第8話 コジマさんの日常
あれから四日。ディミトリの体調もだいぶ回復したので、コジマさんは部屋の清掃をすることにした。ひと間しかない小屋。さすがに寝たきりの怪我人がいる状態で大々的な掃除はしづらかったのである。
「こ、これが掃除⁉」
「それ以外何に見えるんですか?」
コジマさんが竹ぼうきを振るえば。一陣の風が小屋内の埃を窓の外へと吹き飛ばす。しかし、家具は微動だにせず、その場に佇むばかり。
掃き掃除の時間、おおよそ三秒。
ディミトリは乱れた髪を手ぐしで整えている間に、コジマはほうきを虚へと消して、己も残像のみを残して消える。ディミトリが「コジマさん?」と疑問符をあげた時には、モップに体重をかけて一息ついているコジマさんが同じ場所にいた。家具の木目がピカピカに輝いている。だいぶ汚れていたようだ。
だけど、これでだいぶスッキリである。
「さて、次は食材を取りにいきますかね」
「えぇ⁉」
今日は溜まっていた家事をこなしますので、と予め宣言してあるコジマさん。
なので宣言通りにスタスタと小屋の外に出ようとすると、後ろからディミトリが駆け寄ってきた。コジマさんが直したシャツを羽織りながら声をかけてくる。
「か、家政婦さんってすごいね……メイドなら祖国でも、今の学園でもお世話になっているけど……別次元だ……」
「他は存じませんが、アスラン家ではこのくらいできないと、仕事になりませんでしたので」
だって五十六部屋ある屋敷をひとりで管理しなければならないのだ。一部屋に一分もかけていたら、掃除だけで一時間もかかってしまう。掃除以外にも食事の支度や洗濯、帳簿管理に外交処理など、一人でこなす仕事は多岐に渡るのだから――今日はのんびり掃除をした方である。
だけど、そんなことより。コジマさんは眼鏡の奥の瞳を細めた。
「付いてくるおつもりですか?」
「え、ダメなの?」
「だいぶ良くなったとはいえ、完治はしてないと思うのですが……」
日常生活に支障はなくなったようだが、それでも抜糸するまでは油断大敵。
「では、少々外に出てきますので。殿下はベッドでお休みに――」
「俺も行きたい!」
コジマさんは無表情のまま一瞬戸惑う。本当なら、置いていきたいのだ。その方が仕事も圧倒的に早く終わるし、ディミトリの身体を慮れば言わずもがな。『イヌ』が放し飼いになっているからあまり近寄ってこないが、森には野生の獣も生息している。危険がないわけでもない。
だけど……ブーツの紐を結び直すためにしゃがんでいたディミトリが、エメラルドグリーンの瞳をあまりにキラキラさせているから。その求心さを食らったコジマさんの内心はひとたまりもなかった。当然、顔には出さないが。
「……不調を感じましたら、すぐに戻りますから」
「ありがとう!」
――まぁ、適度な運動も治療の一環ですから。
散歩させるのも大事、と自分に言い聞かせ。
家を出たコジマさんはいつもよりゆっくり歩く。だけどそのスピードは、お喋りしながら歩くにちょうどいい速度だったようだ。
「ねぇ、
「七つですね」
アスラン地方は比較的温暖な地域である。山に囲まれている低地ゆえ、温かい風がたまりやすいらしい。川が多いため水には困らないが、雨も多く鬱蒼とした箇所が多い。現にコジマさんたちが歩いているこの森にも川が流れており、今も視線の端では魚が泳ぐ姿が見て取れた。このまま下流へ向かえば、ディミトリの暮らすシェノリア学園のある隣領まですぐである。実習で訪れる生徒らがいるほどに森には獣も多く、奇抜な果実のなる木々も散見する。比較的豊かな土地といえよう。ごく一部――戦争で焼け野原になったアスラン峠の付近を除いては。
そんなじめっとした森の中で、ディミトリは表情に花を咲かせていた。
「へぇ、まるで黒曜騎士団だ!」
その感嘆符に、コジマさんは無表情のまま何も応えなかった。家政婦と騎士団を比べられても、反応に困ったのだ。だけどディミトリは別のことを思ったらしい。
「あ、黒曜騎士団のこと知らないか」
女の子だもんね、と教えてくれたのは――
どこの国家にも所属しない唯一の騎士団『黒曜騎士団』。彼らは圧倒的戦力を持つにも関わらず少数精鋭であり、敢えて国籍を持たないことでも有名である。諸国武力の均衡を保たせ、七年毎に駐屯国を変えることにより、諸国の悪事を防ぐ役目を持っているのだ。
それでも二年前まで行われていたシェバ大戦のように、人の世から争いは失くならないのだが――最終的にシェバ大戦が終わりを迎えたのは黒曜騎士団の介入があったからこそ。
そんな黒曜騎士団は男子の憧れなのだが、入団条件がとても厳しいことでも有名だ。その第一に『
「俺は実際に黒曜騎士団を見たことがあるわけじゃないんだけど……でも黒い甲冑に身を包み、飛竜に跨って太空を飛び回りながら、七つの武具を縦横無尽に振りかざす……やっぱり男なら憧れるよなぁ。代々隊長を務めているのがコールジア家っていうんだけど、そのコールジア家は代々『
なお、それらの知識は全てコジマさんも知っていたことなのだが。
あまりに彼の瞳がキラキラしていたから、コジマさんは「博識ですね」と相槌を打っておくことにした。コジマさんとてその程度の社交術は身につけている。
それに、ますますディミトリは気を良くしたのだろう。
「俺ね、黒曜騎士団が憧れなんだ。
――恥ずかしい?
該当する場面がすぐに思いつかず、コジマさんはしばし考える。
すると、ディミトリは頬を掻いた。
「ほら、
苦笑する彼に、コジマさんは淡々と言葉を返す。
「人間、誰しも向き不向きがございますので。私は殿下のことを笑うつもりも、助けた自分を驕るつもりもございません」
相変わらず、無表情で。足も止めずに。さも当然という感想を返したコジマさんに、ディミトリは「すごいなぁ」と視線を落とし、立ち止まった。
「コジマさんはどうしてそんなに強くなったの?」
仕方なし、コジマさんも足を止めて。小首を傾げる。
「そう問われましても……全て必要だから身につけただけでございます」
「でも……元は令嬢、なんだよね?」
アスラン辺境伯家に嫁ぐ予定だったんだよね? と、訊かれれば。「はい」と答えるしかないコジマさんである。
「まぁ、これでも社交界に参加したことはございますし、生家も一部ではそれなりに名が通っているようですが……幼少期は野山を駆けていたことの方が多かったので」
「へぇ。やんちゃだったんだ。どんな遊びをしていたの?」
「そうですね……毎日ドラゴンと喧嘩してましたね」
「へ?」
「あ、着きましたよ」
ただただ殿下の散歩に付き合っていたわけではないコジマさん。目的の物を見つけると、それを指差した。
「あれでおやつを作りたく存じます。殿下はお好きですか?」
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