2章 学生を謳歌する家政婦は笑わない。

第15話 生贄王子ディミトリくんの家政婦は①


 ◆ ◆ ◆


「いや、ダメでしょ‼」


 そのコジマさんの姿を見て、ディミトリは開口一番否定した。


 あれから二日。

 学園と称されど、下手な小国よりも広いシェノリア学園では、生徒それぞれが立派な屋敷を所有している。もちろん爵位の低い令息令嬢らは、学園が用意してある集合宿舎――ありたいていに言う学生寮で寝食をしているが。形式上は隣国からの留学生であるディミトリも例に漏れず、学び舎にほどよく近い場所に、立派な屋敷が提供されていた。


 なので、そこで一晩休んだ翌日は自分が不在時だった諸々の状況報告や謝罪兼挨拶に奔走し――そして今日から再び日常に帰ろうとした時である。


 自分と同じように昨日は復学準備に奔走していたというコジマさんと一緒に登校しようとして。彼女に与えた部屋に声をかけに行くと……その姿に、ディミトリは思わず自分の目を塞ぐ。


 ――だって……これは見ちゃいけないだろう⁉


 コジマさんは、比較的背の高い女の子だ。長い前髪とメガネで顔は分かりづらいけれど……立ち居振る舞いや落ち着いた話し方からは、とても同い年とは思えないほどの大人っぽさがある。


 そんな子のスラリと伸びた太ももが、短いスカートの下にあらわになっていた。制服のどこもピチピチ。さらに黄色い帽子を被り、髪型も二本の三編み。しかも背負うのはランドセルという革のリュック。


 そう――初等部の子供と同じ服装をした十七歳の令嬢に「早く着替えてきて!」とお願いするも、コジマさんは無表情のまま小首を傾げた。


「どうしてでしょう? 私は普通に制服を着ているだけですが?」

「どこをどー見たら普通⁉ その小さいの、初等部のだよね⁉」

「そうです、私は初等部ですので。サイズはこれでも初等部の一番大きな物だと言われました」

「え?」


 その指の隙間からコジマさんを覗くも、やっぱり彼女は欠片も笑っておらず。

 頭に疑問符をたくさん浮かべたディミトリに、コジマさんは淡々と述べる。


「アスラン家に嫁ぐ前に実家で花嫁修業をすべく休学したのは、十一歳……初等部五年の時でした。なので、私は初等部の途中から復学します。初等部の制服を着るのは当然かと……」

「あ、あぁ……なるほど?」


 シェノリア学園は十二年制だ。その中でも、七歳から十二歳を初等部。十三歳~十五歳を中等部。十六歳~十八歳を高等部と分けている。そしてそのそれぞれで、制服のデザインも大きく変わる。


 よって、コジマさんの言うことは真っ当――と納得しかけたディミトリは首を横に振る。


「いやいやいや。復学と言っても年齢相応かどうかの進級試験は受けられるはずだよ⁉ 今更コジマさんに初等部教育なんて必要ないでしょう⁉」

「それを判断するのは学園側かと」

「学力検査受けなかったの⁉」


 長期休学していた生徒は、学力や年齢に合わせた学年に編入するシステムがあるはずだ。計六年の月日を花嫁修業や家政婦業に費やしていたとしても、このコジマさんの知能が初等部並みと判断されるとは考えにくい。ディミトリはまだ一週間程度の付き合いだが、それでも彼女が年齢以下だと感じたことは一度もなかった。


 そんな間を入れないディミトリの質問に、コジマさんは顎に手を当てて。


「そういえば受けてないですね。案内もされておりません」


 なんて言うものだから。


 ――嫌がらせかっ!


 奥歯を噛み締めたディミトリはコジマさんの手を引く。

 学力検査しかり……少なくとも、制服のサイズは絶対に嫌がらせだ。もっと大柄の初等部令嬢など、いくらでも見たことがある。


「もう一回学生課に行こう! あ~昨日の時点でやっぱり俺も一緒に行くんだった‼」

「ですが、もうすぐ授業が――」

「いいから行くよっ‼」


 彼女の手を強く掴み直したディミトリは、怒りのままずんずん進むから気づかない。

 目を丸くしていた彼女が小さく笑ったことに、気が付かない。




 ディミトリは彼女が学力検査を受けている間、廊下の椅子に座って待つ。教室にはそれぞれは防音結界が張ってあるから、中の音も聞こえないし、対して外の音が試験の邪魔になることもない。

だからディミトリは遠慮せず、大きなため息を吐いた。


 ――俺のせいだ……。


 コジマさんは本人の申し出通り、『ディミトリの従者』ということで復学している。

 本来なら正家の令嬢という立場のまま復学もできたはずなのだが、コジマさんは頑なにそれを拒否した。


『今更“ご令嬢”扱いされても困りますので』


 実際、爵位を引き継ぐ予定のない下位令嬢が上位貴族の侍女として奉公に出ることも多く、学生の内から『従者』として登録、仕事している者も少なくない。そのため、コジマさんの強い要望に応える形で受諾したディミトリだったが……。


 それが良くなかったのだろう。さっそく、コジマさんが被害を受けてしまった。

 だって、自分は敗戦国の『生贄王子』なのだから。


 表向きは和平を結んでいる隣国からの留学生。並びに、第三王女との婚約も決まっている未来の王族だ。だけど、その実は敗戦国からの生贄。一見立派な屋敷を与えられ、丁重にもてなされているような待遇だが……その実は嫌がらせの毎日だ。現に、先日の外部訓練でも一人獣をけしかけられ、殺されそうになったばかり。少し考えれば、その危害が彼女に及ぶこともわかったはず。


 ――俺がしっかり守らなきゃ。


 最初に彼女をそばに、と望んだのは自分だ。どうして自分がそれを望んだのか……その気持ちには、政略的な婚約者がいる以上敢えて目を瞑るけど。だけど、それは彼女の高い能力を買っただけではないのも事実。


 ――可哀想な女の子の境遇に、少しでも光を。

 ――たくさん笑わせてくれた、破天荒な女の子のため。

 ――無事だった写真を抱えて泣いていた、かよわい女の子のため。

 ――もっと、きみの笑った顔が見たいから。


 どうして一度拒絶した彼女が、再びその願いを受け入れてくれたのかはわからないけれど……それでも、自分には彼女を守る義務には違いない。


 ――昨日も彼女一人に任せるんじゃなかった……。


 たしかに『行方不明』になっていた自分も色々とこなさなければならない処理が多く、彼女の『何も問題ありません』という言葉を信じてしまったが……彼女だって、自分と同い年の女の子なんだ。生家の爵位にこだわらないということは、元々あまり高いものでもないのだろう。


 後ろ盾のない彼女を守れるのは、自分だけ――と、膝の上に置いた拳を固く握り直した時だった。


「お待たせしました」


 ガラッと開かれた扉から出てきたコジマさんが丁寧に頭を下げてくる。その後ろからヨレヨレと疲れた様子で担当講師が出ていったが――それを横目で見ながら、ディミトリは慌てて腰をあげた。


「試験どうだった⁉」

「はい。おかげさまで卒業資格をいただきそうになりました」

「そうか無事に卒業…………はい?」


 進級を飛び終えた単語にディミトリが目を丸くするも、コジマさんは相変わらず淡々と説明してくれる。


「提示されたのははどれもこれも卒業試験や官吏試験レベルの問題だったのですが、十分で百問正解したら『おまえに教えることは何もない!』と言われてしまいまして」

「はあ……」


 ――教養もとんでもなく高かったんだね……。


 体術等が規格外なのはわかっていたが、知能も規格外だったことに驚きを隠せないディミトリ。まぁ、なんかやってくれそうな気がしないでもなかったんだけどさ……。


「でも、それでは本末転倒なので。今まで必死に説得して、なんとか高等部の二年に編入させていただくことになりました」

「あ、そーなの……」


 試験開始してから、一時間と少しが経ったはず。なので一時間ほとんどをそんな説得に充てていたということになる。


 結果としてひと安心な結果だが……なんだが返答に詰まっていると、コジマさんが再び頭を下げてくる。


「なので改めて、同級生としても宜しくお願いいたします」

「あ、うん。よろしくね……」


 ――やっぱり俺、いらない存在なのかな?


 その不安を隠すように、ディミトリは苦笑するしかできなかった。




 そして、無事に高等部の制服に身を包んだコジマさん。やっぱり髪型は野暮ったいままだったが、相応の膝丈スカートに、落ち着いた色のリボン。細身の彼女に深緑の清楚な制服がとても良く似合っていた。


「うん、可愛いね」


 その感想をディミトリが率直に告げれば。

 彼女が小さく肩を竦めたように見えた。少しだけ俯いているような気がする。……本当にわずかな動きなので、気のせいかもしれないけど。


 ――もしかして照れてる?


 もしかして、本当にそうなのだとしたら。やっぱりあの初等部の制服が本当は嫌で、この制服を喜んで貰えていたのだとしたら。それを褒められて、嬉しがってくれたのだとしたら。


 ――良かった……。


 男として、これほど嬉しいことはない。


「本当によく似合っているよ。メイド服ももちろん可愛かったんだけど、でも制服の方がコジマさんの可憐さが引き立っている。コジマさんてスタイルいいんだね。脚がすごく綺麗だ」

「……殿下、言い過ぎです」


 声音は怖いくらいに低いが、腹の前で重ねられた手がモジモジ動いている。それがあまりに可愛らしくて、ディミトリは緩む頬を隠さずに「そう?」と小首を傾げてみせた。

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