第14話 その頃キール坊っちゃんは②

 そうして、パンも残り少なくなってきた頃。

 ザナールはやっぱり発狂した。


「もう顎が痛い! パンは飽きた! それに屋敷が埃っぽいぞ! そろそろ母上も帰ってくるのに、これでは顔向けができんっ‼」


 ――十分元気じゃん……。


 広い食堂。兄と二人きりで残り少ないパンを貪っていたキールは何も答えなかった。全部兄の自業自得だからである。


 ――僕ひとりなら、なんとかなりそうなんだけどなぁ……。


 ゆっくりでいいならパンも焼けるし、食材の減りも調節できる。薬も自分で煎じることができるし、コニーのおかげで来週には行商人が来てくれるだろうから、事情を話して今後は日持ちする食材を多く持ってきてもらえばいいだろう。それに、実はひっそりと『イヌ』が森で見つけた獣や食材を持ってきてくれるから、それらと物々交換すれば薪など生活用品の購入にも困らない。成長するに連れ身体も丈夫になっており、イヌの毛に咳が出づらくなってきたのが幸いしている。帳簿の付け方も勉強済みなので、簡単な領主仕事もなんとかなるだろう。定期的に来る審査官に事情を説明すれば、自分が大人になるまでの代理領事も手配してくれるはずだ。


 なので雨風防げる場所さえあれば、一人で生活できるくらいのモノをコジマさんから遺してもらっているのだ。


 ――だけど、兄さんがなぁ……。


 金遣いは荒い。食事量も多い。紙もすぐに書き損じて無駄遣いする。なのに一人では食事もとれず、森で獣を狩ってきてくれることもなく。お金を稼いでくれるわけでもない。


 そんな兄は質素な食事でたらふく腹を満たすやいなや、すぐさま席を立つ。


「クソッ。明かりを点けるのも面倒だ。さっさと食べろ。早く寝るぞ!」

「はーい」


 キールも残りのパンを慌てて口に入れ、席を立つ。

 これでもキールの兄なのだ。たとえどんなに馬鹿だとしても、毎晩「独り寝は寂しいだろう! 一緒に寝るぞ‼」と枕を持ってやってくる兄を見捨てるのも忍びない。


 父と長兄が死んでから、ずっと毎晩。

 たとえ日中は愛人といちゃいちゃしていたとしても……夜には必ず一人で枕を持ってきてくれた兄を、見捨てることなどできるものか。


 だって今日も、自室でキールが寝支度をしていると。


「ほら、キール。いつまで夜更ししているんだ⁉ 早く寝ないとおばけが出るぞ‼」


 枕を抱えた寝間着姿の兄は、今日もノックもせずにやってくるから。


「は~い」


 今宵もキールはゆるい返事を返す。




 だけど、翌日の夕方。


「よし、これで家政婦が帰ってくるぞ‼」

「え?」


 お昼でコニーさんが作り置いてくれたパンが無くなってしまった。なので明日以降の分をせっせと作っていたキールに、どこからか帰ってきたザナールが高揚した様子で告げた。


「オレは思い出したのだ! そういや、あいつには隠れ家にしている小屋があったよな。そこに火を付けてきた。ここ数日よく頑張ったな、キール。ようやくこれで元の生活に――」

「ばかっ‼」


 キールは粉まみれの麺棒を兄に投げつけてから、慌てて厨房を出ていこうとする。だけど、我に返ったザナールに腕を掴まれてしまった。


「ま、待て。いきなりどうしたんだ? 迎えに行かなくても、あいつは直に――」

「コジマさんの家燃やしたの? ばかなの? あれはヴァタル兄さんとコジマさんの大切な思い出じゃん! それに……こんな森の中で火事起こすとかばかでしょ⁉ 森に火が飛び移ったら僕らもタダじゃ……それ以前にコジマさんは家の中にいたんじゃないの⁉」

「い、いや、あいつが居ないことは確認してから火をかけたが……」


 居たら、邪魔されるに決まってるだろう……とズレた返答をする兄の手すら、八歳のキールには振り払うことができない。


 キールは目からぼろぼろと涙を零しながら必死で訴える。


「離してよぉ、火を消しに行かなきゃ……」


 その時、屋敷の外から「ばふっ!」とした声が聞こえる。その屋敷が揺れるほどの音にザナールが「何だ⁉」と手の力を緩めて。


 ――この声は……⁉

 その隙に、キールは兄の手を振り払って裏口から出る。


 その扉を開ければ。


「わふ~ん」


 体調十メートル以上の巨大な白い犬が、姿勢良く待っていた。もふもふのしっぽをバタバタと振りながら、「はっはっ」と鼻を鳴らしている。だけどその金色の目がキールを捉えるやいなや、それは隣に置いていた風呂敷を口で咥えた。


「くぅ~ん」


 まるで鼻をなすりつけるように。甘えた声を出して渡してくる『イヌ』から風呂敷を受け取ったキールは、黙ってそれを開いた。甘い香りを発したそれは――大量のお菓子だ。パウンドケーキにクッキーにスコーンにキッシュ。王室御用達店顔負けの精巧さの代物だが……それが誰が作った物か、キールは一目でわかった。


「コジマさん……」


 その風呂敷の中には、一枚の便箋が入っていて。涙を拭ってから器用に片手で開けば、そこには綺麗すぎる文字でこう書かれていた。



 火事は無事に消火したので、ご安心下さい。

 ――追伸。この場所を離れることにしました。落ち着く先が決まりましたらご連絡致します。それまでどうぞ、イヌのことを宜しくお願いいたします。  コジマ



「本文と追伸が逆じゃないかなぁ……」


 笑いながら目尻を拭うキールの後ろでは、今も完全に腰が引けた様子で「キール……危ない……怪物から離れろ……」とオロオロしている馬鹿な兄が一人。


 キールは「やれやれ」と嘆息してから、「ありがとう」とイヌの頬を撫でた。


「コジマさん……幸せになれるといいね」

「わふんっ」


 イヌは再び、その大きな顔を小さな少年に寄せる。

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