……ヴァタル様⁉」
いつも置いてある場所に、彼がいない。気が急いている彼女は、写真の場所を変えたことを忘れて――炎に包まれている引き出しを開け、中味をひっくり返す。
踊る炎が絶え間なく彼女に襲いかかるが、彼女の覆っていた碧色の淡い光が全てを跳ね返していた。それは先程与えられた加護の賜物なのだが、彼女はその奇跡すら気づかない。
探すのは、ただ一枚の写真。
紛れもなく人生で一番幸せだった、あの無愛想な花嫁と花婿の写真。
「……サン」
バチバチと火花は爆ぜる中で、あの人の呼ぶ声がする。
――そんなはずはないのに。
幻聴だとわかっている。あのひとは、首だけで帰ってきたのだから。葬儀にももちろん参列した。喉が枯れるほど叫んだ。目が奥が痛くなるほど泣いた。
今それを思い出すのは、酸欠で息が苦しいからか。煙で目が痛いからか。いつの間にかメガネもない。自分の顔や表情を隠してくれるものがない。
――それでも、私は……。
熱さとか、息苦しさとか、関係なかった。むしろ何を触っても何も感じず――コジマさんはただただ、写真の中の
「――サンッ」
一際炎の強いベッドサイドに置かれたタンスを引き出そうとした時だった。
「コジマさんっ‼」
頬に走ったわずかな衝撃に、コジマさんは目を見開く。そこにいたのは、短髪で同い年の少年ディミトリだ。気品ある顔立ちが、今は険しい表情をしていた。近くの川で濡らしてきたのか、全身がずぶ濡れ彼は容赦なくコジマさんの手を引こうとする。
だけど、彼女はすぐにその細いわりに固い指先を振りほどく。それでも、彼は再び腕を掴んできた。声を荒げる。
「早く、こっち!」
「で、でも、ヴァタル様が――」
「大丈夫だから‼」
彼が見せてくるのは、一枚の写真。ウエディングドレスを着た無表情の黒髪少女と、礼服に身を包んだ大柄の無愛想な男性が写った一枚の写真。
「探してたのはこれだよね? 大事な物なんだよね?」
「ヴァタル様……」
写真立ては割れてしまっていたけれど。コジマさんはそれを大事に、大事に抱きしめる。
そんな彼女の背中に、ディミトリは気休めにシャツをかけて。
「……行くよ」
そのまま抱きかかえるよう背中を押され、コジマさんは燃える小屋から脱出する。二人が扉を出た瞬間、屋根の一部が音を立てて崩れ落ちた。間一髪にディミトリは嘆息する。
「あ~、心臓が止まるかと思った……。さっそく俺の加護使うとかコジマさん無茶しすぎ――」
だけど、その愚痴は途中で止まる。蹲って写真を抱きしめたままのコジマさんが背中を震わせているから。
「良かった、ヴァタル様……どうぞご無事で……」
そう嗚咽する彼女に、ディミトリは何も言葉をかけることができなかった。
燃えていく小屋を見上げて。彼はもう一度嘆息しつつ、頭を掻く。
「まいったな……」
コジマさんには、そんな頭を掻く同い年のことなんてまるで見えない。
ただただ、写真の中だけに残る最愛の人の無事に、泣くばかりだった。
森の中の小屋が燃えたのだ。その被害は、通常なら尋常でない範囲に広がるはずである。
だけど、そこにいたのはコジマさん。我に返れば、森林火災の消火など家政婦業務の一貫にすぎない。
ちなみに、燃える小屋に飛び込んでいった家政婦の姿に大いに狼狽えた元主人は慌てて逃げ帰ったのだが……そんな馬鹿のことは無論後回しだ。
「ではっ」
コジマさんの顔に、メガネはない。
けれど長い前髪の下、いつになく真剣な顔をした彼女がバッとテーブルクロスを引けば。
ゴォッ。
その風圧で、ディミトリは呆気なく飛ばされるも「わふんっ」と犬(巨大)にぱっくん襟首を咥えられ、ぷらぷら揺られている。
テーブルクロス引きで生じた竜巻はかまどの中に突撃し、その中で轟々燃えていた炎を消し去った。ちなみにかまどのサイズは小屋一軒を覆う程度――そう、あの燃えていた『家政婦小屋』を即座にかまどに改造したのだ。
もちろん製作者はコジマさん。「こんなこともあろうかと」と石材を用意してあったとはいえ、制作時間は十数分。念の為と称して『犬』に近くの木々を薙ぎ倒させ延焼を遅延させている間の手際の良さは、さすが家政婦。
――我ながら良い仕事をしましたね。
それは、気を紛らわせるのにちょうど良かった。作ったかまどでバナーナのパウンドケーキを作ったのみならず、ついでにクッキーとスコーンとキッシュも焼いた。テーブルに乗り切らないほどだ。ちなみにこれらのテーブルセットは犬に用意させた木材で即席し、茶器は家事道具の中から出しただけ。だけど紅茶ももちろん最適の温度で淹れてあるし、お待ちいただいた暇つぶしの一芸ついでに消火もできた。
現に、犬のよだれでベタベタになったディミトリもパチパチと拍手をしてくれているではないか。でも、少々表情が乏しいような気がして。
「あの……」
「うん?」
いつもよりも若干躊躇いがちに、コジマさんは訊いた。
「お身体は大丈夫ですか?」
後から聞けば、聖なる加護は自身にかけることができないらしい。そのため、たまたま加護のあった自分を、加護なしで炎の中から助けようとしてくれたのだという。
――余計なことを。
――あのまま、私なんてどうなっても良かったのに。
助けようとしてくれた人に、そんなこと言えるはずもないけれど。
それでも、彼は運も良いのだろう。服が多少焦げた程度で大きなやけどもなかった彼は、テーブルの上を横目で見てから、にっこりと笑った。
「ちょっとお腹が空いちゃったかな?」
「それは申し訳ございませんでした」
白い雲がぷかぷか
「お待たせいたしました。本日のアフタヌーンティーでございます」
「ありがとう……コジマさんが元気になったなら良かったよ」
「はて。私がいつ気落ちしてましたか?」
無表情のまま小首を傾げたコジマさんに、ディミトリは苦笑して。彼はコジマさんの引いた椅子に「ありがとう」と腰掛ける。そして「豊穣の神の恵みとコジマさんに感謝を」と、食事前の印を切る彼に――思わず「え?」と疑問符をあげたのはコジマさんだ。
それにカップに手を掛けようとしていたディミトリは視線をあげる。
「あれ? 何かおかしかった?」
「いえ……普通、食事前の挨拶は『豊穣の神の恵みとその使者に――』になるかと……」
「あぁ。でもその『使者』って、ようは作ってくれた人のことを指すから。今回はコジマさんだよね?」
「それは、そうなりますが……」
「じゃあ、いいじゃん。ごめんね、俺マナーとか適当でさ。城でもいつも怒られてたよ」
昔からダメな王子だったんだよね~、とディミトリは紅茶を飲んで。そして優雅な手付きでパウンドケーキにフォークを通す。静かに咀嚼してから、彼は小さく吹き出したかと思いきや――次第に腹を抱えて震えだした。
不備があったかとコジマさんが声をかけるよりも前に、ディミトリが静止の手をあげる。
「どうして……あんな環境で作ったお菓子がこんなに美味しいの……?」
「空が青いからですかね?」
「なにそれ?」
――邪魔なレンズがなくなったから、でしょうか。
未だ、長い前髪が彼女の視界を邪魔しているけれど。
青空のアフタヌーンティー会場には、今も焦げた臭いが残っている。巨大なかまどの中で灰になったのは、とある無愛想な花嫁と無骨な花婿の思い出の家。
その隣でティータイムを楽しむ隣国の生贄王子は、フォークに刺したパウンドケーキをコジマさんの口元に差し出す。
「コジマさんも食べなよ。こんなにたくさん、俺一人じゃ食べ切れないしさ」
「ですが、家政婦が主人と一緒にお茶など――」
「あれ? 俺はコジマさんを雇った覚えなんてないけど?」
わざとらしく口角を上げたディミトリに、コジマさんはため息を吐き。
「まぁ、私たちは同い年ですし」
ここには誰も居ませんから、とコジマさんは目を閉じて口を開く。
コジマさんはモグモグと咀嚼している間、目を開けられなかった。
だって、思い出を燃やして作ったお菓子は――どれもこれも、とても。
「……少し、甘すぎたでしょうか?」
「ううん。美味しいよ」
コジマさんの服の下には、ディミトリが助けてくれた一枚の写真が入っている。
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