第22話 コジマさん、お友達(?)ができる。


 ◇ ◇ ◇


 その歌は、昔一回だけ行ったことある歌劇で聞いた曲だ。


『劇場……行ったことがない?』

『はい。親も兄弟も興味がなかったようなので』


 男兄弟の中で育った幻氷の令嬢ミラージュ・レディこと若き日のコジマさんは、婚約者ヴァタルからの問いかけに首を振った。そもそもこの婚約者も劇に興味があるわけではなく……ただまだ子供のような女の子と話すために、必死に話題を探してみた結果、ようやく絞りだした質問が『どんな劇が好きなんだ?』だったのだ。


 若い女の子は、恋物語ラブロマンスが好きなもの。

 その男が抱いていた常識を、彼女はあっさりと打ち砕いた。


 それは『婚約者』として初めて引き合わされ、二人きりにされた時のこと。

 若いだけの面白みのない自分に、この殿方も大変だなぁ……と紅茶を呑んでいたコジマさんに、自分よりも一回り以上年上の青年はまっすぐに告げてきた。


『それなら……今度自分と一緒に観に行かないか⁉』


 彼は獅子剣王ライオン・ハートと称されるほどの辺境の戦士だという。今回の婚約は日に日に激化している戦争の守りを強化するために結ばれたもの。自分コジマさんという戦力はもちろんのこと、長い目で見ても特別な血を引く後継者を作るために結ばれた婚約だ。


 それをわかった上で……彼は耳を真っ赤にして、劇に誘ってくるのだから。

 まだ社交界に出たばかりのコジマさんも急に恥ずかしくなって、ただこくりと頷いていた。




 そうして観に行った歌劇は、結局二人共爆睡して終わったというオチなのだが――


『あ、あの歌は良かったな! あの……』


 劇が終わったあとの食事で、「ふふ~ん♪」と耳に唯一残っていただろう鼻歌を一生懸命に歌う獅子剣王に、幻氷の令嬢は小さく吹き出す。



 そして後に調べてわかったことは――あの歌劇は戦争で生き別れてしまう恋人たちの悲劇で、その歌は帰って来なかった婚約者を想う女性が涙ながらに歌った曲だということだ。



 ◇ ◇ ◇


 それが、コジマさんの知る唯一のまともな歌。

 それを歌手顔負けの声量で歌い上げたコジマさんは、いつも通り粛々と頭を下げる。


「ご清聴ありがとうございま――」

「うわあああああああああああんっ!」


 だけど、なぜかアイーシャ姫は大号泣していて。


 ――そ、そんなに私は音痴だった⁉


 自分では一切その気はなかったコジマさん。人並みには歌えているつもりで、実際は歌姫以上の歌唱力を披露していたのだが――前髪の奥で目を見開いていたコジマさんに、アイーシャは容赦なく抱きついた。


「ごめんなさい、わたくし……わたくし、あなたのことを調べさせてもらいましたの……‼」


 何回も謝罪の言葉を連呼され、自分より十センチほど小さい少女に縋られて。


 ――まぁ、そうよね。

 と、肩を下ろすだけのコジマさん。


 だって、調べれば自分の素性など、すぐにわかるものなのだから。むしろ調べないディミトリの方がおかしいのである。


 ――もしかしたら、すでに調査済みなのかもしれないけど。


 それでも……知らぬふりをしてくれているだけ、有り難かったりする。別に恥と思う素性があるわけではないが……だからといって、今更特別扱いされるのも複雑だ。


 コジマさんが何も答えずにいれば、アイーシャは鼻を啜りながら懸命にコジマさんを見上げてくる。


「あなたともあろう方が、あんなに・・・・仲の良かった婚約者を亡くして……その後も未亡人と揶揄されながら、つらい日々を過ごしていたのでしょう?」


 あなたともあろう方――そんな言い方をするということは、本当に生家のことも調べたのだろう。あんなに、とも言うのだから、きっとどこかのパーティで会ったこともあるのかもしれない。


 アイーシャはヒクヒク鼻を鳴らしながら続ける。


「そんな方にわたくしったら意地悪を……本当にごめんなさい。ミーチェのことになると、わたくしいつも余裕がなくなってしまうの。今日も、本当はそれを謝るために来たのに――」


 次々に己の非を口にしようとするアイーシャの唇に、コジマさんは指を当てて。そして小さく首を横に振った。

 別に、コジマさんは何も嫌な思いをしていないのだから。

 急に婚約者に近寄ってきた異性がいたら、警戒するのは同然だ。それなのに、自分はまともに名乗すらしなかったのだから。彼女が威嚇するのは当然のこと。


 だから、謝罪するのはこちらの方。


「不快な思いをさせてしまい、申し訳ございませんでした。殿下」

「……アイーシャでいいわ」


 少し視線を逸らしながらも、チラチラ見上げてくるいじらしいルビー色の瞳に。


 ――可愛らしいわ。

 コジマさんの手は、自然とアイーシャの頭を撫でていた。


「でもどうか……私の過去のことは忘れてください。些末な代物ですので」

「で、でも――」

「そんなことより、お茶でも如何ですか?」


 これでも少し頑張ったんです、とコジマさんは肩を竦める。

 本当に頑張ったのだ。なんたって、同い年の女の子が喜ぶものを手掛けたのは初めてだったから。今まで仕えてきた相手は、二十歳すぎの馬鹿当主ザナール。彼は見た目も味も気にしない馬鹿だったから、作り甲斐など欠片もなかった。彼の母親も自身の見栄えは気にするため、体型維持のために屋敷で甘いものは一切取らなかったし。


 だから、本当にこんなことを考えるのは初めてだった。年頃の女の子が喜ぶ菓子の種類は? 見た目は? 甘さは? 素材は? 同い年の女の子を喜ばせるには、どうすればいいの?


 個人差もあるだろう。ディミトリや彼女の取り巻き、護衛のジョセフさんやその息子にも聞いて、たくさん調査した。ディミトリとジョセフ以外は、コジマさんが話しかけるとみんな変な顔をするものだから、それはもう大変で……それでもコジマさんは粛々と、本当にギリギリの時間まで調査して。


 でも、その中でわかったことは――彼女は権力で取り巻きを従えているのではなく、持ち前の明るさや気丈さで友好を築いている人物だということ。


「……わかったわ」


 最終的にはディミトリに「コジマさん困っているから」と促され、ようやく席についたアイーシャ第三王女。彼女はコジマさんが注いだ紅茶を一口のんでは赤い目を大きく見開いて。目の前のクッキーを一口食べれば「美味しいわっ!」と歓声をあげた。


 その様子を見て、コジマさんとディミトリは目を合わせて小さく微笑む。

 そしてディミトリは端で温かい表情をしていた老騎士に声をかける。


「ジョセフさんも如何ですか?」

「いえ、私は昔気質の戦士なもので――」

「ジョセフも食べなさいっ! 彼女のお菓子は絶品よ‼」


 その日のお茶会は、和やか……ではなかったが、その後もアイーシャ姫の華やかな声が屋敷を賑やかせていた。




「こ、これからは、わたくしのお友達にして差し上げても構わなくってよ⁉」


 去り際に顔を真っ赤にしたアイーシャを見送って。


「あの……」

「ん?」


 コジマさんは隣でひらひら手を振っていたディミトリに尋ねる。


「殿下も、私の素性をお調べになったのでしょうか?」

「……未亡人云々は、コジマさんから聞いたよね」

「生家や本名のことです」

「調べてほしいの?」


 ――この方は何をお尋ねになっているの?

 会話の流れがおかしい。自分のことを調べてくださいという家政婦がどこにいるのか。


「いいえ……」


 なので、疑問符に否定を返せば。

 ディミトリは銀色の短髪を少しだけ掻き毟ってから、


「アイーシャが勝手に調べちゃってごめんね。でも俺は……コジマさんから聞きたいから。いつかさ、気が向いたら話してよ。のんびりお茶でも飲みながらさ」


 と、はにかんで。


 ――もう、私は正式に雇われているから。

 ――いち家政婦が主人とお茶を飲む機会など、早々ないと思うけど。


 そうは思いつつも、お昼は一緒に食べている罪悪感のせいか――彼の気遣いは温かく、胸の奥がむず痒くなるから。


「……気が向きましたら」

「うん。そうして」


 俯いたコジマさんは長い前髪の奥に顔を隠して。服の下に下げている写真を握る。

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