第23話 その頃キール坊っちゃんは③
◆ ◆ ◆
「まぁ、どうなってますの⁉」
――まぁ、屋敷の掃除までは行き届かないからね。
その絶叫に、自室でのんびり薬を煎じていたキールは嘆息した。
義母レベッカ=アスランが帰ってきたのだ。
――ようやくこの生活も落ち着いたと思ったのに。
コジマさんが居なくなってから。兄ザナールの愛人も居なくなり、兄と二人暮らし。途中で兄が暴走し万事休すかと思った時もあったものの。コジマさんのおかげで無事に事なきを得て。ようやく食う寝るだけの生活ながら綺麗に回るようになってきた頃。
もうひとりの問題人物が帰って来てしまった。
「…………ま、いっか」
だけど、キールにできることは何もない。そもそもレベッカには出迎えすら拒否られ、一切顔を合わせないよう生活することを命じられているのだ。どうも卑しい妾の雰囲気残る風貌が気に食わないとのことだが……そんなの知ったこっちゃないキールとしては、騒音が帰ってきたなぁ、とくらいなもの。
だから大人しく乾いた薬草をグリグリと乳鉢ですっていると、兄ザナールの得意げな声が聞こえた。
「聞いてくれ、母上! オレはとうとう目障りな未亡人を追い出してやったぞ! これからは家族水入らず生活の始まりだっ‼」
実の親子であるザナールの成果報告に、しばしの静寂の後、ドスッとした鈍い音が響いた。すぐに手が出る女性だ。きっといつもの殴りすぎてクタクタのくまのぬいぐるみでも殴ったのだろう――そう思っていると、屋敷に甲高い悲鳴が響く。
「なああああんですってええええええええ⁉」
くまさんみたいですわ。
それがレベッカが亡き父に惚れた理由だったらしい。歴戦の戦士を「くまさん」呼ばわりはどうなのかなぁ、と幼心ながらに思いながらも、夫婦仲は悪くなかったらしい。
だけど、英雄色を好む。その格言にもれない父は女遊びだけが欠点で……その結果生まれてしまったのがキールだったとのこと。それでも、父を殴ることはせず、代わりにくまのぬいぐるみを殴るようになったのは淑女だと褒めるべきか。呆れるべきか。
ともあれ、そんな義母レベッカが親友の領地から帰ってきた。義母の目を盗んで行う生活は慣れたものだが……前とは環境がまるで違う。
「まぁ、わたくしにこんな固いパンを食べろとおっしゃるの⁉」
――これでも八歳児が頑張っているんですけど。
「まぁ、お風呂の水が冷たくってよ⁉」
――そりゃあ、僕らはこの一週間、ずっと面倒で身体拭いてただけだからね。
「まぁ、こんな埃っぽいシーツで寝ろと言うの⁉」
――そういえばシーツもずっと洗ってないなぁ……。
都度都度、ザナールが母を宥めようとする声も聞こえてくるが、あの兄でも母親には頭が上がらないらしい。その日はずっと、屋敷のあちこちでドスッ、ドスッ、と壁が揺れる音が響いていた。
そして翌日。キールが勉強をしながら「そういや、そろそろ行商人さんが来る頃かなぁ」などと独り言を漏らしていた時。「きぃぃぃぃぃ」という悲鳴が聞こえたかと思いきや、バタバタと足音が近づいてくる。足音の持ち主は当たり前のように、ノックなしで扉を開けた。
「キール! 母上がお呼びだ‼」
「はあ……?」
――僕に何の用なんだろう?
顔すら見たくないと豪語するレベッカだが、キールはさほど嫌ってはいなかった。何かですれ違うと忌々しいものを見るような目を向けてくるが、事情も事情だし。だけど特に嫌がらせをしてくるわけでもなく、時間さえ配慮すれば食事をすることも、お風呂を使うことだって許してくれている。屋敷にある書庫の本も自由に読めるし、薬代をケチられたこともない。
母親……と思ったことはないものの、ちょっとうるさい同居人。そう思えば、別に我慢のできる範疇だ。父が亡くなった後もこうして置いてくれている以上、最低限の感謝はしているキールである。
そんな相手からの呼び出しに、物珍しさ半分で応えれば。リビングでそわそわしていた彼女はそそくさとザナールの背に隠れた。さらに年の割に綺麗な顔を扇で隠しながら、口早に告げてくる。
「あなた! 行商人はいつ来るか知っているの⁉」
「え? そろそろ来る頃かと思いますけど……」
――そんなこと、兄さんも知っていると思うけど。
と兄を覗えば、彼は「そーなのか⁉」と目を輝かせている。……あれ? コニーさんが手紙を出してくれるって言ってたの、聞いてなかったのかな?
それと同時に、レベッカも真っ赤な唇をほっと緩めた。
「良かったわ。じゃあ、行商人が来たら、あなたが交渉しなさいね。メイドをたくさん寄越すように。あ、あと御者と執事も一人ずつはいるわね」
「えーと……僕が、ですか?」
「わ、わたくしに表で出ろと言うの⁉」
「いえ、そういうわけではなく……」
このレベッカ=アスラン。家ではキィキィうるさいものの、極度の人見知りである。その奥ゆかしさを父も気に入っていたというが……。家のピンチだといっても、人と話すつもりはないらしい。
そして、キールは知っている。実はこの義母、子供かつ長年一緒に暮らしている自分にも人見知りを発動させているらしい。現に今も、扇の端から覗く耳が真っ赤だ。口も回りきってないのに早口だし。十日かけて会いに行っていた相手は、唯一気心なく話せる親友なんだとか。年一回、誕生日会に呼ばれて毎年頑張ってお祝いに出掛けている。
――もう四十代も半ばのはずなのに……しょうがない人だなぁ。
それでも、キールはまだ八歳だ。おつかいの練習で……とかならまだしも、今は緊急時。ましてや人の手配なら大人であり当主のザナールがするべきだろう。
だけど、亜麻色の髪をいつもより乱した(誰もセットしてくれないから、これでも自分で頑張ってみたのだろう。ぐちゃぐちゃだけど)を振り乱し、壁を支えにクタクタのくまさんをズドンッと一突き。
「だって、ザナールが、きちんとできるわけがないじゃないのおおおおおお⁉」
――なる……ほど……?
めちゃくちゃ馬鹿にされているザナールだが、馬鹿にされていることにも気が付いていないのだろう。彼は「任せたぞ!」と慈愛の目で見つめてくる。
「もうっ、なんであの子を追い出したの……あんな便利な子、他に居るわけがないのに……あの子ひとりで、どれだけの人件費が浮いてたか……もうっ、もうっ、もうっ‼」
その嘆きに、キールは苦笑する。
――コジマさんの有能さ、ちゃんと僕以外にも気づいていたんだね。
それがちょっとうれしくて。キールは思い出す。
レベッカが今も殴っているくまのぬいぐるみ。あれは何度もコジマさんが綿を入れ直し、丁寧に縫い直していたものだ。破れた箇所は亡き父の古着で充てがっていたから――全身がパッチワークのようになっていて、それはそれで可愛らしい。ザナール曰く、毎度「今度はあの服を使ったのね」と隠れて小さく笑っていたそうだ。
だけど、そんな気遣いしてくれる家政婦など、二度と雇うことはできないだろうから。
――コジマさん……。
その時、玄関のベルがガラガラと鳴る。
「あ、さっそく来たかな」
八歳のキールは、今日も気丈に踵を返す。
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